佐藤武久のブログ 「日本・モンゴル往来日記」 -65ページ目

紅梅

2015/03/22記

紅梅の一輪ほどの暖かさ
3月21日 春分の日

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3月28日(土)撮影
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花だより 黄蓮(おうれん)

2015/03/09(月)

雪が消えた所に真っ先に咲いた黄蓮(おうれん)。

正確には菊葉黄蓮(キクバオウレン)?

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追加画像:3月27日撮影

去年春は4月になってこんな花があることに気がついた。

晩秋の薪拾い

2015/03/05(木)記

モンゴルの田舎暮らし

晩秋の薪拾い(2002年ガチョールトにて撮影)

近くの山からからストーブで燃す唐松の枯れ枝を拾い集める。
料理用も暖房用も燃料は自給自足。

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関連記事:冬の薪拾い(2002年撮影)

弓で遊ぶ

2015/03/03(火)記
 
2003年夏、ウランバートル郊外のがチョールトで撮影
 
モンゴルの夏は遅くまで空が明るい。
夕食後、ダダル村(チンギスハーンの生誕地)で買った弓矢で遊ぶ。
放った矢は、アリョーナ(2歳)が「私が拾ってくる」となんども往復した。
 
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ヤママユガの繭

2015/3/3(火)記

ヤママユガ(別名:天蚕)の繭

コナラの葉が茂っている時は気づかなかった。
たぶん、空繭

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関連動画:
ヤママユガの一生
生き物の気配

中島敦「李陵」

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(2003年モンゴル国ウランバートル郊外のガチョールトにて撮影)
 
2015/02/28(土)記
 
中島敦「李陵」の中に、再び漢の地を踏むまいと誓った漢の武人李陵がモンゴルの風俗について感じたことを述べた次のような一節があります。
 『初め一概に野卑滑稽としか映らなかった胡地の風俗が、しかし、その地の実際の風土・気候等を背景として考えて見ると決して野卑でも不合理でもないことが、次第に李陵にのみこめて来た。厚い皮革製の胡服でなければ朔北の冬は凌げないし、肉食でなければ胡地の寒冷に堪えるだけの精力を貯えることが出来ない。固定した家屋を築かないのも彼等の生活形態から来た必然で、頭から低級と貶(けな)し去るのは当らない。漢人の風を飽くまで保とうとするなら、胡地の自然の中での生活は一日といえども続けられないのである。』
 
 
 
 
 

表紙

2015/02/24(月)記

Kindle版の表紙

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関連記事:

男はつらいよ 寅次郎忘れな草 HDリマスター版(第11作)

2015/02/20(金)記

男はつらいよ 寅次郎忘れな草 HDリマスター版(第11作)

邑楽町の図書館に行った時、たまたま上映していた。以前に見たことがあるので最初だけ覗いて出るつもりでいたが結局最後まで見てしまった。


歌枕直美の世界~歌で日本の歴史と未来をつないでいく~

2015/02/14(土)記

2002年JICAのシニア海外ボランティアとしてモンゴルに赴任していた時、ピアノ調律の指導をしていたK氏に歌枕直美のCD「明日香風」を紹介された。


歌枕直美の世界~歌で日本の歴史と未来をつないでいく Naomi Utamakura


うたまくらjptop

コミック 李陵

2015/02/07記

雪が止んで青空の見える日が三日続いた。
日光浴を兼ねて玄関先に椅子を出し、昔愛読したコミックを読みなおした。

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