昔、上司に言われた言葉。
「今の若者に未来はない」
じつは、非常に深い言葉だ。
今、次々に定年を迎えている団塊の世代の先輩たちは、
日本の高度経済成長期に若手社会人としてバリバリ働いていた。
彼らは、社会人になり、一人暮らしを始め時、家には何もなかったそうだ。
で、頑張って働いたら、給料がもらえて、良いときはボーナスももらえて、
そのたびに、部屋にテレビ、全自動洗濯機、大きな冷蔵庫、
プッシュホン式の電話、VHSビデオ・・・・・と、モノが増えていったそうだ。
要するに、頑張って働けば、自分の暮らしは「便利になっていく」という時代を生きた人たちだ。
一方で、今の若者は、生まれたときから便利な世の中にいた。
就職活動中の学生の胸ポケットにも、テレビが観られるケータイ電話がささっている。
コンビニに行けば、安くてそこそこ美味しいモノが24時間食べられる。
情報は、新聞や本がなくてもインターネットから得られる。
覚えなくてもメモしなくても、ケータイになんでも残せる。
バイトをすれば、学生も、そこそこ豊かな生活ができる。
ようするに、一生懸命頑張らなくても、生活は不便じゃないのだ。
だから・・・・、団塊の世代の皆さんが持っていた「頑張れば、自分の未来は開けていく。便利になる。豊かになる。」というモチベーションは今の若者には持ちにくい。
いつしか若者は未来をみなくなった。
だから「若者には未来がない」。
言い換えると、「若者には“今”しかない」。
今が楽しいか?今、夢中になれるか? が、若者の判断基準の真ん中にある。
豊かであるがゆえの「“今”重視」だ。
この若者の発想・考えは間違いではない。自然だ。
が、しばしば、先輩たちはまちがう。特に団塊の世代の会社役員たちは間違いやすい。
自分のモノサシで、若者に対して疑問をもつ。
「なぜ、若者は目標を持たないのか?」
「なぜ若者は、自分がどうなりたいか?を考えないのか?」
考えないといけないほど、今に困っていないのだからしかたない。
学生の側もよく無理をする。
「自分が何がしたいか考えがまとまりません」
「やりたい仕事がわかりません」
・・・・・・、わかるわけがない。
私は企業の採用決裁者にはこのような話をする。
「現時点で、将来の夢とか希望を語れるかどうかで、学生を評価するのはやめましょうよ。意味がないです。今、何だと頑張れて、何だと頑張れないか?を探りましょう。そして御社の仕事を頑張れる若者を採用しましょう」
学生には以下のようにアドバイスする。
「やりたいことを見つけてから就職先を探そうなんて思わないこと。やりたいことなんて、一生見つからないかもしれない。今、なんとなく楽しそう・・・、なんとなくおもしろそう・・・・そんな理由でもいいから、ちゃんと就職して、一生懸命やってみよう。で、一定期間、例えば3年くらい、一生懸命やった仕事が楽しいと思えるかどうかが重要だ」