私が高校を卒業した春


母は


「頭が痛い」


と毎日言うようになった


バッファリンを飲んで


寝ることが多くなったが


それでも頭痛は取れなかった


病院に行っても原因はわからず


風邪だろうとか


様子を見ようとか言われていた


それでも初めのうちは


起きて家事もしていたが


そのうち起きるのも大変なほどひどくなっていった


一日のほとんどをベッドで横になっているようになっていた



8月に入ったあたりだろうか


あまりにひどい状態に


病院の先生に、まっすぐ歩いてみてと言われた時


母はまっすぐに歩けなかった


どうしても斜めに歩いてしまうのだ


右手と左手を顔の前に出し


左右の人差し指をくっつけるように言われたが


それも母はできなかった


ここでようやく


「頭に異常があるのでは?」


となったのだ


しかしCTの検査は予約でいっぱいらしく


1ヶ月後になるとのこと


そんなことでいいのかと疑問は持つものの


待つしかなかった


母の病状は日に日に悪化し


その1週間後くらいには


話すこともできないくらいにまでなっていた




その日、父は接待ゴルフのために


早朝に出かけなければならなかった


しかし母はこれまでにないくらい


具合が悪そうだ


父は母を心配しながらも


私に母を託して家を出た


その当時はまだ携帯電話などなかった


父は1時間おきに電話をかけてきた


母の容態は変わらない


というより、呼びかけても反応もしないくらいになっていた


父は母の危険を感じ


急遽ゴルフをキャンセルして帰ってきた


病院に連絡すると


急を要する状況に


救急車が一番早いから


救急車を呼んですぐに連れてくるようにとの指示


救急車が到着した時には


母はいびきをかいている状態だった


病院の指示を救急隊員に説明し


父は自家用車で


私は母と救急車で病院に向かう


しかし母の容態は深刻だ


指示のあった病院までは30分くらいかかってしまう


危険を感じた救急隊員が


その病院ではなく、近くの救急病院へ搬送した


知らない病院へと連れて行かれ


父とはぐれた私はとても怖かった


自分がとこにいるかもわからない


母は死にかけてる


独り不安で不安でたまらなかった


まだ19歳の私


どうすればいいのかわからず


ただ待つしかなかった


父への連絡の手段もわからない


どうやって連絡がついたのだったか忘れたが


しばらくして父と連絡が取れ


少しだけほっとした


母はCT検査を受けていたようだ


病院の先生同士のやりとりで


ようやく父と主治医の待つ病院へと


救急車で向かい父と再会


それでも母のことを思うとたまらなかった


すぐにもう一度CT検査を行った


緊急の場合はCTの予約なんかいらないのだ


1ヶ月後の予約は一体何だったのか?



検査結果が出た


駆けつけた兄と弟と


家族全員で説明を受けた



病名は


『 脳 腫 瘍 』


しかも脳腫瘍の中でも一番に悪性のものであると


そして現代医学では治せないとのこと


例え腫瘍を全て取り除いたとしても


また必ず再発してしまう


余命は長くても2年



延命治療として


開頭手術を行い


体に不自由の出ない部分のみ腫瘍を切除し


また腫瘍が大きくなり頭蓋骨内を圧迫するようになったら


また開頭して同じ手術を行う


それしかなかった



先生に言われたこと


「今は治療法はないが、もしかしたら明日治療法が見つかるかもしれない


だから望みだけは捨てないでください」


言われた通り


望みは持ちつつも


母の残された時間を大切に過ごそうと思った


とりあえずは


手術で意識を取り戻してもらうのを願うのだった