こんにちは




Lavande Vraie ~ラバンド バレ~
satokoですチューリップ紫チューリップ紫チューリップ紫



コロ助でそろそろストレスが積み重なってきました

もう家族の誰とも居たくないので

物置部屋に引きこもってます真顔






緩和ケア病棟に移って

「梅雨までは持たないかも」

と担当医から言われて病院から

「最期が近づいてきたご家族様の心得」

と言うお手紙を頂きました

看護師さん達はとても私に気を遣い

私が必要以上に落ち込まないようにしてくれていました



正直32年前に母で経験してるし

私は父の余命よりも父が認知症になってしまった事の方がショックが大きかった




去年の12月に引っ越したマンションの前を通っては父が居た時の様子が思い出され

「もう帰ってこないんだ。ここには。」

と泣き、

実家の片づけをすれば、娘と一緒に帰ってキッチンでお料理を作ってくれた、

娘と遊んでくれた



片づけ終わって玄関を出る時

ここで立って見送ってくれた姿を思い出して


「もう、『あの』お父さんはいないんだ」

と泣くえーん



父の肺ガン再発で余命が数ヶ月よりもそちらの方が悲しかった



認知症になってしまってからの父とは『頼れる父』との会話ではなくなってしまっていたので

そっちの方が悲しかった


あまり言葉がスラスラでなくなっても娘には変顔をして笑わせようとしたり穏やかに過ごせていました


アイスが大好きでみんなでアイスを食べていると、父が自分の分のアイスを食べながらチラチラ私の方を見る

「コレ食べたいの?」

って聞くと

「うん」(子供か‼︎)

私のアイスの方がお口に合ったのか『むさぼり食う』ってこんな感じ?というような食べ方で…

案の定むせる

むせると苦しくて見ている家族は死んじゃうんじゃないかガーンと思うほど

「誰も食べないからゆっくり食べてね、お父さん」

って何度も言ってももう本能には逆らえない


余りにも苦しそうで看護師さんを呼んで、落ち着いて
(アイス取り上げ!)

主人もいたので、

「今日の夕食は何にしようか〜
私はステーキが食べたい!」

と言ったら

「じゃぁさとちゃん、今日の夜はステーキにしよう。ステーキいいね。ステーキ3枚買ってきて、それぞれが焼けばいいね。さとちゃん、ステーキ3枚買ってきて」

って。

父、母、私でもともと家族3人で

娘が生まれてからも主人は私の実家には寄り付かなかったので父、私、娘でやっぱり3人


病室には主人もいて『4人』だったんだけども

何度も『3枚、3枚』と爆笑



今日は最後によくお喋りするなぁと思いながら

「お父さん、また明日くるね!」と


そして翌日に行くと前の日と打って変わって喋らずすぐ寝てしまう


看護師さんから
「誤嚥性肺炎のようで今38度熱があるんです」


熱があって元気な人でも8度あったらつらい

もう体力のない父は尚更だったでしょう

ウトウトしてる感じでした

話が出来ない感じだったのでこの日から病院にいる間はずーっと手を握ることにしました

この日を境に父の様子が変わりました


「お父さま、梅雨まで持つかどうかって前にお話ししましたけど4月をむかえられるかどうか、恐らく4月は無理かと思います」

そう言われました


10年前?くらいおねがい





長くなりすぎましたね。
読んでくださった方はお疲れになったのでは。。

続きは次回に

長い時間最後までお読み頂きありがとうございましたコスモス