算法稽古図会大成
暁鐘成 纂校並画
天保2年3月 刊
刊1冊
編者・暁鐘成(1793-1860)は大坂の戯作者として知られるが、この一書は彼の数多い著作の中でも異色に属するものであろう。体裁・内容は著名な算術書『塵劫記』のものを数多く借用しながら、編者による精細な挿図と、脚色が際立っている。
ここでは、西行上人が源頼朝から猫を拝領しながら、童にそれを与えたという題材をモチーフにした「継子立」の部分を掲げる。正確に言えば、この筋立ては継子立にはなっていないのであるが、本書の雰囲気を知るためにも、参考までに原文とともに掲げたい。(適宜句読点を入れた。( )内の仮名はルビである。)
「往昔文治二年八月十六日、西行上人鎌倉におゐて右大将頼朝公より銀にて作りし猫を拝領せられしが、西行原来名誉の僧なれば、この銀の猫をもののかづとも思はず、門外に遊び居る児童にあたへんとす。かくと見るより傍辺の児等、われもわれもとよりあつまり、手遊びの品とこころへ、われにたまわれよたまわれよ、といとかしがましく乞たつるに、西行上人もおほいにこまり、此児等を数ふるに既に三十人あつまりたり。然るに十五人は、由緒ある人の児と見へて、袴をつけ短刀を帯して賤しからざる形態(なりふり)なり。又あと十五人は、賤の童と見へて、其かたちいやしく言語のいひざまも鄙びたり。されども西行上人は貴賤を撰びてあたふるといへる心ならず、もとより依怙もひいきもなし。さるによつて此三十人をかくのごとくにならべたてて、よみはじめより二十に当るをのけ、だんだんにかぞへ、廿九人迠のけて残りし一人にあたふべし迚(とて)、しだいしだいにかぞへのけられしが、終に廿九人迠しりぞき、賤の童一人残りたり。やくそくなればこの童に銀のねこをあたえられける。かかりし程に此童の親出来たり。西行上人むかつていわく、かかる貴き品をわれわれごときの賤の身の手にふれなんこと恐れあり。身に応ぜざる宝をもつは、かへつて其身の災ひとなれは、此義はゆるし玉へとて、ひたすらに辞しければ西行も是を所理(ことはり)におぼし、しからば今一度此童よりあとへかぞへあたふべし、とてかぞへ直してのけられしかば、終に由緒ある公達壱人残り、是にあたへて上人は奥州をさして下られけるとなり。此公達は銀の猫を得て家の財とし、代々につたへて秘蔵せられしことなり。」
[西行上人を題材とした継子立]
[ねずみ算の挿図]