ラヂオの月賦販売(徳田商店)


「東京朝日新聞」1935年(昭和10年)6月4日、第10面突き出し(二段正方形)
 
 ラジオ放送が開始(1925年)されてから、ようやく10年が経ったばかりの時期である。
 
 放送開始当初のラジオ受信機は、大金持ち以外はみな鉱石ラジオだった。また、高価な真空管ラジオはバッテリー充電式で不便きわまりない。
 
 それが、昭和4~5年(1929~1930)頃になると、真空管の開発・製造が進展し、電灯線から電源が取れるようになる。こうなると、真空管ラジオは国産メーカーがつぎつぎと新製品を出し、一般庶民でも手が届くようになる。
 
 写真のラジオは、上部が平らの四角い型である(以前は頭部が丸い、屋根丸型が多かった)。真空管の数は4つ。放送局が二つしかないから混信の心配はほとんどなく、検波や増幅などの機構は単純だった。
 
 真空管の小型化とともに、ラジオはどんどん小さくなる。四角の立体型が、その後は横型に変化する。でも、この時期は、まだまだ高いから、月賦で売るというのだ。
 
 徳田商店の所在地は、日本橋室町とある。三越本店のある辺りで、今秋できるという「日本橋室町三井タワー」の開発がすすむ一帯だ。徳田商店の、その後の消息は分からない。
 
 参考までに、この日のラジオ番組表をかかげる。放送開始は午前5時40分、最終番組は午後9時半からのニュースなどで、一日約17時間の放送。10年前の放送開始時より、4時間くらい放送時間が増えている。
 
 
 番組表のある紙面では、この日に放送される「連続ラヂオドラマ〝富士に立つ影″」や「清元」「二重漫談」「音曲噺・飛行機の遊び/柳家つばめ」などの紹介記事が併載されている。いまと同じやり方。