おはようございます

さばとは、高機能自閉症(ADHD)の
高校2年生。
今日は、幼かった頃の話を
書きたいと思います











発達に遅れのあったさばと。
まだ障害受容のできていなかった母に
「この先追い付くことはありません」
とズバッとハッキリ言ってくれたのは
作業療法士さん。
それまで、もしかしたら遅いだけ🐌💨💨
そのうち、追い付くよね
と

淡い期待を持ちながら
療育に取り組んできた母。
まだ、診断もついていなかった頃でした。










転勤になり、長男を入れるつもりで
訪れた幼稚園で
「弟さんも是非どうぞ
」と言われ

2歳で入園した幼稚園は
障害児保育をしている幼稚園でした。
しばらくして
園長から
「息子さんは変です」と
またまたズバッとハッキリと言われた母。
まだ診断はついておらず
「療育に通いなさい」と説得され
モヤモヤしながらも
療育を始めたのは2歳の頃。
毎日、ロールマットで体をほぐし
さくらんぼ保育の療育をしていました。
「あ~」も「う~」も言わず
一言も言葉を発せず。
入園した頃は、トイレトレーニングも
まだ済んでおらず
それなのに園の方針で
幼稚園ではパンツ
もちろん家でもパンツ……
畳の上でジャ~っとされた日には
泣きたくなりました

オムツがはずれた時は
めちゃくちゃ嬉しかったです











あの頃、ズバッとハッキリと
伝えてもらえたこと。
今でも感謝しています

医師さえも
「まだはっきりしたことは言えない。
3歳になればわかる。」
など曖昧なことしか言ってくれず
どうして話せないのか?
どうしてこんなにも他人を拒絶するのか?
はてな?なことばかりで
わからないまま療育に通っていたあの頃。
なにくそ
と奮起して

頑張れたのは言いにくいことを
伝えてくれた2人のおかげ。
園長先生は、何年も前に残念ながら
亡くなってしまいましたが
作業療法士さん、元気かな?
最後の作業療法の時に
「頑張ってね。
お母さんなら大丈夫
」

と言ってくださったこと
見えなくなるまで見送ってくださったこと
一生忘れません。
作業療法士さんの
「お母さんなら大丈夫
」

あの言葉があったから
母はここまで頑張れました

いろんな人に助けられ
人の温かさを知り
今日もまた頑張ります。
今日も1日穏やかに過ごせますように🤓