「誰かを創作で傷つけたくない」
こういった芸術大学の学生が増えているのだそうだ
私の周りは変わり者だったのでそんな話は聞かなかったが、そういった人が多いのは芸術大学のキャンパスに通っていた身として肌で感じた。普通に炎上とかを大きな声で話題にしているものはいたし
冒頭であげた発言は本人からすれば善意かもしれないけれども結局は数十年前から続いている自主規制という名の思考停止状態と何も変わっていない。
創作は人を傷つける。だから作家たちは主語を自分とし、行為に対して自覚的になれるのだ。それを「他人を傷つける」の一言ですますのはただの条件反射だ。自身の頭で考えたことではない。それはやがてバットが凶器になるからといって野球を規制するような滑稽な事態になってしまう
テレビの放送禁止歌たちは規制といってもあくまでガイドライン以上のものではなかったそうだ。しかも1988年に効力が切れてもテレビの現場では自主規制が続いたらしい。この放送禁止歌を扱ったテレビドキュメンタリー『放送禁止歌』の舞台裏を扱った本をよんだがもう20年以上前の話でありながらも先ほど挙げた作家たちの自主規制によく似通っている。
インターネットというのは私たちが如何に自分の行為に対して自覚的になれるかというのを試してきているのかもしれない。
荷が重い。実際に「じゃあ君はそんな覚悟があるのか?」と言われたら私は口ごもるだろう。おそらく私以外の人も自信をもって「ある」といえる人はいないはずだ。
放送禁止歌の規制も本来はガイドライン以上のものでしかなかったのがテレビ局がそれに追随するようになってしまった。私には現代の作家がこれと同じような事態にならないかが心配である