親分(涙…) | ワンダバのブログ

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今年は ほんとうに 年の初めから 小林繁氏をはじめ、お亡くなりになる方が多い年なのだが、
 
なんと 親分まで…
 
 
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        ↑  昨年11月のOB総会の時の あいさつをされる親分
 
 
 
休憩時間に メールを見ると 立て続けに 観戦仲間の方々から 何件も 訃報を知らせるメールが。。
 
 
ご高齢とはいえ サンデーモーニングでも つい最近まで  喝!を入れておられたと思うが…
 
 
何といってよいのか わかりません。 極めて残念です。 
 
 
謹んで ご冥福を お祈りいたします…。。
 
 

元日本ハム監督の大沢啓二氏が死去

 プロ野球日本ハムなどで監督を務めた大沢啓二(おおさわ・けいじ、本名昭=あきら)氏が7日午前7時25分、胆のうがんのため東京都内の病院で死去した。78歳。神奈川県出身。神奈川県出身。葬儀・告別式は14日正午から東京都港区芝公園4の7の35、増上寺光摂殿で。葬儀委員長は黒江透修・日本プロ野球OBクラブ理事長。喪主は長男康人(やすと)氏。
 
 神奈川商工高―立大から1956年に南海(現ソフトバンク)に入団。59年には故杉浦忠投手や野村克也捕手らとともに外野手として日本一に輝いた。東京(現ロッテ)に移籍した65年に現役引退。東京でコーチ、2軍監督を経て71年途中に監督に就任した。
 
 76年からは日本ハムの指揮を執り、江夏豊投手らをトレードで獲得するなどチーム改革に取り組み、81年にはリーグ優勝を果たした。面倒見がよく“親分”の愛称で選手から慕われた。
 84年にフロント入りしたが、シーズン途中で監督に復帰。85年からフロントに戻り、球団常務を務めた後、93年から2年間指揮を執った。日本プロ野球OBクラブの理事長もこなしたほか、日曜日朝のテレビ番組では「ご意見番」としてプレーぶりなどに“喝”を入れ、人気を集めた。最近は体調を崩し、9月19日が最後の出演だった。司会の関口宏さんが、今季の優勝争いについて「中日とソフトバンクが有利と言っていた通りになったことに『あっぱれ』をいただきたい」とのコメントを代読していた。タレントの大沢あかねさんは孫。
 
 プロ10年間の通算成績は988試合に出場し、打率2割4分1厘、17本塁打、191打点。監督としては725勝723敗99分けだった。
 

大沢啓二氏死去・談話

◇ 実感わかない
 テレビ番組で共演し人気を集めた野球解説者の張本勲
  大変ショックを受けています。まだ実感がわきません。大沢先輩からはたくさんのことを教わりました。感謝の気持ちでいっぱいです。ご家族の方に心からのお悔やみを申し上げます。
 
◇ 現役時代からの恩人
 日本ハム・五十嵐信一2軍監督 
 突然の訃報(ふほう)に大変驚いている。大沢さんは現役時代からの大恩人。野球界に多大な功績を残し、素晴らしいプロ野球人生だったと思う。
 
◇ 公私ともにお世話に
 日本ハム・田中幸雄2軍打撃コーチ 
 結婚の媒酌人もしていただき、公私ともに大変お世話になった。ファイターズに入れたのは、高校時代に大沢さんがわざわざ足を運んで見に来てくれたおかげ。それがなければ今の自分はなく、本当に偉大な存在だった。
 
◇人情味あふれた方
 1981年日本ハム優勝当時の選手だった横浜・島田誠ヘッドコーチ 
 日本ハムに入団以来、目を掛けていただいた。大沢監督がいなかったら、今の自分はなかったと言っても過言ではない。本当に人情味にあふれた方で、残念でなりません。
 
◇豪快な方
 大沢監督の下で最多勝投手になった元日本ハムの木田勇氏 
 豪快な方というのが第一印象だった。2年目が駄目で、3年目の開幕直後に「お前に懸けている」としみじみ言われた時の親分の表情が忘れられない。最後にお会いしたのは3年前、札幌ドームであった日本ハムと巨人のOB戦。「先発は木田」と言われたのがうれしかった。
 
◇ 父親以上の存在
 日本ハム時代に大沢監督の下で優勝に貢献した江夏豊氏 
 昨年末から体調のことが気掛かりだった。父親代わり、父親以上の存在。80年オフにわたしをトレードで獲得したとき、生え抜きのエースだった高橋直樹投手との交換で、大沢監督は相当の覚悟で踏み切ったのだと思う。思い出は星の数ほどある。ご冥福をお祈りします。
 
◇ 手のぬくもり忘れない
 トレイ・ヒルマン前日本ハム監督 大沢さんは、いつもあの優しい笑顔でわれわれを励ましてくれた。2005年にチームが思うような成績が上げられない時、「頑張れ。あきらめるな。必ず道は開けるぞ」と力強く手を握ってくれた時のぬくもりを、今でも忘れられない。
 
◇ 驚いている
 梨田昌孝日本ハム監督 非常に驚いている。「大沢親分」と呼ばれるだけあって、面倒見が良く、他球団出身の私が日本ハムの監督に就任した際にも、大変温かく迎え入れていただいた。まだまだお元気で野球界を引っ張っていただきたかったのに残念でならない。
 
◇ 日本ハム・ダルビッシュ有投手「球場などでお会いした際には温かく、優しい言葉ばかり掛けていただいた。いつも気に掛けていただき、励みになった。野球界にとって、あまりに大きな損失だと思う」
 
◇ 日本ハム・稲葉篤紀主将「日本ハムに入団したころはなかなか名前を覚えてもらえなかったが、2006年に日本一になったころからは球場で会えば気軽に声を掛けていただき、ようやくファイターズの選手になれたと実感した」
 
◇ 日本ハム・田中賢介選手会長「かけがえのない大きな存在だった。最近はテレビでご活躍を拝見することが多かったが、チーム状態が良いときも悪いときも、ファイターズを愛してくださっているのが画面を通して伝わってきた」
 
◇怖さの中に愛情
 元日本ハムの阪神・片岡篤史打撃コーチ プロに入る時、(ドラフトの後に)自宅へ来てくださって、両親と話したことが思い出される。選手としてやっていくため、いろいろなことを教えていただいた。パ・リーグを盛り上げようという気持ちが伝わったし、怖い中にも愛情がある方だった。
 
 ◇ 日本ハム・大社啓二オーナー「訃報を聞き大きな支えを失った。(北海道移転前の)日本ハム時代の唯一の優勝監督であり、球団の取締役も長く務めていただいた。あらゆる場面で叱咤激励していただき、幾度となく気持ちの引き締まる思いだった」
 
◇ 漫画家・水島新司さん「突然の訃報に驚くばかりです。(パ・リーグを舞台にした)『あぶさん』を連載した38年前からパ・リーグを盛り上げるために、本当に今も変わらぬ協力をしていただいてきた闘将大沢親分、信じられません。ご冥福をお祈りいたします」
 
◇ 悲しみでいっぱい
 立大の後輩、長嶋茂雄元巨人監督 
 突然の訃報(ふほう)に接し、悲しみと寂しさでいっぱいです。大学時代もプロに入ってからも、気さくに声を掛けていただいた頼もしい先輩でした。近年はテレビなどを通じて選手たちを叱咤(しった)激励されるお言葉が印象的でしたが、野球に関する熱いお気持ちは、現役時代と変わりないと感じておりました。大沢さんの「あっぱれ」を聞けなくなると思うと、残念でなりません。ご冥福を心からお祈りいたします。
◇ 残念でならない
 王貞治ソフトバンク球団会長 (現役時代に)日本シリーズで対戦した時、守備位置を頻繁に変える魔術師といった第一印象だった。常に野球界の先頭に立ち続け、現在のプロ野球界の礎をつくった一人。まだまだ野球の普及に力を貸していただきたかっただけに残念でなりません。
◇ びっくりしている
 日本プロ野球OBクラブの黒江透修理事長(元巨人) 具合が悪いとは聞いていたが、突然の報にびっくりしています。前理事長の大沢さんに「ぜひ、次は君に」と推薦され、理事長になった。いろいろと協力していただいて、やっと慣れてきたところだっただけに残念。ご冥福をお祈りします。
◇ 本当にご苦労さまでした
  関口宏氏 
 わたしの大先輩、そしてわたしの父の後輩だったことから、幼いころよりかわいがっていただきました。本当に野球がお好きだったことはおそばに居てひしひしと感じ取っておりました。本当に本当にご苦労さまでした。静かに静かにお休みください。
◇びっくりしている
 巨人・原辰徳監督 お元気そうだったのに、急にという印象で、非常にびっくりしている。野球界のことを考えて、いろいろアドバイスをいただいた。一緒に食事をしたりお酒を飲んだり、今までの人生の中で影響を受けた先輩の一人。ご冥福をお祈りします。
◇存在感があった
 星野仙一阪神シニアディレクター 野球を純粋に考え、まじめに野球のこと、球界のことを考えていた。指導者を長くやり、球界のことを考えて発言していた。いなくなるのは残念。存在感があった。
◇悲しみに堪えない
 加藤良三コミッショナー (8月に)都市対抗の開会式でお会いした際にはお元気でしたので、突然の訃報(ふほう)に接し、悲しみの念に堪えません。選手としてのはつらつとしたプレースタイルが目に焼きついており、監督として日本ハムをリーグ優勝に導くなど、指導者としても成功を収められました。心より哀悼の意を表します。
 
 岡本伊三美氏(元近鉄監督。南海時代の同僚)
 「朝のテレビ番組を休んでいたので、電話をした。風邪で入院したということだった。大したことはないと思っていたのだが…。南海時代、巨人との日本シリーズで、いい守りを見せた。ヒット性の打球を思い切った守備位置で捕ったのは、彼の勘の良さだろう。酒をよく飲んだし、豪快な性格だった。思い出はたくさんある」