検察官は、当時安全部長で後に社長になったひとりしか起訴しなかった。
なぜか、それ以外の人間を起訴しても勝てる見込みがないと判断。その当時、安全装置にかかわっていなかったから。こんな馬鹿な話がありますか。法技術と自分の出世。負けて官僚として罰点がつくと、出世できないので、リスクを回避し、百何十人もの死者を出した事故をうやむやに葬りそろうとしている。
小沢問題で、正義感づらしている、検察官の人間性などこの程度。むしろ私利私欲に走っているやからと考えるのが検察官に対する正しい見方。
特に、その官僚としての特性が、検察官の人間性を腐敗させ、汚染させている実態を監視するべき。マスコミがこの仕事を放棄している以上、何らかのチェック機能を、作る必要がある。
その人間性=ミスすると罰点つけられて、出世できない。これが彼らの行動規範。正義など微塵も考えていない。 それと社会常識の著しい欠如。
具体的には、これでは、今後社長は、刑事罰の適用があるかも知れないことは、知らなければ責任が逃れられるということを、検察がお墨付きを与えたことになる。
企業は、利益優先で、結構法律に違反することをやっている。それに対して、汚いことは、部下にやらせ、あるいはやるように仕向け、いざ発覚したら知らないといえば済むということ。
官僚の無責任体質=高級官僚は罰せられないという原則を、同類の社長にも当てはめている。
安全にかかわることに、無関心だっただけでも、立件すべき。殺人罪にも未必の故意があるように、社長にも重大な問題を知らなければ、罰せられるようにしなければ、金のかかる安全を無視していれば、責任を取られないという模範を、(まるで検察官の人生観を反映している、)不起訴である。