「今回ばかりは何か言ってやろうかと思った」

帰りの車の中で、主人は珍しくイライラしていました。

10年近く側にいる私でさえ、これまで怒られた記憶がほとんどないくらいに、いつも落ち着いていて優しい主人。
心配性な私は、その主人の性格に何度も救われてきました。

そんな主人をイライラさせていた原因はやはりセンター長でした。

「きっと、ああいう言い方しかできない人なんだよね」

理解しようとしつつも、悔しくてやり場のない複雑な感情が痛いほどに分かりました。

センター長のドライな雰囲気や冷たく感じる言葉を、どう受け入れていけば良いのかが分からなくなってしまっていました。

いつも同じようなことがある度に、気にしないようにと気持ちを切り替えてきましたが、これがいつまで続くのかと思うと気が遠くなってしまいそうでした。

患者家族がどんな思いで家族の病気と共に闘い、支えているのかを、きっとこれまでどの医師よりも見てきたはずの人があのような言い方しかできないのかと思うと悲しく、でも、きっとずっとそのようにやってきた人だから今更変わるものでもないんだろうな…となんとなく頭では理解していました。

できることなら、そんなセンター長の心を少しでもいいから開いて人間味のある話がしたいと願いましたが、簡単ではないことも分かっていました。

そして、言葉は冷たいけど、年齢的にも立場的にも誰よりも経験のある方だと思うと、主治医を変えてもらうことはそうちゃんの為だとも思えませんでした。

これからどうしたらいいんだろう…。


家に帰り、とりあえずセンター長の説明に納得できなかった私たちは、ネットでとにかく色々と調べてみることにしました。

同じような経験をされている方々の記事から大学病院の論文まで、とにかく手当たり次第に調べました。

私たちが特に気になっていたのは、寝たきりになると言われた『脳室拡大』について。

でも、調べれば調べるほど『重度の脳室拡大』と診断された子でも、元気に成長し、普通に元気に生活できている例が沢山あるのです。

『成長がゆっくり』という言葉も沢山見かけましたが、ゆっくりでもちゃんと成長している子たちが沢山いるのに、それぞれ状況が違うことも分かっていましたが、それにしても『中等度』と言われたそうちゃんが『寝たきり』や『長く生きられない』ともう決まってしまったことのように診断されてしまったことが、やはりどうしても受け入れることができませんでした。

ネットの中にはこんなに沢山の希望があるのに。

センター長の言葉に希望はありませんでした。

もう1%も可能性や奇跡はないのだろうか。

そうちゃんはもう諦められてしまったの?

どうしてもそんな気持ちが湧き上がってしまうのでした。


諦めるはずがないと分かっていても、センター長の言葉の節々から「もうお手上げです」と言われているような感覚に陥ってしまい、やはりもっとちゃんとセンター長とコミュニケーションをとらなければと強く感じていました。