こんにちは!

 最近、ニュースや日常会話で「AI」とか「人工知能」って言葉、本当によく耳にしますよね 。チャットボット、画像生成、自動運転…私たちの生活にどんどん身近になっています。  

 

でも、ふと疑問に思いませんか? 「そもそも、この『人工知能』って名前、誰がいつ、どうして付けたんだろう?」って。

今回は、そんな素朴な疑問に答えるべく、「人工知能」の名付け親と、その言葉が生まれた歴史的な瞬間を探る旅に出かけましょう!

AIの名付け親はこの人! ジョン・マッカーシー

「Artificial Intelligence(アーティフィシャル・インテリジェンス)」、日本語で「人工知能」。この言葉を最初に考案し、世に広めたのは、ジョン・マッカーシー(John McCarthy)というアメリカの計算機科学者です 。  

彼は、後に「AIの父」とも称される、この分野の草分け的な存在 。単に名前を付けただけでなく、AI研究の初期において非常に重要な役割を果たしました。  

 

ジョン・マッカーシーってどんな人?

  • コンピュータ科学と認知科学の専門家: 彼は、コンピュータがどのように動作するかだけでなく、人間がどのように考え、学ぶか(認知科学)にも深い関心を持っていました 。  
  • AI研究のパイオニア: マービン・ミンスキー(後述)と並び、AIという新しい分野を切り開いた第一人者です 。  
  • 多くの功績: AI研究に不可欠なプログラミング言語「LISP(リスプ)」を開発したり 、一つの大型コンピュータを複数のユーザーで同時に利用する「タイムシェアリングシステム」の概念を提唱したり と、コンピュータ科学全体に大きな影響を与えました。  

まさに、AIの世界の扉を開いたキーパーソンと言えるでしょう。

「人工知能」誕生の瞬間:1956年 ダートマス会議

では、マッカーシーはいつ、どこで「人工知能」という言葉を世に出したのでしょうか? その舞台となったのが、歴史的な「ダートマス会議」です。

 

言葉が生まれた経緯

「Artificial Intelligence」という言葉が初めて公式文書に登場したのは、1956年の夏に開催される予定だったワークショップ(研究集会)の提案書の中でした 。この提案書は、会議開催の前年、1955年8月31日に、ジョン・マッカーシー、マービン・ミンスキー、ナサニエル・ロチェスター、クロード・シャノンの4人の研究者によってロックフェラー財団に提出されました 。  

 

提案書の冒頭には、こう記されています。 「我々は、1956年の夏の2ヶ月間、10人の人工知能 (artificial intelligence) の研究者がニューハンプシャー州ハノーバーのダートマス大学に集まることを提案する。」 まさにこの一文で、「人工知能」という言葉が歴史に刻まれたのです。  

 

なぜ「人工知能」という名前を選んだの?

1950年代初頭、「考える機械」に関する研究分野には、まだ統一された名前がありませんでした。「サイバネティクス」や「オートマタ理論」、「複雑情報処理」など、研究者の立場や視点によって様々な呼び方がされていたのです 。  

マッカーシーは、これらの既存の言葉が持つ特定のニュアンス(例えば、「サイバネティクス」が主にアナログなフィードバック制御に焦点を当てていたことや、「オートマタ理論」がやや狭い分野を指していたこと)を避けたいと考えました 。彼は、もっと中立的で、これから切り開こうとしている新しい研究分野全体を包括するような名前が必要だと感じたのです。それが「Artificial Intelligence」でした 。また、当時影響力のあったノーバート・ウィーナーといった研究者との不要な論争を避けたいという意図もあったかもしれません 。  

 

ダートマス会議ってどんな会議?

  • 開催: 1956年の夏、アメリカ・ニューハンプシャー州にあるダートマス大学で、約6週間から8週間にわたって開催されました 。  
  • 主催者: ジョン・マッカーシーが中心となり、マービン・ミンスキー(後にMIT人工知能研究所を共同設立 )、ナサニエル・ロチェスター(IBM初の商用コンピュータ開発者 )、クロード・シャノン(情報理論の父 )と共に企画しました 。  
  • 歴史的な意義: この会議は、単なる研究会ではなく、「人工知能」という学術研究分野が誕生した瞬間として、広く認識されています 。しばしば「AIの憲法制定会議」とも例えられます 。  
  • 目的: 提案書によれば、その目的は「学習のあらゆる側面や、その他の知能の特徴は、原理的には非常に正確に記述できるため、機械にそれをシミュレートさせることができる、という推測に基づいて研究を進めること」でした 。具体的には、「機械が言語を使用し、抽象化や概念形成を行い、現在人間にしか解けないような問題を解決し、自らを改善する方法を見つけること」を目指していました 。  
  • 参加者: 主催者の4人に加え、レイ・ソロモノフ、オリバー・セルフリッジ、アーサー・サミュエル(チェッカープログラム開発者 )、ハーバート・サイモンとアレン・ニューウェル(初期のAIプログラム開発者 )など、当時のコンピュータ科学、数学、認知心理学といった分野のトップランナーたちが集結しました 。ただし、参加者全員が全期間滞在したわけではなく、入れ替わり立ち替わり議論が交わされたようです 。  

ダートマス会議以前:AIへの布石

もちろん、「考える機械」というアイデアは、ダートマス会議で突然生まれたわけではありません。その背景には、いくつかの重要な布石がありました。

 

アラン・チューリングの存在

イギリスの天才数学者アラン・チューリングは、「人工知能」という言葉が生まれる前から、その基礎となる重要な貢献をしていました 。  

  • チューリング・テスト: 彼が1950年に提案した「チューリング・テスト」は有名です。これは、人間がコンピュータと対話し、相手が人間か機械か区別できなければ、その機械は「思考している」とみなせる、というテストです 。AIの知能を測る一つの指標として、今でも議論されています。  
  • 計算理論の父: 彼はまた、「チューリングマシン」という理論的なモデルを提唱し、現代コンピュータの動作原理の基礎を築きました 。  

チューリングの研究は、マッカーシーらが「人工知能」という分野を構想する上で、大きな影響を与えたと言えるでしょう。

 

コンピュータ技術の夜明け

1946年に世界初の汎用電子計算機とされる「ENIAC」が登場するなど、1950年代はデジタルコンピュータ技術が急速に進歩し始めた時代でした 。こうした計算機の能力向上が、「機械に知的なことをさせる」というアイデアを現実的な研究テーマへと押し上げる原動力となったのです。  

「人工知能」という言葉が拓いた未来

ダートマス会議は、AI研究の歴史における「ビッグバン」のような出来事でした 。この会議をきっかけに、「人工知能」は独立した研究分野として確立され、その後の研究開発を方向づけることになります。  

会議自体は、参加者がそれぞれの研究テーマに集中し、期待されたほどの活発なアイデア交換には至らなかった、という見方もあります 。主催者たちが抱いた「ひと夏で知能の謎を解き明かす」という当初の極めて楽観的な目標も、達成には程遠いものでした 。  

しかし、この会議で生まれた「人工知能」という旗印の下に研究者たちが集い、探求を始めたことの意義は計り知れません。会議で議論されたテーマ(自然言語処理、抽象化、問題解決など)は、今もAI研究の中心課題です 。  

その後、AI研究は期待と失望の波(「AIブーム」と「AIの冬」)を繰り返しながらも着実に進歩を続け 、現在では機械学習、特にディープラーニングといった技術の発展により、目覚ましい成果を上げています。機械翻訳 、自動運転、医療診断、画像生成、そして私たちの日常に欠かせない検索エンジンなど、様々な分野でAI技術が活躍しています 。  

まとめ:AI誕生の物語

さて、「人工知能」の名付け親を探る旅、いかがでしたか?

  • 名付け親: ジョン・マッカーシー
  • 誕生の瞬間: 1955年のダートマス会議提案書で「Artificial Intelligence」という言葉が初めて使われた。
  • 誕生日(分野として): 1956年のダートマス会議が、AI研究分野の始まりとされる。

今や私たちの社会に深く浸透しつつあるAI。その原点が、半世紀以上前の研究者たちの熱意と探求心にあったことを知ると、なんだか感慨深いですね。

 

この記事が、AIという言葉の背景にある物語を知るきっかけになれば嬉しいです!