私達は神様から命を息を鼻に吹き込まれて

生きた者となりました。

 

吸気が私の中に入り生命は動きます。

呼気は、吸気を土台として私達のカラダを

巡り、右手より出力されます。

 

呼気は丹田より上方に左回りに流れます。

そして體も左回りに流れます。

 

カラダは呼気と同化しているためにその動き

なのです。左回り!

 

では、その中心となっているのは外的には心臓の

右回旋の動きなのです。(この心臓の動きは創造された

動きです)

 

吸気から呼気に変わり神様の呼気は流れます。

そして心臓 内的には心の動きを受け止める形をとります。

 

心臓の右回りの動きを受け止める形(左回り)となります。

しかし、この心の動きの土台は丹田から湧き上がる

左回旋の縦の動きが土台なのです。

 

そして下方からの縦の動きが心下部を押し上げその後

横の動きを誘発(人の意識)します。

 

人は湧き上がる神様の呼気を受け止めるために右手の

動きの土台となる右胸中の動きにより横の動きを誘発

するのですが、その動きが合わさるときに、私の心臓

は実体として右回旋をおこします。

 

すると縦の動きは目線を左下に横の動きは目線を

右下に引きます。

 

その合力で人の目線は決まります。

 

私の心臓の動きは神様の呼気が土台なのですが、

この呼気は私の心臓を回ります。

 

しかし、私も神様呼気を受け止めるために

心臓は右回りを起こし、主体の位置を仰ぎ見るのです。

 

心臓に目があればそのような目線になっています。

心突部は上方にあがり、右回旋をおこすのです。

 

心情的には神様は私の心を回り、私は神様の呼気を

自らの呼気として受けとめるのです。

 

心臓の動きは神様と私が共に対象の位置にあるとき

正しい動きとなります。

 

主体の神様が対象の位置で動かれ、私も対象の位置で

神様の呼気が自らの吸気となり、それが呼気として

動きの中に現れる時、心臓の動きとなり、内的には

心情の表れになります。

 

そう、愛したいくてたまらない。相手の喜ぶ姿を

通して喜びをえたい抑えがたい衝動となるのです。

 

神様と人は心情を通して愛を創造できるのです。

何いうことなのでしょうか。

 

人は神様との関係性の中から愛を創造できるのです。

心情のエナジー私の心に湧き上がるのです。

 

動きを通して神様の思想と出会いました。

動きの思想は愛の概念そのものです。

 

今日は七夕ですが、息と動きを深慮していたら

与えられた内容です。

 

愛の原動力 心情をエナジーとして生み出すのです。

 

この息を根底に右手が動くとき人の手は

神様の右手の代身となり得るのです。

 

不思議な感覚を時々、感じる時があります。

ああ、この人に神様の呼気を伝えたい。・・・

命の息を流すことができたらと・・・・

 

神様の動きを右手に感じる事が出来たら

どれ程素晴らしいでしょうか。

 

神様は何処におられるのですか。

私の心の奥深いところにおられるのでしょうか。

 

 

 

切ない気持ち の歌です。

 

【ルビ付き】LA・SOLITUDE / LAURA・PAUSINI(孤独を抱きしめて♪ラウラ・パウジーニ)をイタリア語で歌おう!【Ita.Jap.Eng.】 - YouTube