私の原点、それはナウシカ。
今から思えば、小学生の低学年の頃からすでに、鬱のようなものを抱えていた。
育児に不向きな両親の元に生まれ、自尊心は既にボロボロ、何のために生きているのか、将来の希望はどこにあるのか、早くも分からなくなっていた。
そんな頃、近所の家で1本のビデオテープを見せて貰った。
金曜ロードショーで放映されたアニメ版のナウシカだった。
私の家にはまだビデオデッキがなかったので、その家に遊びに行くたびに、見たい見たいとせがみ、30回以上は見せて貰った。
その家のお母さんは戸惑っていたし、NGを出されそうになったことも多々あったが、その家のお父さんは大抵いつもOKをしてくれた。
私にとってのナウシカが、どれほど重要なものであったかを理解されていたのかは分からないが、とても有り難かった。
その後、何度も何度も、このお父さんに感謝した。
それほど、私にとってはナウシカは希望の存在であり、可能性の存在であり、自分を丸ごと認めてくれる存在だった。
ナウシカを見ていなかったら、この歳になるまでに死んでいたと思う。それほどナウシカは私の心の支えになっている。
中学生の頃、ナウシカには漫画があると知り、アニメはその後に作られたものだ、とも知った。
すぐに、興味をそそられた私は本屋さんで立ち読みをした。
ワクワクしながら読んでいたら、私の知らないナウシカがいた。
蟲使いという種族に対して、穢されたと怒っていたのだ。
怖くなって本を閉じた。
私は自身の穢れを自覚していた。
ナウシカがもし私の特徴を否定するようなことを言っていたらどうしよう、と激しく動揺したのだ。
あれから約30年、時々、そろそろ漫画のナウシカを読んでみようかな、と思うこともあったが、
そのまま忘れてしまうこともあったし、わざわざ買うのもなんだか、と思えて行動しなかったり、色々考えた挙句にやはり読まない、という選択をしたこともあり、結局は読んでいなかったのだが、
最近、息子の為にと通い出した図書館に、ナウシカのアニメーションブックが展示してあるのを主人が見つけ、漫画、久しぶりに読んでみたいなぁと主人自ら積極的に在庫を調べているのを見ているうちに、
今が読み時なんだなと感じた。
ラッキーなことに、荒川区内でも自宅最寄の図書館にのみナウシカが置いてあったので、すぐさま借りに行った。
貸出中となっている巻もすぐに戻ってきてスムーズに読むことが出来ているのも、とても有り難いことと思う。
今、7巻を読み始めているが、ここまでの間に、私の中で凝り固まった、
ねばならない
が、急速に解けていくのを感じている。
すべてあって、すべてよし
そういうものが、漫画全体に流れているのを感じる。
憎しみや悲しみ、ねたみ、執着、殺戮、そういったことも、希望や夢、幸せと同様に、ただひたすらに受け入れられている。
取るに足らず穢れている己でも、自由自在に考え、思い、生きたいように生きろ、と、強く肯定された気がしている。