堪忍は無事長久の基
第八章 名誉
「笑われるぞ」「体面を汚すぞ」「恥ずかしくないか」
これらは、非を犯せる少年に対して、正しき行動を促すための最後の訴えであった
少年の名誉心に訴うることは、あたかも彼が母胎のうちから名誉を持って養われていたかのごとく、彼の心情の最も敏感なる点に触れたものである
名誉の感覚は、人格の尊厳ならびに、その価値の明白なる自覚を含むものである
したがって、かの生まれながらにして自己の身分に伴う義務と特権とを、重んずるを知り、かつその教育を受けたる武士を、特色づけずしては置かなかったのである
その観念は「名」「面目」「外聞」という言葉により広く伝えられた
「善き名」「人の名声」等の「人自身の不死の部分、これなくんば、人は禽獣である」その潔白に対する、いかなる侵害をも恥辱と感ずることを当然のこととなした
廉恥心は少年の教育において養成せらるべき、最初の徳の一つであった
実に、羞恥の感覚は人類の道徳的自覚の最も早き徴候であると思うとある
「不名誉は、樹の切り傷のごとく、時はこれを消さず、かえってそれを大ならしむるのみ」と軽微なる屈辱による、品性の妥協を拒絶した
「恥はすべての徳、善き風儀並びに善き道徳の土壌である」という
また、孟子は「羞悪の心は、義のはじめなり」と言った
些細な刺激によって立腹するは、「短気」として嘲られた
「ならぬ堪忍、するが堪忍」
家康の遺訓として「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず・・・堪忍は無事長久の基・・・己を責めて人を責めるな」とある
富にあらず、知識にあらず、名誉こそ青年の追い求めし、目標であった
多くの少年は父の家の敷居を越えるとき、世に出でて名を成すにあらざれば、再びこれを跨がじと心に誓った
多くの功名心ある母は、彼らの子が錦を着て故郷に還るにあらざれば、再びこれを見るを拒んだ
恥を免れ、もしくは、名を得るためには、武士の少年は、いかなる欠乏をも辞せず、身体的、もしくは、精神的苦痛の最も厳酷なる試練にも耐えたのである
少年の時に得たる名誉は、齢と共に成長することを、彼らは知っていたのである
「われら十三歳の時の、また、あるべきか」
もし名誉と名声が得られるならば、命そのものさえ廉価と考えられていた
いかなる命を、これがために犠牲にするとも、高価なるに過ぎずとせられし事由の中に、忠義があった
信長には「鳴かざれば、殺してしまえホトトギス」
秀吉には「鳴かざれば、鳴かせてみようホトトギス」
家康には「鳴かざれば、鳴くまで待とうホトトギス」
「人は咎むとも咎めじ、人は怒るとも怒らず、怒りと慾とを棄ててこそ、常に心は楽しめるのである」