私と主人は帰りの車で、看護主任さんから提案されたセカンドオピニオンについて話し合いました。

私も主人も、センター長の言葉から今の病院での限界を感じ始めていたので、もしかしたら今がそういうタイミングなのかなと、その新たな選択肢に少し前向きな気持ちではいました。

でも、決断までは至らず、家に帰って私の両親にも相談してみることにしました。

すると、「ずっとそうした方がいいんじゃないかと思ってた」と意外な答えが返ってきました。

母は私たちを気遣ってずっと言わないでいてくれたようでしたが、そうちゃんが搬送された直後に、主人とふたりでセンター長に会って話を聞いたときから、色々と疑問に感じる部分があったようで、セカンドオピニオンをした方がいいのではないかと感じていたと、この時初めて教えてくれました。

なんだかとても複雑な気持ちでした。

とても信頼していた産院の先生から紹介してもらった人なのに…そうちゃんの敗血症を一緒に乗り越えてくれた人なのに。

医師に求めすぎてはいけないと感じながらも、これほどまでに家族みんなが不信感を感じてしまっていたのは、おそらくセンター長の表現の仕方によるものだったのではないかと思います。

人間性が悪いとまでは感じていなかったし、きっと知識も豊富で素晴らしい先生であることは間違いなかったと思いますが、センター長の言葉からはなかなかそうちゃんへの愛を感じにくく、諦めにも感じる言葉の数々に何度も苦しんできました。

看護主任さんの言う通り、考え方もやり方も伝え方も人それぞれ…それが私たちとは残念ながら合わなかったのかなと、私自身も少し諦め始めてしまっていました。


タイミングとは不思議なもので、その日の夜、たまたまつけていたテレビで、あるひとりの医師を追いかけたドキュメンタリー番組がやっていました。

その医師は、肺に重篤な病気を持ち、色々な病院で治療が不可能と言われてきた女の子を救うため、僅かな可能性を信じて調べてはシュミレーションを続け、最終的には手術で無事成功し、その病気を治したという内容でした。

私は、その医師の手術の技術ももちろんですが、それ以上に、どんな状況でも諦めずにほんのわずかな光を熱心に探し求め続けていた姿勢に大きく感動していました。

他の複数の病院では治療が難しいと判断された病気が、たったひとりのこの医師と出会えたことで救われたと思うと、出会いは本当に奇跡なんだな…と感じました。

元気に退院して行くその女の子とご家族の笑顔がとても印象的で、私たちもそうちゃんとこんな風に退院したいと心から思いました。


センター長に何て言えばいいんだろう…
そう考えると少し抵抗を感じていたセカンドオピニオンでしたが、そうちゃんと退院する様子を思い描いているうちに、気づくと迷いはなくなっていました。


それからしばらく、センター長と会えない日が続き、やっと会えた若い方の主治医にセカンドオピニオンをしたい意思があることを伝えました。

少し戸惑った様子でしたが、それからさらに数日してからセンター長が私とそうちゃんのところへ来てくれました。

固い表情に覚悟はしましたが、出てきた答えはやはり厳しいものでした。


「何を目的にセカンドオピニオンを考えてるんですか?そこがハッキリしていないと紹介はできません。」

「それに今はやれることは限られてますし、そもそも人工呼吸器が着いた状態での転院は無理ですよ。」


やっと話せたというのに、結局、それは簡単ではないことを突きつけられただけで終わってしまいました。

相変わらずの厳しい言葉ではありましたが、そんなセンター長に慣れてきてしまっていたのか、多少想定内だったのか、それほどのショックはありませんでした。