(鉄マニ向けquizと児童文学情報

                               が4分の1位所&ラストに有り)

 

 

      Hei ! Yokota Air Base のお姉さんの🫦sexy  voiceは聞こえてる❓

  それとも かなぐりJackの声かな⁉️

 

 ウチラがその頃🧏‍♂️耳にしてたのは

 

   

          Far East Network  FEN ❣️   ..........

 

 

 いま AFNって言ってるネ。。

 まあそんなの聴きながら、練馬関越入って15分もしたら、のんびり左寄せ、、えっ? 最初っから左にいるって⁉️ あ🥵いや、シボレーのシートのことじゃないんだって!

 

w

 

 とりあえず素直に16号への出口を降り半時計🕘内回りに進むと、田園都市と工業団地をROUTE 16 が南下する。(今は圏央道回って戻る?)

   故坂本龍一率いるYMOの細野晴臣さんが住んでrecordingもしたHOUSE辺りを過ぎて、流れる木の葉の中、川沿いに抜けていくと中層アパートと洋館 それに白いアメリカンハウスの点在するジョンソンタウンに至る。

 

 

 ここには、ジャパニーズアーミーの首都圏最大の発進基地 入間基地があり、度々国際航空宇宙ショー🛫🛩🛬航空機の展示販売が行われる。‘70年代初期には軍事上の医学校も開校した。但し今は所沢に移転している。

 

 

 

 

 細野さんが住まわれてたのはジョンソンタウンの北側(現狭山市側)で線路の🛤南側(現入間市側)にあるのが、市内数カ所に群在してた1950〜60年代のアメリカンハウスを一挙に集めたよな“ジョンソンタウン”なのですょ。

 (そして僕は宣言しましょう、昭和rétroとは、“アメリカンハウス& 駄菓子屋など和モダン日本家屋”とが50⁑50ある混在の街だってことをね❗️当時の文化の発信地のすべてがそうだったのだから。Johnson 福生 横田 横・横 岩国 佐世保 オックナワ〜・・みんなアメリカ人街➕日本人町 てか Golden Half 人街区だった、ほらミンチとPaul mall 香る訳ワカメ世界っちゅーさ。) さて、、

 

 いたるところ川沿いには桜堤が絶えないジョンソンタウンを後に、狭山丘陵を抜けていくと左方に、東村山から都内に水を供給する狭山湖・多摩湖の水と花の🌼中に、やがて日が昇りジョンソンシティの境界線を過ぎると、そこから警視庁域に入る。

 

 再び、住宅地の緑と共にフェンスが現れ、長い長い横田air baseの塀が続く。

 

 

 基地の中も外も、白いアメリカンハウスが点在するフッサシティ。。故大滝詠一さんが居たよね、とか山田詠美さんも❓龍🐉村上氏の限りなく透明の🫥題材も、確かこの辺だったよネ。

 

 ここから少し🤏右方の多摩の山並みの中に車を🛻走らせれば、東方には新都心の高層ビルが霞んで散見できるはず。

 

  昭島、拝島より多摩川をよぎると、すぐに中央高速の八王子インターと交差する。

 

 市内を抜け、さらに反時計回りに多摩丘陵を南に進むと神奈川県下相模原に至り、ここより相模ナンバーと横浜・湘南ナンバーが増え、都及び所沢ナンバーは半数以下になっていく。。

 この辺にも、東京を取り巻くように16号沿いに日米の基地の類は多く、相模原台地にはキャンプ座間・厚木基地があり、🌭🍕🍔アメリカンウェイオブライフ🗽が漂っている。

 

  って糠(ヌカ)喜びもできない。座間の地下深くには日本周辺どころか🗾西太平洋地域🇵🇼の戦略総司令部があるってこと❗️

      。。そう言えば計画停電も殆どなかったよなァ、あれって🤞luckyとかいう問題じゃなくてそれだけ重要な地域だってことの裏返しだと思う⁉️ まぁ、LINEやPayPayを平気で使ってる鈍感な人には🧏‍♀️寝耳に水くらい全く通じない話だけどさ。。さてっと、、

 

さっきのジョンソンタウン= 銃のないアメリカ❣️ それは ...

    アメリカ人🇺🇸こそ見習うべき真に🗽自由の街❗️が16号沿い

   にある。

 

             この時点でどーしても気になっちゃった人向けフライイングっつか

             ここでちょっと休憩=鉄道ファン🚞向けクイズ

                       ジョンソンタウンへの最短行き方❓

 

 1️⃣ 電車の場合🚆:シンプルなのが池袋から特急レッドアロー、入間市       

                           駅🚉下車。

 

          もう1つが西武新宿駅から特急小江戸なら所沢乗換なのですが、ここで問題❣️

          果して丁度レッドアロー号が来るんでしょうか⁉️  もし来なきゃ

          各停になっちゃって、稲荷山公園駅で降りてしまう。さらに問題が。。。

 

    (特急停車駅の入間市駅というのは、蹴上(京都)みたいな

     所にあるんです。

          つまり三条河原町の方に降りてくように歩くと入間市河原町のあの洋館が

          あるし、上がっていくと山科の位置くらいにジョンソンタウンがあるんです。

  しかもさらに🏃‍♀️行くと琵琶湖の位置には狭山湖・多摩湖と湖が

  2つもあるん

          ですょ〜。。🥵ぁ、忘れてたけど、洋館の方には川もちゃんと大小2つ有!

          

       高瀬川・鴨川に呼応して桂川(霞川とも)・入間川。

       問題は、登り坂になるってこと。

       稲荷山公園駅🚉からだと距離は回るけど平坦、さあ

       どうするってこと。)

 

2️⃣ 高速の場合:      関越・中央どちらからでも比較的空いてる圏央道へ乗って、中央側からなら南出

         口、三井アウトレット脇ですね。関越側からなら入間市北(狭山市入ってる)

         出口からの洋館にも寄ってコース(但し旧石川組西洋館見えてから戻る時

         16号のすぐ裏道から時計回りに信号機🚥ありそなとこまで行ってから

         戻らないと非常に危険です!)or 入間市の南出口まで行って出る。

 

 1️⃣2️⃣とも特急停車駅・高速出口が市の南北に有り交通の要衝です。国の重要施設があるから⁈ (おまけ:ラスト辺にもマニア向け問題アリスょ)

 

                        

 

 

  ジョンソンタウン・・・それは毎秋、母に🤱連れられ自分でデザイン(コンセプトはsimple is   

       best)したsweaterをorderしてたころの甘味な想い出の街。白いアメリカンハウスには、小学校

  1年から英語があるお嬢様学校🏫へ通っていたジェーンと呼んでいた日本人の美人姉妹がいた。

 

   その娘の家の芝生の前を通ると彼女はいつも、男の子なら誰でも被ってる🧢野球帽をさァっと

  とってしまう。すぐさま白いドアに駆け込み帽子を隠された。だのでぼくは、彼女の気が済むま

  でその辺で遊んでいないといけなかった。

 

    一度広いリビングに通されたとき、お母様がアロマなアールグレーを淹れてくれている間も

  向き合って座った艶々のダイニングテーブルの下では、ぼくは🥵彼女のカモシカのような猛攻撃

  に絶句した。つま先を脚にカマチョ絡ませてくるわひっきりなし❗️テーブルの上では頬杖をつき

  悪戯っぽい眼差しを一途に向けてくるから、僕は只々reactionに困るばかりだ。10年もしない

  内に‘ワンレンボディコン’が似合いそうなジェーンは10才にして魔性のお嬢様⁉️

 

   

       で外の⛳️柔らかな芝の庭に出ると、ジェーンはいつもこう言ったー

 

        “わたしが1番好きな人は あなたよ❣️” って。。

 

 

            ”あなたよ❣️” “あなたよっ❣️”   “あなたよ〜❣️❣️❣️”

 

 

  って耳に🪁タコができるほど囁かれた。

 

  けど、1年もしないうちに”あなたよ“は別の名前に変わった👂...その直後、

  ジェーン一家は忽然と何処へともなく消え去った。

 

  

 

 

 

        おお❗️なんという、真昼の暖かさだろう。

  カーラジオからは、F.E.N.のJackがわめき散らす。

 

  “I'm easy Just like Sunday morning,yeah!”

 

 大和に至り、ここに東名高速の横浜インターと交差し、さらに10キロ程に

ポートヨコハマが予見されていく。。

 

 

 どこでもよい、相模原を過ぎてから右に折れれば、南には🌊湘南コーストに絶えず太平洋の波が打ち寄せ、そこには大磯・平塚・茅ヶ崎・藤沢・片瀬江ノ島・撮影所のある(☜過去形)大船・鎌倉・逗子・葉山・マリーナ油壺・城ヶ島・・と、首都圏南のロングビーチがパスィフィックに向けて拡がりゆく。

 

       大和より、さらに反時計回りに進むと、ルート・シクスティーンは横浜・横須賀へと延びてゆく。

 

              ☆★☆★☆

 
 

     ・・・・・・・ビュイー〜ー〜ーン・・・・・

 

           ・・・・・・・・思いきりタイムスリップモア〜・・・

 

  

                     

 

    

 

 『ジョンソンタウン・

       アロング・スィクスティーン』

 
 
   1952年、少年の日。
   ‘51年の条約により、日本🇯🇵独立。
 
   1952年〜’62年。
 
   アメリカンハウス。キャデラック。
   フレディー・ジョーンズ、室内はグルーウ“ィー。
   カーラジオは、アメリカンポップス。
 

   ”Where're you going?“

   ”We‘re gonna Johnson Air Base."

 
 夏の夜🌌7月4日の晩🎆花火は欠かせなかった。
夜更けの果てまで、夜更けの果ての中へ光りの中へと、少年は、フレディーのキャデラックで、
或いはギンギンの8段変速の🚵‍♀️自転車で出かけては、ルーレットに明け暮れていた。
 
 レートは、対ドル💵360円均一だった(いわゆる固定相場)。
 少年は、有り金全部を💱両替した上、夏のAir Baseのカーニバルでrouletteに費やしてしまっても、幾らかの罪の意識・心の痛みまでいかない歯痒さを除いては、👦少年のすべてを賭けられたということに至福の喜びを感じていた。
 

  持ち金は、精々2、3千円だったろう。

  チェンジで手にしたのは、9枚の1ドル紙幣💵と幾つかの10cent    硬貨🪙だった。

 
 ほの灯の灯り出した賭場(広〜い芝地に設えたカーニバル用の俄かカジノ)で、少年の硬貨はどんどん増えていった。脇の芝の広場から別のゲーマーの“ビンゴービンゴービンゴー!“という大きな掛け声が引っ切りなし響き渡ってくるし。なんだか知らないけど背中越しにやたらワクワクけし掛けられる雰囲気の中、遂には💰軍資金は$60に膨れ上がっていた。・・そこで🫵留まることを知らぬ少年は、13に全てを賭けた。

  ジョージ、🧔髭のジョージが手際よくルーレットを回し、なんとも心地好い言い知れぬ“カチ〜ン”という快音を響かせるや赤黒カラフルなルーレットは、夜更けの仄灯りの中でクルクルくるくる回り始めた。ーーすべては、その瞬間に決まっていた。

 
 ・・コロコロころころ 次第に音が跳ねなくなりつつ、、
 

          ”カチッ・・”

 
 少年が全てを賭けた13で止まるかと思いきや、ウッッッ⁉️ スココココォー〜ーン.....帰り玉で少年は、すべての🤑ドル札と10cent硬貨💸🪙を失ってしまった。
 
 明る夜🌒も、やはり同じだった。
 なのに、少年の瞳は銀々に輝いていた。。何故って、脇には愛するキャシーがついていたから❣️
 
 
 
  キャサリン。
  長い髪の栗毛の、瞳はブルーで鼻筋はアメリカン。ooh キャシー・ジョーンズ。僕の、少年のキャシーよ❗️
  少年の、初めてしたガールハントみたいなものだった、それはーー。
 

 白いポーチに、陽を浴びた栗毛がブロンドに輝いていた。その輝きの陰影の中で、少年は、躊躇することなく片言の英語で訊ねた。

 

     “Your name?“

     ” ..... Cathy ”

 
 すべては、それだけで十分だった。何よりも少年は、少女のハーフの👰‍♀️香りに眩暈(めまい)した。ーーこの目眩は、少年がずぅッと後にもう一度、その香りと共に感じ直す💫眩暈だったけど、その時少年は、ほとんどその香りだけで十分に酔うことができた。
 

 フワッとした濃く生暖かい香りに誘われた少年は、ポーチに近づくなりその娘に声をかけただけなのだから。。黄緑に揺れるだだっ広い表の芝生や裏庭のブランコで遊んでるうちにも、少女のピンキーセーター越しに、幾たびか生暖かい肌が感じられ、流れるチェスナットヘアが何度も少年の首元に纏わりつき、めくるめく香りが少年を尚一層目眩(めまい)させた😵‍💫

 
 キャシーの体は、半ば大人のように🧑腰の線が流れるように美しく、背中の香りは少年を別世界へと誘(いざな)った。
 
 彼女の乗ったブランコを揺らすと彼女も揺れ、香りは一層と漂った。少年は、揺れて返りくる少女の体に知らず腕が回り、なんのためらいもなく、その香りの中に浸っていった。。早熟なキャシーは別にそんなイヤでもなく、なすがまま。少年の不思議な香りの中へと、彼女もまた揺らいでいったのだから。
 首元に顔を埋(うず)めた少年は、素敵な匂い❣️みたいなことを言ったのだけれど、少女にその日本語が理解できたかはわからない。でも⁉️
 

 それにも拘わらず、黒い髪の少年と栗毛の少女の香りと、世界はそれだけで十分成り立っていた。ーー🤦‍♀️🤦 呆れるほど十分に❗️・・・・・

 

 おお!想いのうちの、僕の少年のキャシーよ。君は今、ウェストコーストのL.A.の南、San Diego 

日々は別々に暮れ、君の夕焼けはパープルの紺青🌠の中に瞳も輝き、それなのにおお!僕にはパープ

ルの🌅朝が訪れる。すれ違いの時の隔たり、空間の大いさ。。長かった別々の暮らし。そして今、僕

は幾たびか故郷を離れて洋上を彷徨(さまよ)ったけど、何という時の隔たり❗️君は、君の姿は、淡

いパープルの中に消え、淡いのうちの💧雫(しずく)となった・・・

 

                  ◇

 

 

 キャシーのママは🤱日本人クウォーターだった。セミロングに金のイアリング。少年は、ママにもときめいていた。  白いジャガーを乗り回す、32才のわりと小柄な、いつもアイボリーな、もの凄く淡いトーンのベージュに基礎を置いたスーツを着ているママに・・・。

 

 ルーレットの仄灯りの向こうに、灯火の下に華やいだママとジョーンズがいるのが目に入った。

 ママは、Off Base(Johnson Air Baseの基地外)に20軒くらい固ってある🇺🇸アメリカンハウス🗽に住んでたので、少年の家の裏通りのすぐ近くだった。

  カーニバルのきょうは、キャシーを連れて、Baseにいるジョーンズに😻会いにジャガーを回してきたのだ。

 

  煌々とした照明で緑に輝く芝の向こうに、遠く透けて見えるママの姿👩

 

    “mamーー”

 

そう言って瞳を向けるキャシーの方向に、少年も目を向ける。と、その淡いベージュの、今宵は🪅パーティー用のドレッシーなワンピースに👗見えていたけど、近づいていくと、🍷ワインカラーのベルトに首元には同じ色調の🧣スカーフを纏(まと)うママ、ブレンダ。

 ママブレンダの自然なクォーターの香りと共に、人工的なめまいのするようなエルメスの香りが、10メートルも向こうから香ってきた。

 

  “ゆっくり遊んであげてネ!”

 

と、ニコッとして瞳を向けてくるママに、少年は言い知れぬトキメキを感じずにはいられなかった。

それに気付かぬ振り、直ぐにキャシーに向かって二言三言、早口の英語を喋ったかと思うと、

 

  “カム・オーン”

 

と、囁くように少年を憂いさせるような声で、ジョーンズに促し、ママ達はそのまま🍸🍷レストラン🍻🍽の方へと去っていった。今日は別行動だ。カーニバルは3日間あるので、明日は4人で🍴dinnerって予定、、なのです。

 少年がボーッとしてママたちを見てるのを、キャサリンはしっかり見た。

 ママの余韻が👩漂う中で、キャサリンのウフッて感じの笑顔に気づいた少年は、ドギマギした。しまった、というか。。

 

 まあ、キャシーは自分のママをじっと見られてたという恥ずかしさと優越と、そしてそーゆー少年にまま呆れた感とがすべて混在した表情でもって、ハーフの栗毛の陰から少年を見つめていた。少年は、その瞳に🐍ヘビに見つめられたかのように捕らわれてた。が、それを打ち破ったのは、

 

  “Leeet's”

 

という、流れるような透き通った魅力に満ちた、キャサリンの囁きだった。

 

          

 

 
   チェスナットヘアに👖ジーンズ・赤緑チェックのボタンダウンシャツで首元にはいつもしてない象牙の装飾を施した少女と黒い髪の少年とが、仄灯りの灯る🍕ピザハウスのドアの中へと去っていった。
 
  🌌夜の芝生に向けて瞳を閉じたドアの中へ🚪一歩入るや、ほんのり🕎灯の燈るテーブルがいくつも並べてあるのが目に入り、室内ホールいっぱいに酔ったピアノ弾きが、ここは New Orléans かと思うほど古いジャズを引っ切りなし掻き鳴らしていた。

 ‘50年代は、3、40年代のバップがゆっくりと流行の尾を引いており、Dixieland Jazzと共に引き継がれていた。

 少年の家にも、fragile というか分厚い割れちゃうレコード💿が、2、3百枚ほど廊下に無造作に放ってあり、いつも7球スーパーラジオからは生まれた頃から、これらのジャズが “FEN東京”から流れ、少年の🧏‍♂️耳に入ってきた。
 
             
       
 

 ジョーンズのテールランプが金魚の尻尾のように尖(とん)がってる真っ赤なキャデラックのカーラジオからも "FENトキオ“のアメリカンポップスが溢れ、キャシーのハウスでも数限りないgroovyなジャズとアメリカンポップスの坩堝(るつぼ)の中にいるようだったし・・・。

                      
 たくさんの大人たちの中に混ざって、キャサリンと少年は、🍕ピザを齧(かじ)り コークを飲んでいた。酔ったアメリカ人が、キャシーに何やら話しかけたと思ったら今度は、少年にこう問うた。
 

   “ Is she your girlfriend ? ”

           “ Yes ! ”

 
 即座に、少年はそう答えた。ジツは、文頭の意味など分かってない少年が、“girlfriend” に反応したという単なる子ども🧒判断で喋ったまでだった。なにしろ2人とも👫まだ9歳だったしするし。とはいえ、のちのち中学になると少年は、中間も期末も英語で満点💯をマークした。
 
 
 で、それを聴いたアメリカ人は、急にほほえましく笑って立ち上がったかと思いきや、そのまま濃い茶色の🟫カウンターへ行き、何やらオーダーしてるようだった。すると🥂グラスを2つ持ちかえり、テーブルに置きざま、
 

    “Coke,for you”

 
とか言って、2人に差し出した。少年と少女とは、すぐさま流暢に応えた。
 

   “Thank you very much!”

 
と。
 🗽アメリカ人はすぐ、ウェルカム とか言って上機嫌とゆーか、なんとも優しい顔で🥸別のテーブルに去っていった。
 
 残された2人は、“得した感”で“カンパーイ”と🥂新しいグラスに一口付けると、どちらからともなく間近に、少しばかり異なる色の🦸‍♂️👸瞳を見つめ合った。ーー今宵は更けない。この、つかの間の夜は🌉更けない、キャシーがいる限り。おお!なんという至福の・・GOOD SMELL . キャシーのキャサリンの、流れるチェスナットヘアの陰に秘そむ、憂いの喜びの瞳のその回りに漂う、少年を目眩😵‍💫させる香りの中の、おお!少年は🧀🫕チーズの蕩(とろ)ける中に、少女の舌の甘い心地良さの中にいた。
 

 ーー少女は、仄灯りの片隅で、👦少年の )^o^(  頬に唇を当てた💋。ほんの習慣で。でも2度目、ちょうど振り向いた少年の👄唇はキャサリンの柔らかな唇へと軟着陸した。瞬間、少女の“つもり=いつもの習慣”はさぁーっと崩れた。この夜🌌は更けなかった💫少年にとっても、それはファーストキス💏らしきキス。。終わりのない繰り返しだった。

 
 なのにそれでも🌌夜が流れた。ピアノの🎹音に叩かれて、こんなにも貴重で稀有で2度とないかもしれない夜が流れて暮れていった。
 そうして少年は、甘い眠りの中に堕ちていった。・・・
 
 
                     ◇
 

 そこには真っ赤な尻尾の尖がったキャデラックが置かれ、脇の白ペンキ塗りのフェンスの中はとても広い芝生で、一段上がった白いポーチから、ジョーンズが訪ねてきていた。キャシーは、ママがいない部屋でgroovyなレコードをジョーンズ好みにかけていた。

 もちろん少年も🛋ソファにもたれて、グルーウ“ィーと甘んまい☕︎珈琲が好きだった。。もうストーブを焚く、北風が舞う頃だった、それは・・。
 
 きょうママはさっきタッチの差で、何か用があると言って、Johnson Air Baseの近くからヨカータエアベースへと白いジャガーを転がしていった。
 帰りを待つジョーンズとキャシーと少年には、キャシーママ=ブレンダの帰宅が遅いのに、心持ち不安がよぎった。暖かな銀鉛色石炭ストーブの網の回りで、ママ👩が作っていった🍪クッキーを、まだ温かなまま3人で食べていた。。
 
 で 3人の誰ともなくちょうど口を開こうとしたまさにその瞬間、
 

     ルルルル☎︎ルリルリ

 
  ベルが誰かのコールを告げていた。
黒い受話器📞からは、ママとは違う人の声・・
 
 キャサリンの蒼い顔を見たジョーンズは、すぐさまキャデラックのエンジンをブウォーーンとかけ、キャシーと少年も後部座席に飛び乗った。ーーアメリカンポップスが、悲しく響いた。
 

  “♩You Are My Destiny ...... ♫ ”

 

   “ 八王子 ⇧10km”

 
の表示の下を通り抜け、ジョンソン・タウンから横田へは “16号に沿って” 約その中間、15分ほどだった。
 Englishの表示が、道沿いに幾つもいくつもサァーッと過ぎていく。
 

                            “ Attention ! 

                                    Save A Life

                                    Crossing !

                                    150 yards ahead ! ”

 
 そうして、どこまでもどこまでも灰色の道を尻尾の尖った真っ赤なキャデラックが駆け抜けていくと、急カーブのフェンスの所に、2DKのアメリカンハウス🏠を積載したconvoy(大型トレーラー)が積んだ家ごと横倒しになり白いジャガーがメチャクチャになって転がっていた。
 
 ... オフホワイトのスーツにワインカラーのスカーフ🧣のキャシーママ、ブレンダの姿はどこにもなく、そこにはジャガーの白さが埃にまみれ近づくと、赤い滴りがハッキリと目に入ってきた。
 Eの1959というナンバープレートだけが、わずかにママの原型を留めているだけだった。
 
 ママは、32だった。
 美しくキュートさのまだ残る、それでいて艶やかなキャシーママ、ブレンダ。ビバリーヒルズの陽を受けて立ったらどんだけきれいかってほどオフホワイトのスーツがスッゴ似合って、なにを着てもキレかった❣️
 
 どうして、どーしてもうママはいないんだろう❗️
 いったいどこにこの気持ちをぶつけたらいいんだろっ⁉️
 

 脇のAir Force  Baseの青白い灯火が輝き出し、

 🌌滑走路の向こうの地平線の遙か彼方には、エアベースいっぱいに🌔哀しい月が昇り始めていた。

 
                   ◇
 
 
 キャデラックは、対岸に去った。
 ... Just The Other Side Of Pacific
 
 そして、少年のへやの焦茶色の丸テーブルの上には、いつだったかママにもらった、今では形見になっている🫖ティーポットが、どれだけの時を経てもどんな所に移ってもどんなビルに🏙住もうと、あるときは向かいの🏡家を見、或いは遠い🌉夜景の見える窓辺のテーブルの上に耀いている。
 
 そうして、少年にはいつも、紅茶とは違う香りが感じられた。
 

 幾年(いくとせ)の時を隔てた今でも少年には、窓辺の丸テーブルの青チェックのクロスの上に置かれた🫖teapotからは、ママの幽かな香りが漂い、甘味な紅茶の一雫(ひとしずく)からも、キャサリンのとろけるような舌の💏感触が幾たびも蘇ってきた。

 

   幾たびも、幾たびも、幾たびも・・・・

 
 
                      (  The End   )
 
 

[冒頭で予告した情報] ⇩

 
 16号沿いの話②   クイズじゃないす、
 旧石川組製糸西洋館を過ぎてすぐ!
                               
                              
 
西武池袋線と桂川(霞川とも言う)と16号バイパスとの3線が一点で交わる
 

    “ トリプルポイント ”

 
があります。たいていは、道路と川が、とか🚇鉄道と川がとか2つ一緒が大半!
 
 ところがここはホントに、鉄道と道路と川とがそれぞれ異なる3方向から来て、見事にほぼ一点で交わる稀有な場所なん デス ‼️ ( 鉄分の濃い人 必見 ❗️) そうだにゃ、🛫✈︎✈️ブルーインパルス各機が違う方向から飛来してきて危うく突っ込み交差かわすくらい曲芸飛行的の角度かニャ❗️
 用意するものは📹カメラとドローンですかネ⁉️ クレーン?でも可。
 
 さらにです。その脇、線路の南側🛤即は、児童作家🧒西沢正太郎先生が👨‍🏫つい最近、96才で他界されるまで執筆されてたお宅です。
 
 先生は、近くの豊岡小学校で教鞭を執られていた1960年代に『プリズム村誕生』で講談社の第二回児童文学賞を確か立原えりかと同時受賞でした。(因みに審査員は二十四の瞳の壺井栄、第1回は🐉龍の子太郎!)で、そのまま教鞭は辞めず、キャスターの悦ちゃん(小宮悦子さん)が通った時もいらっしゃいました。ぼくは小3のときで、先生担任クラスの廊下を通ると教壇左の先生の机がスポットライトを浴びたように先生とデスクランプ🪔が異様に神がかって浮び上がっていたのをハッキリ覚えてます。あれこそオーラってもの❗️
 
 ぼくが中学の部活帰る時間、先生は小学校を終え家で一服🍵して外の川縁でいつも和服でちょうど思索に耽っておられる時で。毎日のように挨拶をしました。いつもやさしく微笑んだだけでなく、僕がモノを書くようになると📝載った雑誌の批評もしたお手紙も頂いたし。。しかもその場所は同時期に夕焼け小焼け🌇の赤トンボの山田耕作氏の映画のロケ地でもあり、ラッキーな私は通学時ちょうど撮影に出会したデス❗️QPが出てた、知らないよネ⁉️ ともあれ、

 身近にフツーに、文学賞をとった先生がいたことは、超~luckyなことでしょっ❗️

 
         でわでわ、みなさま良い週末とゴールデンウィークを❗️
         しばらく Blog おやすみやす〜デスよろ❣️
 
 
   P.S.  6回前、今年3/11のBlog“東日本鎮魂歌②“をYouTuberさんが朗読したの有ります。
  その回の冒頭付近にリブログしてるので、それで飛べると思いますが。以下は、説明写真です。ここからは飛べないですが。 尚、タイトルは全然違くて“愛わ時空を恋え”♯4 になってます。
 
 
 因みに、Johnson Town に関わる物語は、”愛わ時空を恋え“ ♯1 に YouTuber(関根俊和さん)によって朗読されています。
                                      以上、Satopee