はるくんとあゆちゃんの主治医の先生が、我が家の兄弟について論文を発表したと聞いていたのですが、




ネット検索で『これだ!』と完全にわかるものの、




ダウンロードは医療関係者のみ。限定。




でも論文見せて下さい~って病院に行くのもなぁ・・・




病院に電話してもなかなか先生に取り次いでもらえないしな~。





昨日、アロマ講習の講師をしてくれているともたんさんにその話をしたところ、




ご主人に聞いてくれ(ご主人はお医者様星)、




なんと論文のPDFをPCメールに送ってきてくれましたええ!!↑↑!!




息子たちのことなのですごい読みたかったので、




もーーー心の奥底から感謝感謝です!!




ともたんさんありがとうーーーハート。






印刷をかけてじっくり読ませていただきました。




まず、息子たちについて書いてくださった主治医に感謝です。




こうやって形に残ることで、息子たちの生きていた証の一つになりますよね。





はる兄ちゃんがあゆちゃんのサクションをする!といって、

あゆちゃんはお兄ちゃんのチューブを「これ僕のダヨー」と自分のお口に何度も持って行く姿


ずっとこの姿を見ていられる気がしていました。





印刷最中に、




『弟は在宅管理ができたが、1歳すぎに突然死した』




という記述に、思わず胸がグサッと・・・




いや、論文だから当たり前なんですよ。




可愛い盛りにお空に還っていきました~なんて書いてたら論文になりません 笑




ただ、ストレートな文字にちょっとだけぐさっと・・・♥akn♥





じっくり読んだことで、その時その時のことが思い出されました。




はるくんが産まれた時のこと。




くにゃくにゃで泣く力が弱く、ミルクを飲めず、口を閉じれなくて不思議に感じたこと。




この子はかしこいから無駄な動きをしないのかしら??と思ったこと 笑




挿管して呼吸器をつけた途端、手をパタパタと動かして、




『あぁ・・・呼吸、楽になったんだね・・・ずっと苦しかったんだね・・・』と。夫婦で辛かったこと。




NICUを出て、小児科に付き添い入院を長くしたこと。




抜管を試みたけれどどうしてもできなかったこと。




気管切開をしたこと。




在宅に帰ったときのこと。




何度も何度も肺炎と無気肺を繰り返したこと。




胃ろうの手術のこと。




入所したこと。




論文でははるくん7歳となっていますが現在9歳2か月。




7歳の時に発表されているのでそのままのようです。




あゆちゃんが産まれた時のことはけっこう最近のことなのでよく覚えています。




酸素与えてもチアノーゼが治らず、NICUに行くことに。




はると違って胸板も厚く、大きな声で泣き、手足をパタパタさせていたので




「元気な男の子ですよ!」って生まれてきた。




でもお顔を見た瞬間、可愛くポカンと開いたお口を見て、




「ミオパチーだ!」と私は一瞬で感じた。




NICUでも小児科でも、なんで哺乳弱いのか…不思議・・・不思議・・・という状態が続いたけれど、




あたしは「だからこれはミオパチーなんですってば。」と何度言ったかわからない。




ただ、ほぼ孤発例しかないミオパチーということと、




はるくんとあゆちゃんの重症度が少し違うこと、




はるは筋生検で病名確定していたものの、




あゆちゃんは確定診断になるものが無かったために




「医療関係者」として同じ病気っぽいねと軽々しく言えないだけで、




実はみんなそう思っていたのかな、とも思う。




あたしは絶対に間違いないと生まれた瞬間から思っていたので、




あゆちゃんがNICUに行って、哺乳力が弱いと言われても、『やっぱり』




活気が無いといわれても『だってこれはミオパチーだから・・・』




何を言われても、症状がミオパチーとしか思えず、みんな先生方が




「いやー、でもミオパチーではないと思うんだけど」という発言が不思議でならなかった。




たしかにはるくんより少し動けていたけど、




さすがあたしも3人目だけあって、




あゆちゃんの首の状態だって




健常のヒロキとは違いすぎて、この子首据わらないだろうな・・・というのもすぐ感じた。




はる兄ちゃんが居てくれたお陰で、あゆちゃんは筋肉を取る手術をすることなく、




血液検査だけで診断できた。




(はるくんと同じ型かだけの診断なので、他のミオパチーの子は多分筋生検しないと今も確定診断ができないのだと思う。)




はるくんは血液をたくさん取るのが痛くてポロポロ泣いてたらしいけど、




あゆちゃんのために頑張ってくれてありがとう。




数か月後、検査結果が出て、先生がなんとも申し訳なさそうに(?)




「いやーーー・・・・あゆちゃんも同じミオパチーでした・・・・」と話してくれた時、




落胆っていうよりも、「ね!?だから今まで言っていたじゃないですか!あたしはわかってました!」という気持ちと、




障害者手帳や小児慢性や手続きを思って、確定診断になってよかった。と思いました。




でも反面、「あーーー。だよね。やっぱりそうよね。」っていう落胆があったのも否定できないかな。





頸定・喃語の獲得ないまま1歳時に突然死・となっているけれど、




あゆちゃんは笑うときに「あっ・・・・」と発声しながらニコッとしたし、




指しゃぶりも指さしもしていたし、




たまにあぅーーーとかおしゃべりしてくれたし・・・




あーー。本当に本当に可愛いあゆちゃんでした。




でも、1歳としては発声が少なすぎたし、




きっと医学的に喃語ではないでしょうね。




その点はるくんは、呼吸器つけてたけど




延々とあーーあーー!!ってすごいしゃべって、すごいアピールして、




ある意味ものすごい生きる力に溢れた赤ちゃんだったのかもしれません。




成長と共に発声はできなくなったけれど、




動けないながらに、遊ぼうよ~遊ぼうよ~かまってよ~~!と




なんとか気が付いてもらおう、わかってもらおうというその力は、




9歳になった今も健在で、すごく成長を伸ばす力になっています。









ふと振り返るとあゆちゃんがおしゃぶりを付けていました笑



ひろき兄ちゃんはいつもあゆちゃん大好きで大好きで




毎日必ずお空や写真に向かってあゆちゃんに話しかけます。




いつも写真におしゃぶりをくれるんだけど、




自分が押さえてないと落ちちゃう…と思ったのか、



おやつで押さえるなんて子供ながらのアイディア賞ですねにへ






うちのあゆちゃんは本当に。




私たち両親とお兄ちゃんたちに愛されて愛されて




短いながらも幸せな人生だったに違いないといつも信じています。




あゆちゃん、はる兄ちゃんのことも守っていてね。






論文の最後に







重症児を2人抱えながらも、




明るく前向きに介護されていたご家族の献身に敬服するとともに、







残念ながら短い生涯を閉じたお子様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。







と書いて下さっていました。







ものすごい涙が溢れました。







論文はもしかしてそういう風に締めくくるものなのかもしれないけれど、







それでも私たち家族に思いやってくれたその一文にすごく励まされました。







先生、心からありがとうございます。







あゆちゃん、本当に短い人生だったね。







でも、あゆちゃんに会えた私たちは幸せなんです。







あゆちゃんにまた会いたいです。







本当に可愛い可愛いあゆちゃんだった。








みんな天使ママさんはこの気持ちを抱えて、







寂しくて泣きながら、今日も笑って生きているんだろう、と。







その気持ちを思いながら、








私も 今日も笑います。






END





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