借り物の人生の目標ではなく、
自分が本当に心の底から望む人生の目標。
夢。
やりたいこと。
他人の目を意識した、表面的な、「カッコイイ」生きがい、のようなもの。
これは、当然自分にとって本物ではない。つまり偽物。
よく、世界中の人々を幸せに、とか、
学校をつくりたいです、とか、
社会を変革したいです、とか、
みんなを笑顔にしたいです、とかいう人がいる。
また、億万長者になりたいです、とか、
六本木ヒルズに住みたいです、とか
フェラーリに乗りたいです、とか、
社長になりたいです、とかいう人がいる。
たくさんいる。
でも、その中で、本当にそのことが「本物」である人はどれだけいるだろう。
それらの人たちが発している言葉(文章、話)は総じて軽い。
上っ面な感じがする。
誰かが言ってて自分もなんとなくいいなと思ってる的な、全く自分に向き合っていない、
パクった感がありありの、とりあえず「つくった」生きがい。
哀しい話だ。
自分の人生なのに、自分の中にあるセンサーから目を背けて、
誰かのものをまるで仮面のように自分の顔に装着し、
あたかも自分自身のものであるかのように振る舞う。
それは間違いなく偽物だ。
だから、一皮むけばすぐに嘘が露呈する。
自分が望んでいることは、決してそれじゃないということが、
深掘りされると一瞬で明らかになる。
偽物は良くない。
偽物だとどうなるか。
続かない。
モチベーションがあがらない。
楽しめない。
情熱も持てない。
当然、結果に結びつかない。
だって、心が本当に望んでいるものじゃないから。
本当に望んでいるものに蓋をして、見ないようにしているから。
そして、すぐに、目標が目移りする。
目移りする目標なんて、船に狂った方位磁針を積んで航海しているようなものだ。
永遠に、どこの目的地にもたどり着けない。
偽物は、よくない。
自分にとって、それが「本物」であるかどうか。
これだけが唯一、重要なことだ。
さて、僕にとっての「本物」は、何だったのか。
確かに言えることは、これは、自分にとって、
「絶対」といえるほどの感覚を持つものだったということだ。(続く)
自分が本当に心の底から望む人生の目標。
夢。
やりたいこと。
他人の目を意識した、表面的な、「カッコイイ」生きがい、のようなもの。
これは、当然自分にとって本物ではない。つまり偽物。
よく、世界中の人々を幸せに、とか、
学校をつくりたいです、とか、
社会を変革したいです、とか、
みんなを笑顔にしたいです、とかいう人がいる。
また、億万長者になりたいです、とか、
六本木ヒルズに住みたいです、とか
フェラーリに乗りたいです、とか、
社長になりたいです、とかいう人がいる。
たくさんいる。
でも、その中で、本当にそのことが「本物」である人はどれだけいるだろう。
それらの人たちが発している言葉(文章、話)は総じて軽い。
上っ面な感じがする。
誰かが言ってて自分もなんとなくいいなと思ってる的な、全く自分に向き合っていない、
パクった感がありありの、とりあえず「つくった」生きがい。
哀しい話だ。
自分の人生なのに、自分の中にあるセンサーから目を背けて、
誰かのものをまるで仮面のように自分の顔に装着し、
あたかも自分自身のものであるかのように振る舞う。
それは間違いなく偽物だ。
だから、一皮むけばすぐに嘘が露呈する。
自分が望んでいることは、決してそれじゃないということが、
深掘りされると一瞬で明らかになる。
偽物は良くない。
偽物だとどうなるか。
続かない。
モチベーションがあがらない。
楽しめない。
情熱も持てない。
当然、結果に結びつかない。
だって、心が本当に望んでいるものじゃないから。
本当に望んでいるものに蓋をして、見ないようにしているから。
そして、すぐに、目標が目移りする。
目移りする目標なんて、船に狂った方位磁針を積んで航海しているようなものだ。
永遠に、どこの目的地にもたどり着けない。
偽物は、よくない。
自分にとって、それが「本物」であるかどうか。
これだけが唯一、重要なことだ。
さて、僕にとっての「本物」は、何だったのか。
確かに言えることは、これは、自分にとって、
「絶対」といえるほどの感覚を持つものだったということだ。(続く)