池島信平のこと-11 母カタ子の先祖の墓
2009年5月5日記
池島信平のこと-11 母カタ子の先祖の墓
「池島信平対談集 文学よもやま話 上」の野上弥生子との対談で、母カタについてこんな話をしています。
(以下引用)
池島 いや、お元気でなによりです。わたしの母も八十三ですが、元気でしてね。いまだ頭が上がりません。この間も軽井沢の寮にいたのですが、「お盆で墓参りするから、連れていけ」・・・・・・。そこで、車で柏崎までいったんです。親類縁者、みな集めましてね、お墓の前にござを敷いて、「先祖は全員酒飲みばかりだったから、信平、お墓にたっぷりお酒をかけておやり」。こう申すんです。そして、その後は冷や酒の宴会で、まあ、その元気なことといったら・・・・・・(笑)。
(引用終わり)
その墓というのはこの写真のもので中央の墓石には嘉永二年 福相勇貴信士霊位と刻まれている。また左の小さな墓石には明治三十五年 金子常三郎建之 屋敷先祖大倉与左エ門と読み取れる。
カラー写真の中央がカタ子、その後ろが池島信平、右手の青年が写真提供者の金子享司氏、現在78歳である。左は昔、佐藤酒造店だった「酒屋」と言う屋号の家の佐藤忠雄氏の母堂フミで現在96歳でご健在である。


「私本太平記」に見る毛利氏と佐橋郡
2014/10/7日記
吉川英治著「私本太平記」に見る毛利氏と佐橋郡
(以下引用)
毛利時親は、大江氏の族である。だから都や鎌倉では。
大江時親
で知られている。
生地は越後だ。同国佐橋郡ノ南条の守護、毛利経光の四男である。少壮から変り者の方だったらしい。
しかし、六波羅の評定衆に加えられ、その才はほどなく、鎌倉の執権代長崎高資の一族泰綱に
みとめられた。そして泰綱のむすめを妻に娶った。まぎれもない彼は北条眷属の一人であった。
ところが。
諸般の事情はよく分からないが、六波羅の職はまもなく辞めてしまった。・・・・
(引用終わり)

柏崎市の歴史年表(鎌倉時代)


















