生きる権利の行使もままならない今の世の中にあって、なぜこんなにも“死ぬ権利”が声高に叫ばれるのか、私には不思議でなりません。死を恐れないと言ってみせることがまるで潔い態度であるかのように思い込んでいたり、どこまでも自分で自分を管理し“自己決定”できるものであると信じ込んでいたり、死というものを、同時に「生」というものを、まったくリアリティのないままにフワフワと夢見心地に捉えている(特にネット上に匿名で書き込まれる類の)声が少なくないような気がしています。

中でも、“(ALS患者に限らないものとして)目の端に「安楽死」という選択肢が常にちらつく中で生を営むこと”に対する想像力が欠如していると思わざるを得ない声のようなものが多いのには驚かされます。

ある夜に「死んでしまいたい」と思っても、いつかの朝には「もう少し生きていたい」と思える瞬間がまた来る。私たちは、その夜と朝を繰り返して生きてきたはずです。

「死にたい」と思ったときにその願いが叶ってしまったら、いつか来るはずだった歓びの日は絶対に来ない。

「いつだって社会はあなたに死を用意している」というメッセージが常に視界にある中で生きてゆかねばならない人生を想像してみてください。私の大切な友人たちも、かけがえのない家族も、もし仮にそんな選択肢が手の届くところにあったとしたら、もうとっくにこの世にはいなかったかもしれません。

社会に殺され、二度と会えなくなってしまう人をつくってはならないと私は思います。


「その人らしく、その人であることを変えることなく、どこまでもどこまでも幸せを追い求めて生きて欲しい」と私は思います。

一方で、私のその言葉を受けて、その人らしくあることが大事なら死という選択もその人らしさとして受け入れろ、と言う人がいます。

幸せであること、は生きることを前提にしています。生きていなければ、幸せも何もないからです。死ねて幸せだったろう、という感情や思いの押し付けは、生き残った人たちの「そう思いたい」という実に勝手な願望でしかありません。生きてこそ、人は幸せを感じるのです。


死んでしまいたいなら死なせてあげよう、という世の中は、誰かに「死んでしまいたい」と思わせたい世の中でもあります。

わざわざそのための法律や制度をつくろうというのですから、この世の中は自分のことを死なせたいのだろうと感じない方がおかしい。だから私は数年前のあの日、ニュースを知って社会に殺されると戦慄しました。

かの“独裁者”は「慈悲死」として障害者を「安楽死」させるよう命じました(ナチスドイツが“「安楽死」の名のもとに”数百万に上る人びとを虐殺したという歴史の事実をご存知ない方がおられるようなので、ここに念のため付記します)。

「私がもし治らない病気になってしまったら殺してほしい」「自分なら周りに迷惑をかけないよう死んでしまいたい」という言葉はヒトラーの命令と呼応します。

「安楽死」という手段・制度を使わない人への社会的圧力は、政治的な動きへとつながってゆく可能性を大いに孕んでいます。年寄りや障害者への“無駄な延命”は生産年齢世代への負荷にしかならないから、社会保障費が膨らみ財政破綻を招くから、“世代間格差”が広がり若い人ばかりが割を食うから---難病になれば、高齢になれば、重度の障害者になれば「安楽死」を免れない世の中を望むと言うのです。あらゆる治療は“延命”ではないでしょうか。目のくらむような巨額の国家予算が湯水のように費やされた施策の功罪を検証することは無しに、先ずは年寄りや障害者から彼らが生きていくための社会資源を奪い取ろうというやり方は効率的でも合理的でもなければ、正義の問題にも反するのではないでしょうか。これまで受け取り続けてきたものはゼロカウントにして、支払うものだけを数え上げるのはアンフェアではないでしょうか。将来の少子高齢化を十分に予見しながら、いっときの国家的豊かさに目が眩んだまま日本における過去の人口政策をここまで押し進めた人たちに対する批判は無しに、高齢者や障害者への人殺しを進めることでこの国の抱える問題の辻褄合わせをしようというトンデモナイ考え方を、なぜ人はこんなにもあっさりと受け入れようとするのでしょうか。

生産性や民族としての純粋性に最高の価値を置いていた“独裁者”ヒトラーですら「安楽死」に対する批判を恐れたそうです。一方で、令和の私たちは「自分なら殺されたい」「気の毒だから死なせてやろう」などと口にして憚らない。ヒトラーは正しかったなどと、私は口が裂けても言いたくはありません。

安楽に死ぬことを考えるよりも、まず皆んなで安楽に生きることを模索したいと、私は思います。



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2024年3月16日「報道特集」予告

(以下概要欄より引用)

安楽死について考えます。

日本では認められていない安楽死をしようとヨーロッパに渡る日本人が増えています。

一方で安楽死については安易な死を選択することになりかねないと強い懸念の声も上がっています。

「命の選択」を前に揺れる人たちの思いを取材しました。