パワートランジスタの破壊とその保護対策(1)
2014/05/18
日刊工業新聞社「電子技術」誌に三回に渡り連載された記事の初回分 1967年(昭和42年)4月号
三浦敬男、佐藤武久、平強(東京三洋電機株式会社)






謎の山岳寺院跡 宇通遺跡
2014/05/14
謎の山岳寺院跡 宇通遺跡
空っ風街道を通って新潟に帰る途中で「龍願寺牡丹祭り」の案内板を見たので立ち寄った。
なぜか昔見た風景に似ているのでご住職にそのことを話すと、入り口を真っ直ぐに進むと「宇通遺跡」への登り口で、今は通行止めになっていて遺跡も荒れ放題だという。
どうしても行ってみたいというなら熊よけの鈴が必要で、できれば登山靴を履いて行った方が良いという。


吾は1980年代この遺跡に興味を持ってホームページにこんな記事を書いていた。
第27回 「女性の日」のパーティ
こちらに移動しました。
第27回 「女性の日」のパーティ
(2002/3/14記)
3月8日は「女性の日」でした。
「女性の日」というのがあるということは聞いていました。
そのとき「それでは、『男性の日』というのもあるのですか?」と質問したら「残りの364日は男性の日なのだからそんなものはことさらに必要ありません」という答えでした。(後で判ったことですが3月18日の軍隊の日が大雑把には男性の日と呼ばれているようです)
そのとき答えてくれた女性の迫力に圧倒されて、「女性の日」にはどんなことをするのかを聞かずじまいでした。
さいわい、海外シニアボランティアの先輩である吉武さんから送って戴いた「西方見聞録」の第4回の中に「女性の日」について触れた記述がありました。
それによると、日頃お世話になっている女性達にあげようと当日バラの花を30本ほど買って小脇に抱えて廊下を歩いていると群がって来た女性達に全部むしり取られてしまった。本当にあげたかった女性が3人いたのに彼女達に届けることができなかったのは残念と書かれていました。
私にも本当にあげたい女性は3人を下らずいるけれども、途中でみなむしり取られるのならつまらないと思って当日はバラの花を買おうかどうか思案しておりました。
昼食が終わって研究室に戻ると、「今日は『女性の日』なので夕方からお祝いのパーティをやりますから会費を2000トゥグルク下さい」といって幹事役の人が集めに来ました。
日本のようにきれいにプリント印刷された連絡文を事前に回覧(回覧という言葉さえないことは以前にも書きました)して参加・不参加を確認するとういようなことはなく大体直前になって知らされることがほとんどです。
会費を納めても名簿(この研究室の名簿というものも見たことがありません)に納入済みのチェックを入れるというようなこともないので二重取りされないかと不安になります。
会費を納めた後、「パーティは何時からですか?」と聞いたら「わからないから今聞いて来ます」との返事で、結局4時からの予定であることがわかりました。
万事こんな調子ですが4時になったらテーブルと椅子が手際よく並べられ特設のパーティ会場ができあがりました。
テーブルの上には韓国製のOBという名の缶ビールやスプライトなどの飲み物とチョコレートやビスケットなどのお菓子類が並べられていました。
いつだれが買いに行ったのかわからないけれども、この研究室の6人の女性に渡すバラの花も用意されていました。1本1000トゥグルクほどだそうです。
全員が席に着いたところで入り口の鉄製のドアが閉ざされました。
教室で酒は飲んではいけないとういう規則があるので「今、酒は飲んでいませんよー」という合図のようなもので、だれかが見つかって退学処分になったというようなことはまったくなく、どこの教室でも普通にやられていることだそうです。
この日はボルドサイハン教授も出席でした。はじめに教授が立って女性達に向かって神妙な面持ちで挨拶をしました。ごく短い挨拶でしたが日頃の尽力に感謝しますというようなことだと思います。
その後、女性達にバラの花が手渡されました。
それが済むとビールの缶が開けられ、会がにぎやかになってきます。
特別に誰かが司会進行役を勤めるというわけでもなく成り行きまかせの感じです。
私の右隣は男子学生のデゾー、その隣が韓国の留学生のハンナさん、その隣が広瀬哲子さんという席順です。
ハンナさんはモンゴルに来たばかりで英語しか通じません。
ハンナさんは釜山の出身なので「釜山港に帰れ」という歌は韓国でも有名な歌かとか、干し柿を材料にした「スチョンガ」という飲み物は韓国レストランの「レインボー」に行ったら飲めるかとか話しました。
そのうち、ハンナさんが韓国では男性が女性にバラの花をあげるのは I love youという時なのにモンゴルでは愛していない女性にバラの花をあげているのはおかしいというようなことを言いました。
英語に習ったばかりモンゴル語が混じって、「愛していない」と言うのをloveビシと言っていました。Love グイというのが正しいようにも思いますが意味は十分通じます。
隣のデゾーとはモンゴル語の会話ですが、向いに座っている他の学生が私がデゾーと話をしているのを見て、「サトさんはモンゴル語を喋っていないのに話が通じているみたいで無声映画を見ているようです」と言いました。
このレベルの会話は広瀬さんの通訳がないとまだ聞き取れません。私も少し込み入ったことを言いたい時は広瀬さんに通訳をしてもらいます。
デゾーがカメラを貸してくれというのでいつもポケットに入れているコダックのDC20を貸してあげました。私の背中の方から写したもので、この日のパティーのなごやかな雰囲気が良く出ていると思います。(この写真はホームページのバックナンバーの方には載せたいと思います)
パーティーが中盤に差し掛かったころボルドサイハン教授が机の下から「チンギスハーン」という高級アルヒとハンガリー製の赤ワインを取り出しました。
アルヒは亭主役のような人がいてコップに注いでそれを一人に渡します。飲んだ後、それを亭主役に返し、それに注ぎ足してまた次の人に渡すという具合に進行します。
私は前回テレルジで酔い潰れた苦い経験があるので飲んだふりをして返したら亭主役のムンフボルドさん(教授の次に年齢のいっている人で工学博士)がそれではだめだからもっと飲めという。
私は、「このあいだテレルジで雪の上で相撲をやった後アルヒを飲んで40年ぶりに意識不明の酔っ払いになった。アルヒはこわい。また広瀬さんにおんぶされてアパートに帰るわけにはいかないから今日は飲まない」と言いました。
私がテレルジで酔い潰れたことは皆に知れ渡っているようで大笑いになりました。
トゥルーさんが「サト-さんはモンゴルに来て間がないからアルヒに慣れていない。毎日少しづつ量を増やして飲んで行ったら潰れないで飲めるようになります」と有り難い忠告をしてくれた。
「あの日、ボルドサイハン先生はなんともなかったのですか?」と私は教授に聞いてみました。
「サトーさんと同じだけ飲んだけれど私は身体が大きいから大丈夫だった。飲んだ後で風に当たる(モンゴルでは「散歩する」の意味)と酔っぱらい易いのです」との答えでした。
はてな?、飲んだ後で散歩をしたという覚えはないが・・・
といっても、覚えたてのモンゴルの歌「四季」を日本語の歌詞で「春はやさしく風に揺れる花・・・・」と二番まで歌ったところまでは幽かに覚えているのですがその後の記憶、どのようにしてバスに乗り込んだか、ウランバートルに戻るまでの道中はどうだったかについてはまったく無いのです。
会がお開きになるころ、「私のプレゼントがあります」と言って女性6人分のフロッピィディスクを箱に入れたのを広瀬さんに渡して一枚づつ配ってもらいました。
「この中にスンベルが今年の年賀状のために書いた10枚ほどの絵が入っています。一枚だけ「女王(queen)」という名の絵が余分に入っているものがあります」
「当てた人にはスンベルの書いた原画を景品として差し上げます」
このプレゼントは650トゥグルクのフロッピィディスクにモンゴル原産の絵画をコピーした安上がりの手作り品だったが研究室の女性達のはしゃぎぶりから見て喜んでもらえたのではないかと思います。
実を言うと、このフロッピィはここまで用意周到に考えて作ったものではないのです。
この教室のコンピュータは すべてWindowsマシンであり、ホームページ作成ソフトは
MacroMedia社のDreamWeaverというものが使われているのですが、私は普段Macを使っているのでこのソフトには不馴れです。
学生に教える手前、少しはいじって慣れておかねばとここ二、三日スンベルの絵を使って練習をしていたのです。
バラの花を買う必要がないと判ったので、これをフロッピィにコピーすれば手頃なプレゼントになりそうだと思い至ったのです。
フロッピィディスクを大学の売店に売っているかとさがしてみたがありません。
早速、300メートルほど離れたモンゴル大学の西側にあるパソコンショップBSBに買いに出かけました。
途中、バラの花を抱えて歩いて人を何人も見ました。今日は椅子にじっと座って仕事をするという雰囲気ではなく、街中が浮かれている感じです。
フロッピィは黒ではなくカラーのものが欲しいと思っていました。
枚数も吉武さんや元山さんのように30人や50人分までは必要ないが、最低研究室の6人をカバーして20枚は欲しいと思っていました。
ところがです。全部買い占めても黒いのが5枚しかないというのです。
仕方がないから5枚を買って1枚は控えに取っておいた分を緊急放出してなんとか6枚のやりくりをすることにしました。
新規にコピーした5枚分をブラウザ-で確認したら何故か全部女王の絵が表示されません。
パーティは4時から始まるのにもう手直ししている時間がありません。
そこで「窮鼠猫を噛む」の状態でひらめいたのがこの「逆転の発想」というわけです。
「すべての短所は転じて長所と成り得る」
どこかで読んだような気がします。
(EOF)
二十日大根の初摘み (2002.4.27 配信)
*************************Letters from Mongolia
No.13 二十日大根の初摘み
モンゴル通信「崑崙の高嶺の此方より」
By T. Sato
Letters from Mongolia *************************
サインバイツガーノ(皆さんこんにちは)、佐藤武久です。
モンゴルに来てはやくも5ヶ月が過ぎてしまいました。
言葉がモンゴル語で通じにくいという点を別にすれば、さほど異郷の地にいるということを感じていないようです。
緑の芽吹きはまだありませんが暖かい日が多くなり、大学の研究室では窓は開け放って外の冷たい空気を入れて室温調節をしています。
JICAの温室(旧日本大使館時代の施設だそうです)で米澤夫妻と共同作業をして作った畑に二十日大根が育ち、少しづつ収穫できるようになりました。
初めて摘んだ1本をはがきにスケッチし水彩で仕上げました。
ウランバートルでも野菜が豊富に出回るようになりましたがそれでも新鮮な緑の葉物は少なく、温室からの収穫はサラダにしたり漬け物にしたりで食卓に彩りを添える貴重な一品となります。
昨日26日、学長秘書のバトバータルさん(男性です。日本の大阪府立大に留学していたので日本語は十分話せます)と歩いて中央郵便局に行き荷物を受け取りに行きました。
モンゴルには日本のような配達制度がないので連絡を受けるとビザを持って自分で取りに行かなければならないのです。
大学の日本語学科に寄贈していただくことになった翻訳ソフトの受け取り人がバダルチ学長と私の連名になっていたので、ロシアに出張していて学長のビザが使えないので私が頼まれて同行したのです。
さいわい昨日はワイシャツで外に出ても寒くない暖かさで、スフバートル広場(北京の天安門に相当する政府庁舎前の広場)を世間話をしながら横切って往復一時間ほど散歩気分で荷物を受け取って帰って来ました。
帰り道の途中、私がメロンの種を買った種売りのおやじさんのテント張りの小さな販売所に顔を出してみました。
私は何度か会ってモンゴル語の片言と英語で話したことがあるので、彼の妹がモンゴル大学の修士課程を卒業した後、東京の大学院(東京大学の大学院か東京の大学の大学院かその辺がはっきりしないのですが)の博士課程に留学していることは知っていました。
バトバータル学長秘書は留学先の日本から帰る時に田舎の親戚へのお土産として小玉すいかの種を買って来たと言うほどの人なので初対面のこのおやじさんと何か話し込んでいました。
なんでも若い時にチェコのプラハの大学でバイオを2年間勉強したので、チェコ語?もポーランド語も少しはできるからモンゴル語だけでなくそれもよければ教えてやるから、代わりに日本語を教えてくれといっているというのです。
英語も片言をしゃべるし、何ともこのおやじさんはここの屋台に飾ってあるパネルの種子の袋のように中身は少しですが品数だけは豊富なようです。
店の前にはヤマハの赤いオートバイがあってこれで通っていると聞いていましたが、今日良く見るとモンゴル語で「売ります。新車1000ドル」と書いた小さな紙が張ってありました。
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