この薮原祭は江戸時代から続いている。少なくとも400年以上の歴史を持っているようである。
木祖村の郷土資料館に行くと、幕末の祭礼の様子が描かれた絵を見ることができる。参加者が江戸時代の姿格好をしているのは当然であるが、獅子舞の山車が全く現在と同じであることを確認することができる。ただ一点違っているのは、七夕飾りの竹を江戸時代は獅子の背中に直立させていることである。現在は竹を獅子の尻尾に見立てて後ろに取り付けている。これは近代になってから、電線が張り巡らされたことへの対応なのだろうと想像している。
その他にも、薮原出身の宮田敏(円陵、1810-1870)という漢学者が『岨俗一隅』という薮原の風俗を一書にまとめた書を執筆している。その中にもこの薮原祭の姿が生き生きと描かれている。『岨俗一隅』は名古屋市鶴舞図書館、名古屋市立蓬左文庫に所蔵されている。
薮原祭の主役は、雄獅子・雌獅子の両屋台、そして御輿の3つである。それぞれは薮原地区の自治会組織が責任をもって継承している。薮原地区にちょうど平行な形でJR中央線が走っている。名古屋方面に位置する自治会が雌獅子(下獅子)を、松本方面の自治会が雄獅子(上獅子)を担当する。その真ん中で薮原神社の正面付近に位置する自治会が御輿を担当する。この区別は厳格で、住んでいる場所によって区分けされるのである。
[雌獅子の獅子頭を屋台内部から撮影/2007年度祭礼で撮影]
[雌獅子の屋台の内部・子供たちが陣取っている/2007年度祭礼]
[雄獅子は幕を上げて獅子頭だけの舞を披露することもある。雌獅子では行わない。/2007年度祭礼]