先日の膠原病内科受診で
プレドニンが1mgになりましたおねがい

体調良ければ年内に
脱ステロイドできるかも。

忘れていて
昨日も一昨日も2mg入っている
分包を飲んでしまったので
今日から1mgなんですが。


22歳7ヶ月の時に入院して
飲み始めたステロイド。
もう20年近く飲んでるんだね。

もし0に出来たらすごいな。

わたしがすごいんじゃ無くて
医療の進歩がすごい。


SLEが分かった時
ステロイドで治療するって言われて
その薬がすごい効果だった時
その時も「すごいなぁ」と思った。

ステロイドが開発されたのは
1950年代。
それまで膠原病になってしまった人は
痛みと共に生きるしかなかった。

SLEは内蔵含め全身がやられるので
8割以上の人が亡くなっていたが
ステロイドの開発で
亡くなる人は劇的に減った、と知り
本当にステロイドと開発者に
感謝したんだよね。

「お父さんが産まれた頃に
同じ病気になった人は亡くなって
しまっていたのに
今わたしは治療してもらってる」
“完治はなくても投薬で
病気と付き合っていこうね”と言われて
「今の時代に生まれてなかったら
死んじゃってた病気なんだ」
って
すごく不思議な気持ちになったのを
よく覚えてる。


ステロイドをある程度減らし
そこからは量はそのまま。
「減らないなぁ」と思った頃に
「腎臓があまり良くない」と言われて
免疫抑制剤を飲む事になったんだよね。

このくらいでたしか
わたしは旦那と知り合って
先のことを考えて不安になってた。

だって内蔵に悪いところあるのに
もしかしたら結婚して…
子供も欲しいし…
でもそんなの可能なのか?って。

でも免疫抑制剤が効いて
腎臓は良くなった行った☺︎

ステロイドも
ずーっと少しずつ減らしていたけど
「軽快者は負担金増えるみたいですけど
わたし元気だから軽快者になりますか?」
って聞いた時に

「サトさんの数値では
この先軽快者になる事はないから
変な言い方だけど…安心して」
と言われて

「え、わたしって軽い方じゃないんだ」
と錯覚を起こしていたことを知りました。


30歳くらいの時に
「ステロイド歴が長いから骨密度
測っておこうか」
と言われて測った時には
もう同世代の骨密度よりカナリ低く
「でもまぁステロイド飲んでるからね。
骨に良いもの食べようね」
っくらいだった。


息子に授乳を2年間もして
その少し後だったしね。


定期的に骨密度測れば良かったのに
全く測らずに娘を妊娠して
つわりが終わって1ヶ月した頃
背中の激痛と共に背骨がどんどん潰れた。

陣痛が来ても背中の痛みは激痛で
でも陣痛の時だけ
痛みがお腹になる。

背中の痛みを消してくれて
陣痛は最高の痛みなんだな〜と思いつつ
2ヶ月ぶりに背中が痛くないことが
快感だった。

骨密度は寝たきりになるおばあちゃん並。
「でも母乳あげるから
治療薬は使えないもんな〜」
と言われた。

動けず歩けず半年も寂しい思いしてる
息子の為に
どんどん大きくなる娘の為に
母乳はやめる事に決めて
毎日注射を打つ事にした。

これが骨にはよく効いて
みるみる元気になった。


でも産後は体がボロボロで
妊娠前より3kg減っていて
食べれなかったから皮膚もボロボロ。

皮疹がすごくて
「ステロイドを減らしていこう!」
なんてとてもとても無理だった。

むしろ、膠原病の方でも
自己注射を始める事に。

今思い出すと
この時は気持ち的に結構辛くて
色々考えてたなぁ。

でも全然良くならないの!!!

特に皮疹が。
娘がまだ赤ちゃんで
でもろくに体力もなくて
当たり前なんだけど
ゾンビのような皮疹と痒みと
戦う毎日。


そこで始めた免疫抑制剤が
効果覿面だった。

皮疹はすぐに治り
検査のCRPも15年ぶりくらいに
通常値になった。

あんなにあちこち痛かったのに
関節炎も筋肉痛も起きなくなった。

痛いのは骨が折れて曲がった背中のみ。

「結局痛いところないなんて
そんな人生じゃないんだよな〜」
と思った時もあったけど
でもこの免疫抑制剤には
感謝しかなかった。


主治医の先生に
「サトさんの体でお子さん2人産んで
育ててるのはホントにすごい」
って言われた時に

「色々求め過ぎだったな。
自分、なんだかんだで頑張ってるし
すごく恵まれてるじゃん」て。


そしてどんどんステロイドは減って
あと少しです。

たかが1mg
されど1mg

ここまで順調だったからって
油断せずにいきたい。

もちろんステロイドにも
本当に本当に感謝してる。

わたしと共に生きてくれている薬☺︎


今、SLEとか若年骨粗鬆症とかで
頑張ってる人に
早く笑顔が訪れますように。