みなさま
明けましておめでとうございます。
佐都美です🐉
今年もどうぞよろしく
お願い申し上げます。

その後父は施設に入りましたが、
入院するまでは、ゆっくりではありましたが歩けていたのです。
入院すると歩かせてもらえずに車椅子生活なので、退院してから歩けなくなり本当に車椅子生活になってしまいました。
要介護はその時で2でしたので
意識はハッキリしていて、話も出来るのでまだ全然元気にしていたものですから……
反対に「何故ワシは家に帰れないのかを」言っておりました。そうしてそれからが大変でした。母は一切施設には行かず全ての手続きから用意や訪問や必要なことなどは、私がしており父の事は私に任せっきりでした。
父は母にも会いたいと思ってましたし家にも帰りたいから悶々としていたと思います。
半年も経たないうちにある日食堂で、寝ている女性にポンポンとしたことが暴力と取られ最終的に叩いたことになり施設を出て行くことになったのです。多分父は、寝ているから「あんた起きなさいょ〜」としたと思われたのです。しかし施設は、そのように受け取られずに同じようなことが2度あった為に施設を退去することになりました。
退去の前にケアマネさんにも紹介の業者さんにも御相談したのですが、見て見ぬふりで冷たい素振りでした。これも世の常なのか?
そして、偶々母の昔の職場の人が京都の施設に勤めていたことを思い出して連絡して、その施設が空くかも知れないとのことでした。
私も探しておりましたが、その系列の所に一旦入りそれから新たにその施設に入る事が出来て、物凄くラッキーでした。
すべては父の思いと母の思いが重なり何よりでした。
新しい施設に入ってからは父は落ち着いておりましたが、家に帰りたい想いは心の底ではあり時折言ってました。そのたびに私は心苦しく何とも言えない気持ちでした。
実家はどうなったかと申しますと
父の大阪の施設が決まってから
これからの生活について母と話をした上で、家を売却することになり不動産屋を選んで進めて行きましたが最初からいろいろ有り結局不動産屋を何回か変えることになったのです。そうしている時に近所の方から直接お話があり御孫さん家族が購入したいと…そうして不動産屋はなしで、話は進み司法書士の先生で難航しました。がそれもこちらサイドの司法書士の先生に決まり最後の契約日時の前日に話が揺れ出しました。
最終的に一旦保留になり……
お互いが引かない状況で止めになりました。
その契約日は、実は父の誕生日でした。私は直観で父が止めたのだと確信しました。
父の想念が形となりその流れになったかと……
その後不動産屋さんを変えて
売却に出しておりましたが、その年の秋に母から夜電話があり「お祖父さんが可哀想……私も家に帰りたい。家の庭も見たいし花壇を触りたい。私頑張るから」と泣いて連絡してきました。
母は家の売却になってからマンションに引越しをしたので、ひとり暮らしを半年ほどすることとなってましたが、それが寂しく家が恋しくなったのでしょう。
そしてその後老老介護は共倒れになる事を察して、私達家族も引越しをすることにしました。
昨年の師走に私達と母の同時引越しをして落ち着いてから父の引越しとなりました。
ここまででお話していなかったのですが、父の最後の施設で父は今度は本当に食堂の手洗い場にて男性がうがいや口をゆすぐ事がコロナ化で禁止になっているのに、その人がやっていた事から注意しても聞かないその人に今度は本当に手を上げてしまい、退去せざるを得ない状況になったのです。父の想いが重かったのか……泣笑
そんなこんなで、一昨年は走り回っておりましたねー笑
今日はここ迄です。
佐都美🐉
