センター長から夕方に話がしたいと言われた私は、すぐに主人に連絡をし、仕事を早めに切り上げて病院へ来てほしいとお願いをしました。

忙しそうではありましたが、大事なそうちゃんのことだったので、もちろん主人はすぐに了解してくれました。

そして、連絡を終えた私がそうちゃんのところへ戻ると、そこには看護主任さんが待ち構えていました。

「こんな急にお父さん大丈夫だった?!ほんと自分の都合ばっかり押しつけるんだから!」

どうやら私とセンター長とのやりとりを見ていたようでした。

忙しい中でそんな些細なことにまで気を回してくださった気持ちはとても有難く感じましたが、同時にセンター長に向けられているあまりの厳しさが少し気の毒にも感じてしまったので、私は全く気にしていないことを伝えました。

「あの人はちゃんと言わないと分からない人だからいいの!」

看護主任さんを始め、看護師さんたち女性陣はとても強くて、いつも目を光らせてくれていました。


最近のセンター長はというと、おそらく看護主任さんのおかげで、以前とは比べものにならないほどに接しやすくなっていて、特に敗血症を乗り越えたあたりでは一緒に喜んでくれたり、優しさも見せてくれるようになり、かつての不信感もだいぶなくなってきていたので、
もう少しセンター長への厳しさも和らいでくるといいな…なんて勝手なことを願ったりしていました。



夕方になり、検査結果を聞くために主人と案内された個室に入ると、先生方よりも先に看護主任さんが入ってきました。

「今日は私も入るから。」

私に任せなさいと言わんばかりの貫禄と存在感に私たちはどこか安心していました。

そしてセンター長が来ると、早速検査結果の報告がありました。

若い主治医の先生がパソコンで開いてくれたCT画像を見ながら、センター長がゆっくりと説明を始めました。


「エコーで見えていた肺のあたりの組織ですが、食道裂孔ヘルニアでした。」

「胃の一部が胸腔側へ脱出している状態で、この脱出してる部分がエコーに写っていたと思われます。
このくらい出ていると本来ミルクの消化も難しいので、これまで問題なくミルクを吸収できてたことが不思議なくらいなんですがね。
まぁ目には見えてないだけで、知らないうちに逆流してると思うので本人は辛いとは思いますが…」


初めて聞く病名に不安はありましたが、肺がもうひとつあるかもしれないと、想像すらできない状態を覚悟していただけに、思っていたよりも分かりやすかったその症状に少し安心している自分もいました。

そして、そうちゃんが逆流で辛い思いをしていると知ると心配にもなりましたが、手術で治せるものであるということだったので安心することができ、分からないことだらけだった不安と恐怖から少しだけ解き放たれたようなような気がしました。


ところが、次に出てきたセンター長の言葉に、私たちはまた悲しみに突き落とされてしまいました。


「元気に成長する見込みのあるお子さんだったら手術を勧めますが、そうちゃんの場合はそれもあまり期待できませんし、今は支障もなさそうなので手術の適応はありません。」


元気な子だったら…
逆流してるのに支障はないって…


これが現実なのだとは分かっていても、こんなにも色々な変化も見せてくれていて、いくつもの奇跡を起こしてくれていても、僅かな可能性を信じる感じはなく、積極的な治療をしないという方向性を知り、とても悲しい気持ちになってしまいました。


隣にいた看護主任さんは、厳しい表情でセンター長を見ていましたが、何も言わず黙っていました。


「それから腹部の腫瘤ですが、CTを見るとおそらく腫瘤ではなく腹壁ヘルニアではないかと。」

腫瘤とヘルニアって全然違うけど…

そうちゃんが前例のない難しい病気であることは理解していましたが、それにしてもあまりに頻繁に大きく変わる診断に、もはや何を信じて進んでいけば良いのかさえも分からなくなりつつありました。

これまで無理だと言われていたことも、少しずつではありましたが、確実にできるようになってきていたそうちゃんなら、これからまだまだ沢山の奇跡を起こしてくれるような気がして、私たちはどうしてもすぐに諦めることができませんでした。

そして、どんなに分からないことが多くても、難しい病気でも、ほんのわずかな可能性があるのなら、主治医には諦めてほしくありませんでした。

正確に言えば、諦めた訳ではなかったのだとは思いますが、諦めてしまったかのように聞こえる数々の言葉に私たちはとても複雑な思いでいました。

ここにいたら、もうずっと積極的な治療はしてもらえないのかな。

このまま先生の言うことをそのまま受け入れていって、本当にいいのかな。


そんな葛藤が私たちの中に沸き起こってきてしまっていました。