以前、村上春樹さんの言葉で
物事には、二面性がある
と載せたことがあります。
その本は
これ。
「村上さんのところ」
村上春樹さんに一般の方から質問を受け付けて、村上春樹さんなりに返答してくれる。
かなりの質問数があり、ちょっとおかしな質問から下ネタ、真剣なものまでたくさんあります。
いつもリハビリや受診で待っている間に読んでいます。
その中からグッと来るものを見つけました。
地下鉄サリン事件のある被害者の方が
自分は被害者ではなく、体験者だと思っている
と話していたそうです。
その理由が
「自分を被害者だと強く思うと、自滅するのではないか」
と言うことに気づいたからだそうです。
災難にあったと受動的に捉えるか。
心ならずでもあるが、自分が災難を引き受けることになったと、能動的に捉えるか。
確かに、私は被害者的な目線も未だにあります。一時より減ってはきて受け入れようと思っていても、「どうして私に降りかかったんだ」と言う疑問が、芽を出します。
村上春樹さんは「それで深く混乱し、傷ついてしまうこともあります」と書かれていました。
まさに、私がそうです。
私は、悩み混乱し情緒不安定になり、自滅の道にいっているのではないか、と悩みました。いろいろ励ましの言葉をもらっても、それすら疲れてしまい、励ましに応じることもできなくなると、結局全ては自分がそうさせているのではないか、と考え自責の念にかられて身動きがとれなくなります。
でも、この辛さと悲しみを、私は単に考えを変えると言うには、時間が必要でした。
「被害者ではなく体験者と見なすことによって、自分はこの世界に生きているという責任をたまたま自分なりに分担した」
と、村上春樹さんは解釈していました。
たまたま
この世界で不自由を感じる責任を私が分担した
と、体験者として捉え
この体験を一生かけてやりきる
と言う事なのでしょうか?
そう考えると
体験出来ることが増えたのか?
と、バカみたいな発想が生まれてきました(笑)
確かに足の辛さや向き合い方。
どうしたらこの足と付き合っていけるのかが、ようやく見えてきた所ではあります。
今日リハビリに行った時、まだ患者である自分に復職の不安がつのってきて、動悸してきました。
やっぱり、もうこの仕事無理かも知れないと、下を向いてしまいました。
その時です。
被害者ではなく体験者
と言う内容を見つけたのは。
体験者として、人生をまっとうする。
何かそこに意味があるのでしょうか。
まだまだ見いだすことに時間はかかりますが、もしかしたら人生をまっとうした時に、はじめて見えてくるのかもしれませんね。
私、全然ハルキストじゃないですけど、村上春樹さんの考えが好きになりました
やっぱり、毎年ノーベル賞文学館の候補に上がるだけありますね✨(こんなに言って、ハルキストさんすみません😣💦⤵️本当に、村上春樹さん凄いなって思いました🙇)