先日友人と「来年の目標は?」という話になり、その時はとっさに何も思い浮かばなかったのですが。。。
恥ずかしながら白状しますと、、、
実は今年の夏頃でしたか、ふと私は「優しい」と言われたことがないことにも気づきました
「しっかりしてる」とか、「冷静」だとか、女ですからお世辞95%だとしても「かわいい」とかは言われますが、子供の頃まで遡っても「優しい」は聞いたことがないような…
「優しそう」もありません。断言できちゃう…
「情が深い」も、絶対私のことじゃありません。
自分でも優しさあふれる人ではないのはわかってましたが。
ちょっとショックです。。。
その事に気づいて以来、優しくあろうとちょっとだけ視点を変えて物事を見るようになりました。
一つの出来事の後ろに、どういう思いがあって、どれだけ時間や手間をかけてきたか、それを自分だったらできるかどうかを考えてみたのです。
そうしたら、他人の優しさがす~んごく見えてきました
本当に、どれだけ多くの人に支えられてきたことか
もちろん今年だけでなく、今までもずっと。ですよね。
ライブに足を運んでくださる方はもちろん、一緒に演奏した仲間やスタッフの皆さん、そして私生活でも困っている時にパッと手を貸してくださる方がいて、どれほど助かったか…。
夏の暑いさなかに何度も草むしりをしに来てくれた友人や、介護や相続の相談にのってくれた友人、ライブの案内に心のこもったお手紙を返してくれる友人、その他諸々…
もちろんその度に感謝の気持ちを目いっぱい込めてお礼を伝えるのですが、そんなことでは
到底足りません!
品物でお返しするなんて、ほとんど姑息な手段に思えてきます。
「よし、向こうが困っている時に、今度は私が」と決意しているのですが…
実際には、悩みを聞いても私に何とかできる知恵も技術もなかったり
いざ他人の役に立ちたいと思っても力不足なことばかり。
「どうして皆パッと動いてくれるのに私にはできないんだろう」と、実に情けない有り様なのです。
「優しさとは強さだ」って言葉を子供の頃どこかできいて、なんのこっちゃ?と思ったのですが、今になって「強くなければ優しくできないのだ」と実感しているのでした。
という流れで、当然思い出したこの言葉
『しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない』
ええ、フィリップ・マーロウでございます。
レイモンド・チャンドラーの小説「プレイバック」の中の名台詞です。
来年はこの言葉を心に刻みつけて、いついかなる時もタフでいられるよう精進してまいります。
そして優しい人になろうと思うのです
そういえば村上春樹さんの訳で読んだかな?「プレイバック」は…。