名前も決まり、少しずつでしたが動けるようになっていることが嬉しくて、そうちゃんに会える日が近づいていると思うとそれだけで私はとても前向きな気持ちになれました。


そんな私の様子を見てくれていた先生も

「その調子だと思ったより早く病院に行けるかもね」

と嬉しそうに話してくれました。


でも、あとは腸が動いて食事ができるようにならなければなりません。
そのためにも麻酔の量もかなり減らしているようでした。


すると、傷の痛みや後陣痛に加えて、麻酔が切れてきたことによってそれまで感じなかった尿管の不快感や足腰の痛みが出てくるようになり、寝返りをするにも全身が痛み、また振り出しに戻ってしまったような、眠れない夜が始まりました。


身体は疲れているのに眠れなくて、
それでも2~3時間おきにそうちゃんのいない病室でひとり母乳をしぼらなければならなくて、このときばかりは、

早く時間が経たないかな。
早く朝が来ないかな。
喉乾いたな。
お腹すいたな。

あれほど前向きだったのに、少し弱気になってしまっていました。


そしてほとんど眠れないまま迎えた産後4日目の朝。

この日も昨日と同じく、主人はそうちゃんの病院に行ってから私の産院へ来てくれる予定になっていて、今日のそうちゃんの様子を主人の持って来てくれるビデオで観ることが、私の唯一の楽しみでした。

それだけで、どんなに疲れていても気持ちは少し軽くなりました。


そして、主人の到着を待つ間、
麻酔がすっかり切れて痛みは復活してしまいましたが、少し動かしやすくなった身体を起こしてみたり、脚を曲げたり、ベッドサイドに座ってみたりと私は早く慣らしたくて身体を動かし続けました。

すると看護師さんから、「調子も良さそうだし歩いてみようか」と提案していただき、やっと病室内を歩けるまでに回復し、不快だった尿管もとってもらうことができました。

一歩ずつ一歩ずつそうちゃんに会える日は確実に近づいていました。


午後になると、病院から帰ってきた主人が到着し、今か今かと待ち構えていた私は、すぐにビデオを欲しがりましたが、主人は少し申し訳なさそうな顔をしていました。

「そうちゃん、昨日と向きが違ったからあんまり撮れなくて…ごめん」


見るとそこには、ほとんどカメラに背を向けた状態のそうちゃんが写っていました。

主人は何も悪くありませんでした。
「仕方ないよ~」と言葉では前向きなことが言えましたが、それだけを楽しみに頑張っていた私は、たったそれだけで、心にぽっかりと穴が空いてしまったようなさみしい気持ちに襲われてしまいました。

それでもそうちゃんを感じたくて、小さな背中を何度も何度も見ていました。


そして、ちょうどビデオを見終えた頃、妊婦健診のときにお世話になっていた受付のお姉さんが突然病室を訪ねてきました。

「これね、さっき女性の方が届けてくださって。」

手には花束と紙袋が見えました。


そうちゃんが産まれてすぐに救急搬送されてしまって以来、「産まれたら連絡するね~」なんて呑気に伝えていた仲の良い友人たちにもなかなか連絡ができないでいましたが、この日の前日にやっと、そうちゃんが違う病院で頑張ってくれていることを友人たちに報告させてもらっていました。

そしてそのメールを見てくれた元職場で仲良くしてくれていた先輩が、花束と手紙と、そして私の大好きな麩饅頭を届けに来てくれたのでした。


私の産院は感染症予防から、入院中は家族でさえも主人と両親までしか入れないことを友人には伝えていました。

私に会えないことは分かっていたはずなのに、でもきっと、会いたいとかじゃなくて赤ちゃんが搬送されたと知って、いてもたってもいられなくなって来てくれたのかな…。
いつもの優しい先輩らしいあたたかい贈り物が、少し疲れてさみしくなっていた私の心に沁み渡って、感謝の気持ちでいっぱいになりました。


周りのひとたちに支えられていることに気づくたびに、辛いことがあったはずなのに、そうちゃんを出産してから色んなことに気づくことができて、私はとても幸せなんじゃないかとさえ思えるほどに、人のあたたかさに救われていました。