凡例

・以下の記録は、2011年9月2日から、2011年10月28日までのTwitterでの呟きを主題別にまとめたものの一つ、「震災と支援をめぐる雑感」である。
・収録した呟きは、著者本人の独白形式のみを採り、RTとそれへのコメント、@付きでやりとりをした会話は除外した。
・各呟きは、ほぼ時系列に沿って提示している。("2011.07.17. at 15:23:10" で呟いた日付と時間を指示する。)
・その時々の印象を呟いたものがほとんどであるので、後に諸状況の変化が生じて事実とずれてしまった記載も認められるが、その時点での記録として収録している。
・収録にあたっては、誤字脱字を訂正し、必要最低限の補足修正に留めている。
・「※」を付して、呟きの背景を注記した箇所もある。
・一連の内容がまとまっている場合は、適宜、小見出しを付けた。


本文


地震直後からの各フェーズの課題


(1)震災直後は、要請があろうが無かろうが住民人口の1.5倍ぐらいの支援物資を現地に急送することが一番大事だと痛感した。そのためのボラ活動も大事だったのはもちろん。人命確保の支援段階。(かえすがえすも原発事故さえ起きなければ、と悔やまれる…) (2011.09.02. at 08:50:35)


(2)避難所、ボラセンが立ち上がり、そこを拠点とした支援の第2段階。ただ、このあたりから、自宅避難された方の状況把握の困難さと、支援情報へのアクセスの格差拡大が問題に。被災地のとてつもない広さと点在する孤立集落がボラ活動の横断連携を阻んでいたように思われる。 (2011.09.02. at 08:58:09)


(3)仮設住宅ができ始めた第三段階。いまだライフラインの途絶した地域、避難所生活地域、仮設入居地域が混在。それぞれの支援の形態は異なり、多様な活動が求められる時期でありながら、社会全般的に震災への関心が風化しはじめる。 (2011.09.02. at 09:05:23)


(4)震災から半年。瓦礫撤去のような労働支援、給食支援といった直接見える活動の他に、仮設地域の運営支援、住民の生活相談など、ソフト面での支援も重要。生活保護の必要な世帯には行政への仲介を後押しするのも大事。個別の状況を見極めた支援が必要。現地ボラさんへの資金支援はさらに必要。 (2011.09.02. at 09:17:21)


(5)何と言っても、今回の災害復旧活動の従来のシナリオを完全に狂わせたのは原発事故である。東京にいると、福島発の情報は原発関連に偏り、宮城発の情報は逆に原発絡みは少なくなる。東北大の堀田さん、仙台の津田さんらが発信される放射線データの情報がツイッター上ではありがたい。 (2011.09.02. at 09:25:44)


(6)私の印象では、[津波]被災地はまだ復旧段階。復興はビジョン提示段階で、その後に住民との対話・合意形成が必要。被災地の多くは震災前には過疎、不況に喘いでいたこと。震災前の水準に戻すだけでよいのか、それ以上の何かを復興策に求めるのか。 (2011.09.02. at 09:45:01)


(7)今、心配しているのは被災地を食い物にするような便乗商法や詐欺。支援どころか、いわれの無い差別を助長する哀れな人々。記憶が風化する裏ではいつもこういう悲劇が拡大していくもの。被災地のボラの皆さん、可能な限り連携してください… (2011.09.02. at 10:10:52)


(8)支援内容の見極め、役割分担については、できる限り地域行政が円滑に進むことを目標にしなければ、不毛な対立しか生み出さない。前に述べた生活保護受給などはその一例。本来、生活困窮の支援は行政に委ねるべき。そのための税であるから。 (2011.09.02. at 10:19:25)

   地震直後からの各フェーズの課題(了)


今日は、突然、当研究室出身のOBたちが訪ねてきて、さっきまで飲んでいた。こんなこともあるのは、たまには良いかも。震災後のホッと一息。
(2011.09.02. at 21:00:38)


【震災後・半年】一部には釈迦に説法だが、被災地向け備蓄用物資の更新と追加にも支援を振向けるべきだろう(自治体経由で)。今回の台風被害でも分かるが、国内どこでも備蓄が必要。復旧途上でも備蓄は必要。支援実践と防災意識増進で一石二鳥。 (2011.09.04. at 07:31:00)


地震津波・台風豪雨と連続する自然災害に、今更ながら、この東アジアの一地域の歴史と環境を見つめ直す。虚無に襲われるか、未来を信じて前に進むか。いずれにしても、即効薬はない。 (2011.09.05. at 06:12:50)


EM菌に関する河北新報の古い記事がまだ出回ってるのか… (2011.09.06. at 13:47:47)


台風12号による死者・行方不明者の計105人(読売・7日朝刊)。平成になってから最悪の被害。被災された皆様の一刻も早い安全確保を願います。 (2011.09.07. at 06:40:38)


震災直後にもつぶやいたけど再度。3月の震災で多くの老人ホームや介護施設が津波、土砂崩れの被害にあったが、多くの類似公共施設は地価の安い所、つまり災害時には危ない場所も含んだ立地条件に建設されやすい。真っ先に災害弱者となる人たちの収容施設がこれではまずいだろう。 (2011.09.07. at 12:45:26)


これまでも生きていくことは大変だったはずなのに、「個々人に訪れる不運」のレベルで、何となく思考を止めていたのが大抵のケースなんだろうな。程度の多少はあれ、百万人単位の人たちが同時に不幸に放り込まれている現在。どんな言葉が救いをもたらしてくれるのか? (2011.09.08. at 06:27:52)


震災半年経過の新聞記事


震災半年を迎え、全国紙はそれぞれ特集記事を組むだろう。今朝、私が見たのは読売。ぶち抜き3頁。女川町の復興計画紹介に1頁。それは良いとして、沿岸市町村ばかり取り上げ紹介する方針に私は疑問。内陸部は建物被害、風評被害も甚大。同等に統計等を入れてほしかった。 (2011.09.08. at 07:51:09)


読売特集記事は復興対策に向けた課題を幾つか挙げているが、何を紹介するにしても、震災前のデータを提示した比較が必要だろう。震災前の各自治体の人口、税収・予算規模、被災地の国内GDP比率、等々。そのようなデータがあれば、復興に必要な経費の現実感も増すはずと思う。 (2011.09.08. at 07:58:27)


読売震災特集の感想。結局「復興」と言っても、それを担保する資金とビジョン、イニシアティブがまだ無いわけで、どうしようもない。(自治体負担が重すぎる…)どの記事も最後には「だから、どうすればいいんだ?」という後味の悪い絶望感を残すばかり。 (2011.09.08. at 08:07:23)

   震災半年経過の新聞記事(了)


反原発派と科学者 雑感


放射能の人体への影響は長期的。何か起きても、過去の公害裁判のように因果関係を立証するのは至難。そもそも誰に頼って立証して補償を勝ち取る?この問題を理解し、協調してくれる専門家だね。そんな専門家を探さない、育てない運動は、最初から負けてるよ。相手は一番手強い国だからね。 (2011.09.08. at 08:30:34)


放射能関連で将来の訴訟を闘いたいなら、信頼できる専門家との協調戦略は必須でしょう。ではどんな人が信頼できるか?煽らない・人の話をちゃんと聞く・証拠を挙げる・疑問は確かめる、科学コミュニケーションのうまい人。少なくともマスコミ著名人で、素人に矛盾を突っ込まれるレベルはダメね。 (2011.09.08. at 11:04:20)


くどいけど独り言。今の訴訟システムで勝訴するには、そのシステムが妥当とする合理性を備えた議論ができなきゃダメ。トンデモ科学や陰謀論は無理。訴訟に勝ちたければ現在の合理性を前提とした科学者と協調するしかない。もしいなければ適切な人材を育てる努力をすることです。 (2011.09.08. at 11:44:16)

   反原発派と科学者 雑感(了)


新宮市えらいなあ。外国の住民の方がいらっしゃるのかもしれませんが、英語でツイッターを発信。 (2011.09.08. at 15:46:15)


知者の愚と、愚者の知。いずれを採るべきか。   (2011.09.09. at 00:26:52)


はーーっ? 辞めたんか? (2011.09.10. at 20:25:21)
※復興大臣が失言がもとで、着任後数日で辞任したことを受けて。


東北独立… それしかあるまい (2011.09.10. at 20:26:27)


いつぞやの国々の歴史を振り返るまでもなく、ニヒリズムと破滅主義が蔓延するのを危惧している… (2011.09.10. at 20:40:05)


震災から半年。カレンダーの上では分かっていても、虚ろに積み重なった時間ばかりが過ぎていたのではないかと自問。自然が人間のためを考えてくれるわけがないのは当然だが、だからこそ、人間が人間のことを思いやらねば何とする?朝の秋空を仰ぎながら。 (2011.09.11. at 06:17:21)


今日の午後は会合があり、一人の時間を取れないので、今、半年経過後の追悼の意を。どうか安らかに。 (2011.09.11. at 06:26:20)


最早、夏ではないが、この夏ほど芭蕉の一句「夏草や 兵どもが 夢の跡」を強烈に思い起こさせられた時はなかった。茫々と広がる津波跡の緑。人間の営みを覆い尽くしてしまった水と草。車を停めて一人佇んで聞いた、風の音。 (2011.09.11. at 06:43:58)


一月毎の節目には反省やら展望を記すことにしているのだが、今月は社会的な規模の無力感・虚脱状態に襲われ、何とも… ろくな検証もせず、大臣の言葉尻をとらえて弾劾するような大新聞が、どれだけページ数を割いて震災復興特集を組んでも、空々しいだけだ。読む気が失せてしまった。 (2011.09.11. at 07:39:52)


単純な時代の比較はできないが、幕末の幕府中枢機能はボロボロだった。今の内閣に相当する老中たちは、平時で何事もなければ任期無し。しかし幕末はみんな数ヵ月単位でコロコロ辞めていった。江戸城開城を仕切った勝海舟なんて、本来なら口すら出せない身分の人。今の日本に当てはめてみたくなる。 (2011.09.11. at 07:52:05)


そうか。首相が所信表明演説するまえに、大臣が一人辞めたことになるのか… (2011.09.13. at 07:35:41)


(漠然とした印象) この数日、紀伊半島の災害関連情報を集中的にRTしている。海津波・山津波の差はあるが、震災・台風の両被災地が抱える災後直後の課題はほぼパラレルであることに気付く。(1)交通の寸断、(2)老人世帯比率の高さ、(3)被災地域内の情報格差、(4)一般ボラのアクセス難。 (2011.09.13. at 15:54:06)


今朝のTLを見てつらつら思ったこと。宮城県と岩手県の間で、最低賃金の格差(岩手<宮城)があることと被災地の建築許可条件が違う(岩手が緩い)ことから、両県境付近では労働人口の不均衡が生じるのではないかと予想。 (2011.09.14. at 13:23:48)


一関市長・勝部修氏講演


昨日午後、一関市大東町で学生復興支援会主催のシンポに参加。陸前高田の関係者、後方支援の一関市関係者がバネラー。隣町同士の関係で、支援をする側・受ける側が本音を出しあえたよいシンポだったと思う。 (2011.09.18. at 08:10:24)


基調講演は一関市長・勝部修氏。被災地でありながら沿岸2市(気仙沼・陸前高田)への後方支援の陣頭指揮をとった首長。講演は震災以来つけられた手帳を見ながら。以下、印象に残った内容をメモ風に記します。 (2011.09.18. at 08:18:33)


市長;発災日は15時に対策本部設置。TVで沿岸の津波を知り、気・高両市に職員派遣。11日は市内対応。被害はさほど無いと判断し、後方支援体制も並行。(だが一関市の被害は4月7日の余震の方が甚大であった…) (2011.09.18. at 08:27:39)


市長;震災直後に不足したものは4つ。水・電気・燃料・情報。(勝部市長のすごいところは、自らツイッターをフル活用して発信、情報収集したこと。相当威力を発揮したことがうかがえた。) (2011.09.18. at 08:34:09)


一関への燃料・電気供給は岩手県内で一番不利な位置にあった。ガソリン供給は日本海側経由で青森から南下(一関が最南端)。宮城県北民も北上して給油に殺到(すみませんでした…)して逼迫。電力も雫石変電所から順次南へ復旧。超耐乏公務を強いられる。 (2011.09.18. at 08:40:53)


市長のツイッターには様々な救援要請が殺到。それらを適宜さばかれた手腕には感服した。救援にはロジスティクス的思考に根差した指示を臨機応変に出されていたと感じた。もちろん失敗や間違いもあっただろうが、ツイッター経由の機動的支援の強さは確かだと痛感。(佐藤の感想) (2011.09.18. at 08:49:04)


市長;被災2市へ公用車提供、常駐職員派遣。派遣にあたってはミスマッチの無いように綿密に打ち合わせ。どのような役職、年齢構成の職員が必要かを確認。「市の行政事務は、県や国ではなく市の職員が一番よく知っているから」という発想で支援。 (2011.09.18. at 08:55:55)


後方支援もこれからだという時に、4月7日の余震。一関はこれで甚大な宅地・農地被害を被る。花泉地区周辺では地盤の陥没が多数。原因は二つ。戦後すぐ、この周辺で亜炭を掘って地盤が軟弱。もう一つは貝塚が多く、昔からここでは掘った貝殻を砕いて肥料にしていた!こと。 (2011.09.18. at 09:06:50)


余震の対処と並行して後方支援も。仮設住宅建設後は支援両市からの住民への情報提供が課題に。一関では市の広報紙に両市の広報もセットにして配布。一関のHPから両市の情報も落とせるように配慮。避難所の巡回職員は保健士・栄養士・事務を三人セットにして回らせた、など。 (2011.09.18. at 09:14:30)


(配布資料から)一関市の後方支援実績。9月1日現在、職員による人的支援、延べ4405人。ボラ宿泊受け入れ、30023人。一関市への避難者(個人宅も含む)、642世帯・1579人。 (2011.09.18. at 09:24:53)


市長講演にコメントをしたが、その後のパネル討論は地元の人たちの支援に関する本音が聞けて有意義だった。(詳しくは報告書が出たらまた紹介したい。)まず、支援側と受ける側が意見交換し、それを地元住民が見守っていたこと。これは大都市のシンポではなかなか実現しない。 (2011.09.18. at 09:34:53)


地元出身の若者たちが企画運営し、参加者にはジージ、バーバから高校生までいたのもよかった。100名ほどの参加者でも密度の濃いシンポだったと思う。地元の人たちも何かを考えるきっかけを見つけてくれたにちがいない。 (2011.09.18. at 09:41:16)

   一関市長・勝部修氏講演(了)


今日は震災後初めて、自分の専門分野に近い内容の支援をすることになりそう。文化財レスキューのわけだが、こればかりはもう、臨機応変に動かないと… (2011.09.18. at 11:26:08)


今回の2000kmの旅で、通過だけした県も含めれば東北の5県を走った。東北の様々な地域と姿を見て、仙台に戻ってきた時の印象は、凄まじいまでの都市の巨大さであった。宮城県の仙台への一極集中はあらゆる分野に影を落としているように見えた。 (2011.09.19. at 11:26:12)


山本知事時代の方針で、仙台の都市整備が進められたと思う。それで政令指定都市にもなったが、相対的に石巻や古川・白石の中核都市機能が脆弱になったのでは?と思う。今回の震災の対応にそれが露呈したと思う。岩手の一関、青森の弘前のようにある程度自立的に動ける中核都市は重要だと痛感した。 (2011.09.19. at 11:33:40)


自分の命と生活を、災害から守るために、遥か遠くで決定される政治の事情を待ってはいられない人が多数いる。せめて、逃げるしかない人たちに不幸の追い撃ちをかけるような政治だけはやめてほしい、と言わざるをえない情けなさ… (2011.09.20. at 07:32:40)


災害情報ツイートの推奨事項。(1)発信の日付と時刻を入れる。(2)情報源を明記する。(3)公的機関・報道機関の情報を優先する。(4)憶測、伝聞記事はRTしない。 (20日16:39) (2011.09.20. at 16:38:28)


ラジオ放送局による災害情報ツイートで、「……のようです」という情報拡散はいただけませんね。 (2011.09.20. at 17:16:10)


もしも私が、企業や組織の小狡い広報担当だったとしたら、さりげなく今のタイミングで、会社や組織のネガティブな情報を開示します。台風やら水害のニュースに押されてその情報は小さい扱いになりますからね。そういう方面のウォッチも、誰かよろしくお願いします。 (2011.09.20. at 21:09:01)


今月の台風被害には心よりお見舞申し上げます。この半年、震災・豪雨・台風×2を受け、全国の被災地はまさに「賽の河原」状態。月並みの言い方だが、この経験を将来に適確に生かすより他ない。自然は人間の都合を待たない。動ける内に、改善できる内に、次の天災への備えを。行政の機動力強化を。 (2011.09.23. at 12:23:27)


「賽の河原」では地蔵様が救ってくださるが、現世は、人間を救うのは人間しかいない。今は目の前の危機を救うことが大事。例えば、三ヶ月前に立てた工程表を実現するために、突貫作業を被災地で断行するというのは安全軽視の本末転倒。緊急にすべきことは生命維持と生活再建。支援の第一段階に戻る事。 (2011.09.23. at 12:41:58)


地盤沈下対策や鉄道再建等にはじまる復興は、大きなお金の流れが前提となって動き出すもの。しかも復興は、地域を災害以前の水準に戻すことだけでは解決にならないのも現実。それが成り立たないとなると、地域から人口が減少するのは当然。 (2011.09.24. at 02:45:49)


支援思想らしきもの


先日、国際ボラ組織の人と話して印象に残った言葉。「支援で大事なのは支援漬けにしないこと。麻薬みたいなもので依存心ばかり増えて抜け出せない。日本は先進国だからそんなことはない、というのは幻想。だから我々が配るのは必要最低限のスターターキットだけ」 (2011.09.25. at 05:58:45)


このボラ組織は難民キャンプ運営など、幅広い実績を持つ。今回の震災でも物資支援、幼児の保育環境支援など、主として南三陸町以北で活動。それで、現在は経済流通の正常回復を目指して、現地商工会議所の後方支援に軸足を移しつつあるとのこと。現場の見極めと引き際が大事なんだと思わされた。 (2011.09.25. at 06:04:47)


震災対応は、もはや精神論を振りかざすだけではどうしようもない段階に来ていると思う。現地に熱烈な意欲があっても、周囲や政治の側に、共感と具体策・資金の流動性の保証が無ければ、人の流れは安易な方向に去ってしまう。知恵と資金(雇用)。 (2011.09.25. at 06:41:36)


支援する側の最終目標は何と言っても、「支援を無くすこと」。そして支援される側の最終目標は、生活や人権を含めた「人間としての尊厳を回復すること」。だから、支援のゴールも提示せず、被災地を支援漬けにしてしまう行為は、人間としての尊厳を踏みにじる事になってしまう。 (2011.09.25. at 07:39:09)


日本は災害が頻発するからそうなのか、支援思想が貧弱だからそうなのか、原因は分からないが、従来の災害対策はほとんどが、局所的発災・短期終息を前提にしていたようだと、自分も含めて反省する。さらに、最初の被害が終息する以前に次の災害が襲うシナリオを想定していただろうか? (2011.09.25. at 07:51:51)


それで思ったのが、今月の二度の台風。支援の優先度をそれぞれの個人・団体が考慮すれば、人命救助、避難所確保、交通路とライフライン復旧、情報共有といった第一次支援に立ち戻るべきことは必要だと思った。不特定多数への支援はそれが原則だとも思う。特定少数への支援だとそれは無理。 (2011.09.25. at 08:04:53)


二度の台風は記録的災害。支援側の対応も、自然によって試された。プロのボラの皆さんの尽力に頭を下げつつ、この半年、偉そうなことを言ってるにわかボラが、この一次支援にほとんど関与しなかったことには幻滅。自分自身も十津川・新宮あたりの情報拡散しかしなかったから大きなことは言えないが。 (2011.09.25. at 08:19:00)


支援活動(不特定多数向け)に終りを設定しておかないと、結局、次の支援すべき場面が起きた時に身動きがとれなくなるもの、と痛感した。家族や親類への支援の場合は今のままでよいだろうが、大規模災害が起きる度に対応できない不特定多数向け支援組織は信頼を失っていくのだろう、と。 (2011.09.25. at 08:36:00)

   支援思想らしきもの(了)


東北から社会変革を!と叫ぶ人たちもいるようだが、誰がその訴えに共感できるのだろうか?東北以外の人たちの冷ややかな目と、東北現地の目の前の現実に手一杯な状況を、ともに乗り越えて語れる社会変革のビジョンって、何だろう?… (2011.09.26. at 08:05:35)


学生ボラ。震災後半年を経過して、なぜそこに行くのかを自ら問うこと無しに参加するのは不毛ではないか?なぜ被災地と関わる?なぜいまだに学生ボラの仕事がある?ボラによってどんなビジョンを描ける?そんなアウトプットがなければ、学生としては、どうかと思うよ。 (2011.09.26. at 11:32:36)


くどいけど学生ボラ。半年経ったんだから、学期末レポート書かんとダメよ。自己実現とか自分探しのために被災地に来られたら、被災地は迷惑なだけ。出身地とか親類がいるならともかく、縁もゆかりもない土地に行くことの意味をはき違えちゃアカンよ。バイト代寄付した方がよっぽど社会貢献になる。 (2011.09.26. at 12:11:45)


勢いだけで支援ができたら、みんな苦労はしないよなあ… (2011.09.26. at 17:44:01)


電車の中吊りを見てたら、雑誌の見出しに産業の「空洞化」の文字。煽るつもりはないが、政治・安全・競争力などの諸条件を経営者の立場から評価すれば、日本にこだわる積極的理由は無いと言わざるをえないからなあ。加速するだろうなあ、空洞化。 (2011.09.27. at 05:33:52)


被災地の様々なものは、復旧できる。しかし復興にはほど遠い。何が復興を邪魔するのか。資本を呼び込もうにも、市場の成長性、魅力が無ければ無理。インフラ整備と労働力の確保は、過疎化地帯に重い課題。これまでの三セクなどの施策がほぼ全敗であるのをみれば、分かる。 (2011.09.27. at 05:51:20)


復旧はスピーディーに。復興は十年単位で考える、というのが現実的であろうか。そもそも、高齢住民が生活激変に対応するのは難しかろう。住民層の段階的更新を見越して、古い生活スタイルと、復興後の流入住民向けの新しい生活スタイルを共存させる工夫が必要だろう。 (2011.09.27. at 05:59:53)


意見や批判を幅広く受け入れねば、とは思いつつ、ツイッターはどうしても自分の趣向にあった人のみが集められていく。反対意見の人をフォローしても、ついついTLが長くなると、アイコンを見ただけで読み飛ばしてしまう。いけないことだと反省。でもまあ、過激な反対意見を見るのは疲れます。 (2011.09.28. at 07:50:56)


今日、南信濃や水窪、奥三河界隈を、図らずも150kmほど走ることになったが、山腹の大規模崩落を数ヵ所目視できた。これが人家の近くであれば、大ニュースになったはず。紀伊半島被害との地理的相違は、飯田・浜松・豊橋の三方からアクセスできる点か。半島の陸路は孤立しがち。 (2011.10.01. at 01:40:54)


青山から、渋谷の工事現場の中を通る。まさにコンクリートジャングル。人とぶつからないように歩く。ふと思えば、24時間前には山の中を一時間走っても人の姿を見ない場所にいた。どちらがよいということではなく、多様な生活と現実の狭間で生きる人間に思いをいたし続ける覚悟を強くしただけのこと。 (2011.10.01. at 15:43:18)


渋谷から厚木までの表示が「47km」。飯田駅から市内南信濃の八重河内地区がやはりそれくらいだから、距離感と空間認識は都内とは比較できないなあ。「都会と田舎」という対比は、言葉は単純だが、何の実質も表意しないように見える。さらにこれに震災被災地を重ねると、大変なような気がする。 (2011.10.01. at 15:52:39)


記憶の風化を嘆く人もいれば、もう思い出すことすら嫌だという人もいる。失ってしまったものを取り戻せないのならば、新しく作るしかない。だが、もはやそのような時間的余裕が残されていない方には、どうすれば安らぎを感じていただけるかを思案せねば。震災から7ヶ月が過ぎていく今日の雑感。 (2011.10.11. at 14:20:08)


単なる印象、という断り付きで。健康保険制度等が皆無に近い中国の街と、天災で突然生活基盤を喪失した被災地の様相は極めて似ていると思えた。平常な人と困難に直面する人がその空間内に共存している。「可哀想」だから支援するのではなく、故無き不利益を是正するという態度も共通に必要なのだろう。 (2011.10.11. at 16:19:48)


復興って何だ?と自問する数日。個人から自治体レベルまで、それぞれのゴールがあるはず、と考えること自体、何も見えていないのではないかと煩悶。復興のゴールを、現時点で設定できるのか? (2011.10.13. at 00:27:46)


日本語だと、復旧と復興の違いを明確に意識できる。災害以前の水準に地域が復旧しても、人・物・金の流れを以前より活性化させないと復興は不可能。展望・利益の見えない所に、投資は呼び込めない。では誰が展望を描けるか?そして、誰のための展望か?また自問。 (2011.10.13. at 02:48:03)


考察のために、敢えて最悪の想定シナリオを。仙台周辺以外の沿岸被災地に、適切な復興支援経費が見込めなければ、震災以前の過疎化・空洞化は加速。経費も、説得力ある展望が無ければ、後続経費を呼び込めまい。人口自然減・集落消滅で三陸のかなりの地域が無人化。これを阻止するには? (2011.10.13. at 06:34:36)


「正しく恐がる」だけだと非対称なので、「ただしく落ち着く」という態度も必要なんだな。 (2011.10.13. at 06:52:02)


被災地の抱える問題が経済・産業だけでないのはもちろん。今後の除染活動、風評被害、報道されにくい震災関連死、心理的ダメージ、これら諸々に起因する人間不信と社会不信ムードの蔓延。物資と金だけあれば何とかなるわけではない。さて、何をなすべきか? (2011.10.13. at 06:59:45)


自分に音楽や芸術の素養はないけれど、表現には人を動かす力があるのは間違いないと思う。学者たちがこの震災後の半年悩んできたように、表現の現場で悩み続けた人たちが大勢いたんだろうなあ、と当たり前のことを忘れないようにしていきたいと、突然だが思った。 (2011.10.15. at 07:39:34)


自分の生きている環境というか、生活世界を越えて意味のあることを語れれば、多くの人の共感を得る道は開けると思う。皆が皆、すべての問題に関わる必要はない。その問題を理解しようとする意志の有無が大事なんだな。 (2011.10.16. at 06:22:07)


被災地の復旧が進むということは、人・物・金の流れが震災以前の元に戻るということ。元々人の少ない地域だったなら、寂しさが出てくるのは当然。村祭りの当日・翌日の人出の違いと言えばよいだろうか。さらに復興というのであれば、定常的な人出を実現させることが必要。 (2011.10.17. at 10:12:26)


東北地方の中核都市近郊に作られた工業団地で、当初目標を採算ベース、雇用ベースで上回った成功例ってあるのかな~ 地域産業論の方に聞いてみたいところ。そういう参照例も無い所で新たな産業奨励策の提案は難しいのかな。 (2011.10.17. at 10:21:57)


人生、色々な場面で様々な役割を使い分けて生きていくのだが、まさか自分の人生の後半戦で、歴史的な不条理を体現する舞台の上に立つことになるとは… ぽっかりと開いた空虚な心と広大な大地を貫く何か。…被災地を故郷と同義語に置き換える、これこそ不条理。 (2011.10.18. at 00:27:27)


膨大な情報の中から必要なものを選別して、それを知らない人に教える手助けをする。これも災害時には立派な支援活動です。とかくこれまでの日本社会では、情報は無償で当たり前という意識が強いので、情報ボラは軽視されてきましたが、そんなことはありません。的確な情報提供こそ大事な支援です。 (2011.10.18. at 07:52:24)


ツイッター情報の多様さを毎朝の新聞に例えると、公的機関の公式発表、記者執筆の一般記事、意見広告、商業広告、地元商店街の特売チラシ、怪しい商品勧誘チラシ、…これらが同じフォーマットでTLを埋めると思えばよい。怪しいチラシは見れば分かるけど、ツイッターだと判別が難しくなるね。 (2011.10.18. at 08:10:04)


放射能をめぐる問題で迷ったら、やはり医療と同じように「セカンド・オピニオン」を求めるのが良いと思うよ。ただ一つの主張にすがるよりは余程まし。二つの違う見解を知った上で何が違うのかを判断する事が大事。周囲も決めつけを押し付けるのではなく、そういう方向に誘導できれば、なお良いのかも。 (2011.10.18. at 08:20:05)


【被災地のこと】今なお震災・台風被災地で尽力される皆さんに敬意を表し、一日も早い生活回復を祈っています。非被災地では将来の「減災」に向けた意識向上が大事と思います。記憶の風化、ボラの位置付け、復興プラン策定の是非などを巡り、減災を鍵にしてこれまでを再検証する議論が必要でしょう。 (2011.10.21. at 07:36:23)


【被災地のこと】自分を振り返れば、33年前の宮城県沖地震に遭っても、阪神淡路の時には1万円寄付しただけでした。継続して何かすべきだったのか?今も思うこともありますが、その時にできることを果たしたつもりです。問題は震災の経験を再検証したかどうかだと、半年以上経過して痛感しました。 (2011.10.21. at 07:52:45)


【被災地のこと】時間経過と共に、時事問題が新たに発生し被災地の比重が減少するのは当然。それは記憶風化ではなく、被災地だけに問題意識を集中できない我々の普通の状態。だから現代史としての記録作成と活用・再検証が、そのサポートをする。マスコミはあらゆる問題の「今」を切り取るだけ。 (2011.10.21. at 08:06:39)


記憶風化を防ぐようマスコミに何かを期待、というのなら、NHKは無理だが、民放スポンサーにそのような番組作成の意義を認めさせる活動、世論の盛上げも必要。震災番組提供企業の購買運動をするとか、広報担当にメリットを感じさせないと、特番はできない。なお報道番組は公平性の観点から勧めない。 (2011.10.21. at 08:34:32)


善意の金・悪意の金という二分法が許されるなら、悲しいことに悪意の金の方がスピーディーに動き回る。義援金や生活保障といった善意の金は手続き、公平性確認などで歩み遅く、詐欺やら便乗商法など、悪意で集められた金は疾風のように持ち逃げされる。同じ金だけど。 (2011.10.21. at 12:04:18)


今も各地のボラ・センからボラ募集のツイートを頂くが、持参すべき軍手やら金敷作業靴など、細々したものが必要になり、それで躊躇している人もいるだろう。だから、こういうボラセンこそ、作業用物資の支援、寄附を募ればよいのじゃないかと思う。ボラさんに手ぶらで来てもらってもよいように。 (2011.10.21. at 13:19:48)


支援の次の段階は、崩壊を免れた地域コミュニティーから、生え抜きの地方議員を生み出す運動の後押しかな。震災直後からの議員実績を住民がリサーチし、信頼に値する該当者がいなければ、自前で議員候補を育てること。住民の意思を地方自治に反映させる人を育てる取り組み。結局は教育ということかな。 (2011.10.23. at 09:11:27)


もちろん、コミュニティーが全員一致で何らかの「住民の意思」を持てるとは思えない。教育支援という限り、「話し合いをすることの重要さ」、「違った意見を許しつつ、それとどのように共存していくか」、「個人の幸福とコミュニティー機能向上の両立」を議論する方向付けを手伝うことが大事だと思う。 (2011.10.23. at 09:20:59)


後方支援や経済復興の一助として、起業家養成団体、起業アドバイス・チームはたくさんあるけれども、同じように、地方自治の実践支援という方向性も必要なんじゃないだろうか。 (2011.10.23. at 09:26:26)


だいたい、陳情・要請・対立扇動ばかりで何かを解決(あるいは粉砕)しようとしてきたのがこれまでの国政から地方自治までの悪しき習慣だったわけで、もう少し希望の持てる理想論を打ち上げるだけでもしておきたいというのが本音です。そう、理想論に過ぎないといわれる批判は覚悟の上で。 (2011.10.23. at 09:30:03)


被災地の支援が進めば進むほど、(成果が上がっていく裏で)不幸や批判も増えるのはやはり問題だと思う。自己満足の支援で突っ走られると現地は迷惑だし、住民間の嫉妬や不公平感はコミュニティーを分断してしまう。それが問題だ、と大っぴらに議論できる場すら地域にはない。。 (2011.10.23. at 09:42:46)


TLで見かけるようになった、被災地からの深刻な人口流出。コミュニティーの現状を知るには、市町村合併以前の旧町名区分で把握する必要あり。石巻市などはその典型。全市域の流出人数を知っても現地作業にあまり意味はない。雄勝町や牡鹿町など、それぞれの旧行政単位の情報が大事。 (2011.10.24. at 07:27:07)


遅い・早いはあるものの、土木建設関連で復興特需は必ず来る。一番、金が動く業種だけに、他の部門が霞んで見えるに違いない。だから特需が終った後の生き残り戦略、繋ぎ戦略を産業・人口・文化面から考えておくのがよいのかな… と思う。バブルは突然終るからなあ。 (2011.10.24. at 11:50:38)


耐久財の物資支援。レンタル→利用→回収→一部中古販売→活動資金→レンタル、のサイクルではダメか?問題点は何か? (2011.10.24. at 13:47:34)


この週末(金夜~月朝)、帰省も兼ねて宮城に行きます。市町村合併以前の統計データが気になるので宮城県図書館で情報収集、そして沿岸部を回ってくる予定です。若林区・野蒜・南三陸町、その他の状況を邪魔にならないよう拝見してくるつもりです。多分、車を使うのは年内これが最後かな… (2011.10.25. at 19:39:20)


被災地の課題に対して、ようやくマクロな対策が固められようとしている段階。住民個々人の課題は、メンタルから雇用維持まで多様化。支援形態もそれぞれの得意とする専門の知見を有効に投下できるようなものが望まれるだろう。そのためのきめ細かいリサーチが必要。 (2011.10.28. at 05:49:43)


今年は記録的な地震、記録的な事故、記録的な台風、記録的な洪水(タイ)、記録的な円高に見舞われた。さらに、人口は減少傾向。個人の無力を嘆くか、開く途があると信じて前進するか、気持ちの整理から始まるのかな… (2011.10.28. at 06:01:09)


被災地のマクロな課題への対策を施そうにも、住民減少・意欲喪失といったミクロな課題が立ちはだかる。どうすればいいのか。課題解決の順位付けがまず最初なんだろうなあ。だからいずれにしても、プロセスを進めるための資金が必要になる… (2011.10.28. at 06:21:13)


ある社会が「没落」していく、と皆が感じている頃には、目先のきく人がもう既に走り出していて何とかしてきたから、多分今までやってこれたような気がする。でも、その目先のきく人が、良い人か悪い人になるかは運次第なのかな。 (2011.10.28. at 08:22:47)


詐欺師は詐欺と自覚しながら行動するから、それに対する批判と処罰は容易。ニセ科学や怪しい話に基づく「善意」の押し付けは当人がそれを信奉している限り、他人からの忠告・批判を受け付けないから厄介。言葉での説得、議論ができない人たちといかにして交渉するのか、難しいなあ。 (2011.10.28. at 08:46:48)


偶然とは言え、日本とトルコに同じ年に地震が起きたということを後の歴史書は記録するんだろうなあ。 (2011.10.28. at 21:54:34)


国際的な地震としてはもちろん、日本人もお亡くなりになった、ニュージーランドも忘れてはいけないです。 (2011.10.28. at 22:04:16)