浪曲漫画『東西美人伝』2 笠森おせんの巻(安本亮一画)

「東京朝日新聞」昭和10年(1935)6月23日
 
 この連載漫画は、6コマ構成で、漫画の右側にビッシリと絵解き(文章)が入っている。その冒頭は──
 
「エー引き続きまして東西美人伝、今日は明和年間、ミス・お江戸と呼ばれた笠森おせん──お古い所でお笑ひを一席申し上げます。
  ▼……▼
 向ふ横町のお稲荷さんへ、一銭上げて、さつと拝んでおせんの茶屋へ、腰を掛けたら渋茶を出して、渋茶よこよこ横目で見たらば、米の団子か土の団子か
という手毬唄も残つてゐる程でございますが、当時、江戸の三お仙といはれたのが浅草観音境内の水茶屋お仙、吉原の三日月お仙、それにこの下谷感應寺境内笠森稲荷の喫茶店に働いてゐた笠森お仙、それぞれ嬌名をうたはれてをりました。
 
 この手毬唄、私は亡妻に教わって知った。彼女の父親(明治生まれ)が歌っていたというのだ。メロディーや拍子も陽気で、楽しい唄である。
 
 20年くらい前だったろうか。三浦布美子がTV番組でこの手毬唄を歌いつつ踊る様子が放映された。アップテンポの唄で、忙しくきれいに踊る姿をみて感心した。録画する知恵が浮かばなかったのが残念である。
 
 三浦は、17歳でTV番組にも出演し、「最後の芸者」などと評判のたった舞踊家である。なで肩、ほっそり、面長、しなやかで敏捷、踊りも唄も筋がいいと、その世界では大人気だったらしい(当時の私は子どもで、老いた今でも不粋だから、別世界の話)。
 
 
 手毬唄のほうは、ネットで調べてみたら、「まかななこ」サンが、ブログでこの『向う横丁』の歌詞を紹介、踊りの動画までアップしている。感激した。彼女に大感謝申し上げたい。

 さて、漫画の紹介である。
 
1/6コマ目
ミス・お江戸を決める人民投票が日本橋で行われ、その実況中継をラジオ放送のアナウンサーが行う図。
 
 
2/6コマ目
予想に違わず、笠森おせんが、ミス・お江戸に。
 

 
3/6コマ目
喫茶店カサモリが大人気。そこに浮世絵師・鈴木春信が、秋の展覧会に出品しようと、おせんの姿を描くために日参。
 
 
4/6コマ目
春信が描いた傑作絵画『笠森おせん』。この漫画が発表された時期、帝国美術院の展覧会に文部省が口を出し、改組・統制を迫る大騒動が起きていた。
 
 
5/6コマ目
この大騒動は、結局政府のゴリ押しが通ってしまうのだが、この争いに嫌気がさした春信は、新美術院の会員とならず、個展を開いて傑作『笠森おせん』も展示。おせんの嬌姿と春信の気概に感激した江戸っ子が、展覧会に殺到する図。
 
 
6/6コマ目
美術院改組を主導した老中、個展と絵の評判を聞き、絵も見たいが、本物のおせんも見たいと希望したが、おせんに断られる。その返事をもって帰った使いが、「浮世はママならぬもの…」というと、「パパ」「ママ」などの欧米語に反感を持っていた老中、「浮世はおつ母さんならぬものぢやなアー」
 
 
 この美術院改組を主導したのが、文部大臣に就任した松田源治。彼は、パパ・ママという呼称が家庭で使われていることに、「もってのほか」と発言し、物議をかもした。
 
 安本亮一は美校(現東京芸術大学)出身、院展にも入選しているから、この美術院改組騒動には、大いに関心(反感?)があったに違いない。安本については、安本亮一の漫画_1をご参照願いたい。