村上春樹の、街とその不確かな壁、をGW中に読みました。彼の書いたもの、対談本などはたまに目にはしていたものの、小説を読んだのは大学の時の、海辺のカフカ、が最後だったかも。えー20年ぶり?


海辺のカフカは、NZ留学中に大学の図書館で読みました。図書館最上階の奥の方に外国語書籍コーナーがあり、日本語の書籍もなかなかの数が置いてありました。その棚の近くのあまり人が来ない窓際で、赤い1人がけソファーを2つくっつけてデイベッドのような特等席を作って読んだ記憶が。たまに読みながら寝入ってしまったり。


英語だけの生活にちょっと疲れていた時期だったのかな。私がいた大学はNZで1番古い総合大学で、歴史的な石の建物が残っている一方、図書館はとっても近代的な建築。そんな図書館がある大学に通っているのが嬉しかった。


ググってみたら。
あー、そうそう、この大学のシンボルであるこのクロックタワーがあり、この建物の隣に

そうそう、この図書館。

そして英語だらけの日常の中、この空間で誰にも邪魔されず1人日本語の世界にどっぷり浸かった後に、図書館から出た瞬間別の世界に戻されたような感覚がしたものです。2つの世界を行き来するかのように。それがまさに、良い読書の醍醐味ってものなのかもしれませんけど。


今回読んだ、街とその不確かな壁は、あちらの世界とこちらの世界、そしてあちらの世界を囲む強靭な壁と、なんとも不安定でありながらも、はっきりした心の持ち主たちの物語です。そして図書館という場所が話の重要な柱となっている。


今日のブログのタイトルとどんな関係があるの?ですよねー。


いつも長期休暇が終わった日には、昨日までの自分と会社でPCに向かっている自分がいる世界が、同じ世界だってことに対して不思議な感覚に陥ります。今回は休暇中、こんな本を読んでしまったからなんだかなおさらそれを強く感じたのかもしれません。プライベートと仕事とのオンオフ程度のものではなく、もう少し強い違和感のようなものです。


でも仕事日1日の終りには、その違和感もすっかり消え、ただのオンオフとして、同じ世界の同じ私の一直線上の物事にすんなりと移行されてしまうのです。


村上春樹小説の世界にいた余韻が残ったまま、連休明け初日からちょっとした仕事でのどんでん返しが起こり、それに関連しているおじさんや、なんとなく会社にいるおじさんの何人かについてぼーっと考えておりました。


このおじさんたちにも、もう1つの世界があるんだろうかって。


数年前にとある本部長の男性がこんなことを言っておりました。彼が言うには、自分は本部長という役職の男性をいつも演じていると思ってる。本部長である自分はここでこう言うものだろう、ということを考えてそれに沿って発言するのだと。だから、上司である役員に何か小言を言われても、嫌味を言われても、それは役の中での自分が言われているだけだから、本当の自分の心にダメージは一切受けない、って。


どんな会話の流れだったか忘れましたが、多分彼がメンタル強い、みたい話だったかもしれませんが、それを聞いて衝撃を受けました。じゃー目の前の彼は、どっちの彼なの?とも思いました。本当の彼は今どこにいるんだろう?って。


本部長までたどり着くのは、まーまーサラリーマン勝ち組でしょう。でもサラリーマンとしての勝ち組である、上のポジションの人ほど、私から見たら会社の世界で見えていることが全てのような人間に見えて、別の世界を生きている姿が想像できない。だから尚更、自分はそれを演じているって言われた時に、不思議な物を見るよう気がしたのです。


一方でこの世界の勝ち組ではないおじさん。万年平社員みたいなおじさんは、実はものすごい広い別世界の空間を背後に持っていたりしてー、、、、って、18時前退社していく万年平社員おじさんの背中をじっくり眺めてしまったりして。


私自身がこうやって20年間もサラリーマンに囲まれて、自分もサラリーマンとして仕事をしていながらも、なんだかサラリーマンであるこの人たちはどんな世界を生きているのだろう?なんて妙に意識してしまう仕事始めの週でした。


小説に感化されすぎましたかね。やっと花金。


おまけ。

昨日は夫の両親と娘を家に放置し、2人で外食しました。笑。このカチョぺぺがシメのラーメン的で超美味しかったー。