せめて年の数だけ、豆食べる | ミ―ナに恋をして

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誰も読まない、誰も覗いてくれない、寂しくてしょうがない、甘えたい、すがりたい、泣きたくてしょうがない、でも、誰も助けてはくれない。そんなブログを書いてみよう。

せめて年の数だけ、豆食べる

どう考えても理解できない

それだけ頭、弱ってる

情けないが致し方ない

季節の分かれ目、暦は春だ

昨日が節分で、今日が立春

節分には、「夕暮れにヒイラギの枝にイワシの頭をさしたものを戸口に立てて、鬼退治のために炒った豆をまくとある」

ヒイラギ(柊)の枝とイワシの頭(かしら)との関係がスッキリしない

邪気を払う、おまじないには違いない

ヒイラギの葉はギザギザの形をした鋭利な葉っぱ

「イワシの頭も信心から」と言って、つまらないものでも信仰すれば不思議な力を持つという

 

節分には、「夕暮れにヒイラギの枝にイワシの頭をさしたものを戸口に立てて、鬼退治のために炒った豆をまくこと」とある

昔の習慣、習わしだとある

今どき、そんな手間暇かけてやってる人はいないだろう

せめて年の数だけ、豆食べる

豆に暮らせるよう69個

それも出来ない、クソ爺

それだけ頭が弱ってる

情けないが、恥ずかしい