サトケンの吹奏楽指導法

ー吹奏楽部は「心の道場」ー

その129

2021212

佐藤憲一


「サトケン語録」より


=人は変わる=

 

〜環境 人 行動によって変わ

る〜


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環境によって変わった例


以下に述べることは本人がどのように思っているかではなく 私自身が彼と出会い 彼と行動を共にした中で 環境を変えたことによって 彼の生き方に変化をもたらしたという例である


あくまでも 私から見た彼の変化である


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Y先生という30歳にならんとする教師と出会ったのは昭和50年代半ば


津軽出身の彼がわざわざ南部の八戸にやってきた

しかも 全国至る所で中学校が荒れている時期にやってきたのだ


その時は なぜやって来たのか

知る由しもなかった


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バスケットボールが好きなだけに

どちらかというと大柄でがっしりとした体格であった 


メガネの奥から光輝く眼球を覗かせている いわゆる 眼力の持ち主だ


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彼は私と同じ3学年に配属された


もちろん 南部 八戸は初めてであり 地域にも疎く 生徒の名前すら知らない


しかし

1学期が始まるや否や


私の目に映る彼の姿は

行動 決断が早い しかも それは全て計画に裏付けされていた


つまり 最初から取り掛かろうとして実行したことだ


ほぼ毎日発行する個性的な字で綴る手書きの学級新聞 


一人一人の誕生日には主役を引き立てる計画 特に 母親からの本人宛のメッセージには胸が詰まったりもした


できる限り生徒たちが自ら考えて

行う学級会活動など


私にとっては目を見張るものばかりであった


学級新聞ひとつとってみても

生徒指導で追われる毎日の中

どう考えてみても自分ではできる訳がないと思った


それが朝になると完成していて

生徒たちに配付される

B5版の用紙に ところ狭しと ぎっしりと書き記してある


私の朝のホームルームとはまるで違う


凄い教師が津軽からやって来たと私だけでなく 周りの仲間たちもそう思ったに違いない


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中でも 学級経営 学級()活動が素晴らしく 全てが私の目に新鮮に映った


生徒たちに考えさせ 話し合って計画を立てる そして 自ら行動を起こし 評価・反省する


まさに 生徒たちの手による

Plan Do Seeである


一学期が過ぎる頃

学級は活気に満ちていた

生徒一人一人が実に生き生きしているではないか


学級()活動の威力をまざまざと見せつけられた


その2年後に学級活動研究会全国大会が本校で開催されるとは夢にも思わなかった


あとでわかったことだが 彼は学級活動を基盤にして 生徒一人一人を主役にして 生き生きと学校生活できる生徒像を目指していたのだ


彼の学級活動を一目見ようと

市内中学校はもとより県内外からも参観者がやって来た 

当日の教室は参観者で溢れ返っていたことは言うまでもない


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彼とじっくり話す機会があった


八戸に来た理由がわかった


父親の一言だ


「お前が 一生 教師人生を送りたいのなら 津軽だけに居てはダメだ 南部の教育にも触れることだ そうすることによって ひと周りも二周りも懐の大きい教師になれる」


つまり 彼は意図的に環境を変えて そこから今後の自分の教師人生を見出そうとしていたことが理解できた


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ふと 蘇った言葉が

「孟母三遷」だ


 ウイキぺディアより一部抜粋

子供は周囲の影響を受けやすいので、子供の教育には環境を選ぶことが大切であるという教え。

「孟母」は孟子の母。「遷」は移る、転居すること。


納得した


しかし 現実には難しい

そう簡単に決意してできるものではない


やはり 凄い男だ


その名は「山科 實」先生


現在もなお 弘前を拠点に教鞭をとって教育活動を続けている


ーつづくー