佐藤武久のブログ 「日本・モンゴル往来日記」 -164ページ目

羊の臭い

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2009年1月3日(土)

モンゴルに赴任したばかりのYさんへ

羊の臭いについては私にも思い出があります。

今から9年前になりますが、モンゴル科学技術大学に赴任して1ヶ月くらいたった頃、学生食堂の羊の臭いが鼻について肉類が食べられなくなり、1ヶ月くらいの間、牛乳に砂糖を入れたものだけを昼食にしていました。
その時期を過ぎてからは平気になり、今はアーロールが少し苦手という程度で、夏の10日間くらいの田舎
旅行でもモンゴル人と一緒の食事ができるようになりました。
2ヶ月くらいモンゴルに滞在して日本に帰ると妻に羊臭いと言われます。

どの国にもその国特有の臭いがあるようで、日本人は生魚やお醤油の臭いがするようです。
私の家に3ヶ月ほどホームスティしていたモンゴル人の青年は、初めは納豆が臭くてあのネバネバが気持
ち悪くて食べられなかったのですが、帰る頃にはすっかり好きになって、今では日本からのお土産に毎年
納豆を所望するようになりました。

添付写真:モンゴル科学技術大学の学生食堂とカウンターのおばさん 2007年夏撮影

タリアット村にて

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2008年7月16日

開高健のイトウ釣りで名を知られたタリアット村のゴアンズ(軽食堂)でたまたま一緒に食事をしていたスイス人の旅行者です。
このリカンベントと呼ぶ変わった自転車でウランバートルからここまで来てフブスグル湖まで行くのだそうです。
ここのゴアンズに自転車を預け、故障した部品を買いに一度ウランバートルに戻り帰ってきたところ、預けておいた自転車をモンゴル人の誰かがいじって部品が紛失したようでトラブルになっていました。
警察に届け出ると憤慨していましたが私たちが仲介に入りなんとか解決してこの記念写真を撮りました。

関連事項
開高健:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E9%AB%98%E5%81%A5
リカンベント: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88

月の砂漠

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2007年6月29日

見渡す限りの広大な視野にわずか3棟のゲルがあるだけのこのバヤンホンゴルの集落?(モンゴル語でアイ
ルと呼ぶのかな?)でゲルの近くに井戸はあるが、これは駱駝専用の水で人間用は別の場所から汲んでく
るらしい。
日が沈む頃、ロシア製のワゴン車に乗って水を汲みに出かけた。
最初の井戸に着いたころは山の端に満月が昇っていた。
こんな風景はDVDで「紀元前1万年」という映画を見た時に何度か出てきた。
少年が穴にもぐって水質を調べたところ駄目だったらしく別の場所に移動することになった。
それまでの間、吾は森繁久弥調で「月の砂漠」を唄った。
「サトーさんが何か日本の歌を唄っています」とホーギーが解説しながらビデオカメラを撮っていた。

次の井戸に着いた時には、日はすっかり暮れて月明かりの下での作業になった。
牛が二頭水を飲みに寄ってきていたがそれを押しのけて人間用の水を汲んだ。
終ってから牛に水を汲んでやってから帰途に着いた。
田舎に旅行している時もそうだが、モンゴル人は他人の牛や馬も自分の大事にしている家畜の
ようにお世話する。
家畜は私有物ではなく国の共通の財産だと言う社会主義時代の考えがそのまま引き継がれているのだろ
うか? それともチンギスハーンの教えが連綿と続いているのだろうか?

関連事項
映画「紀元前1万年」: http://event.movies.yahoo.co.jp/gw/2008/list/10000bc.php

http://movie.goo.ne.jp/special/10000bc/index.html

小鳩くるみ「月の沙漠」:http://www.youtube.com/watch?v=yMAtRvM5CUQ
小林旭{月の沙漠}:http://www.youtube.com/watch#!v=U0Arb5MlQKE&feature=related
フランク永井「月の沙漠」;http://www.youtube.com/watch?v=e2a5jCtLXLU&feature=related
石原裕次郎「月の沙漠(アカペラ)」;
http://www.youtube.com/watch#!v=SrszOxZaQQs&feature=related
井上陽水: http://youtu.be/4NTsepgI-Mw

超軽量飛行機(ULP) 

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2008年12月27日

田宮の模型で我慢すれば良かったものを、親父の禁制を破って超軽量飛行機に挑戦した。
指導教官が同乗して利根川の400メートル上空を飛んでみたが単独飛行など無謀この上ないと悟った。
その後、地上訓練を何十時間かやったが飛び立つ勇気は湧かなかった。
それでも翼を張って地上をぐるぐる走り回っているだけで楽しかった。
滑走路と呼ぶのもおこがましいような休耕田を借用した広場で突風が吹くような日に教官が心配して見張
りに来る程度の自主訓練が何日か続いた。
そうこうしている内に、一緒に練習していた成田空港の整備士だと言っていた青年が野次馬の挑発に乗っ
て漱石の坊ちゃんよろしくエイヤーと2メートルほど浮かび上がったまでは良かったが着地に失敗して転倒し肋骨を折るという事故があった。
また、モーターパラグライダーで飛行経験のあった青年が地域のお祭りにデモンストレーションを依頼されて、これも着陸時に立ち木に引っかかって大怪我をしてしばらく姿を見せなくなった。
そして吾の単独飛行の意欲も次第に失せて、この超軽量飛行機もやがてお蔵入りの羽目になった。

数年前、この折りたたみ式の超軽量飛行機は群馬からエステマの後座席に積んで新潟の実家に運ばれた。
さながら、棺のようにも思えた。
冬になる前に車庫のスペースを空けなければならないが、思案していたところ集落の共同作業場に春まで
格安料金で保管できると言う話を聞いた。
それならば、折りたたむ必要はない。防錆スプレーで手入れをして車輪を広げたまま作業場に運ぶことに
した。
春になったら翼も群馬から運んできて畑の一角に張って、ちょっとおしゃれな休憩所を作ろうと思う。
団栗の木陰ができるまで、この翼の下でお茶飲み会でもビールパーティでもできそうだ。
派手な色使いの翼だからこの田舎の風景の中では人目を引くこと間違いなしだ。

関連事項
超軽量飛行機(ULP): http://www.iris.dti.ne.jp/~planet/ulp/index.html

俳句または川柳-2

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2008年12月20日(土)

お金持ちのメタボの知合いのお陰で新品同様のお古が回ってくるのでこの数年下着以外の衣服をほとんど買ったことがない。
良寛は「焚くほどは風の持て来る落ち葉かな」と詠んだが、吾の場合、こうなる。

「着るほどは佐川持て来る衣服かな」


このこげ茶のカシミア100パーセントの薄手のセーターだけはモンゴルの友人からプレゼントされた新品で、この冬は大いに重宝している。

福昌寺の風景

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2008年8月14日

墓参りに来たら去年と風景が違っている。
中越沖地震で福昌寺も大きな被害を受けたそうだ。
修復工事のために境内に生えていた杉の大木を何本か切り倒したせいで南に眺望が開けて明るくなった。あの杉の樹齢はおそらく300年は経っていると思う。

2009年1月19日(67歳の誕生日)

私の新潟の生家は集落の古事記によると寛政二年三月十九日の造営だそうだから築209年ということになる。
麻生総理は国会の答弁で麻生邸が100年は経っていると話されていたが、それどこではなく古い。
しかも、きちんと修復すれば私が100歳まで生きたとしても十分に耐えられるし、まだ100年は十分に使えると思う。
ただし、横座は広くて天井も高いので冬の寒さは半端ではない。それも老人強制劣化施設と考えてそれを越えられなければ100歳まで生きるのは到底無理と思う。

関連事項

福昌寺、岡村為蔵: http://www.nfcnet.co.jp/nfcmg/news/news_20040215.htm
恩地日出夫監督作品「わらびのこう(蕨野行)」: http://www.catvy.ne.jp/~warabi/

名画鑑賞会 「蝉しぐれ」

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2009年1月22日(木)

柏崎刈羽原子力発電所の主催する第132回名画鑑賞会「蝉しぐれ」にインターネットで昼の部に申し込み
をしておいたら申し込み多数のため夜の部の席が取れました。
冬のこの時期に暗くなってから街に出るのは滅多にないことですが長靴を履いて田舎者丸出しの格好で出かけました。
幸い雪に降られることもなく22時頃無事帰宅。


関連事項
柏崎刈羽原子力発電所:http://www.tepco.co.jp/nu/kk-np/index-j.html

こんな映画を見ました 「顔」

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2009年1月23日(土)

シネマパラダイスでこんな映画を見ました。
監督:阪本順治、主演:藤山直美 「顔」

最初に見た阪本監督の作品は「闇の中の子供たち」でした。

モンゴルから届いたクリスマスカード

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2008年12月25日

モンゴルからこんなグリーテングカードが届きました。

朝青龍 優勝おめでとう

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2009年1月25日(日)18:10記

朝青龍 優勝おめでとう!

JICAで派遣されていた2002年11月の初優勝の時、モンゴルのテレビ局に呼ばれてお手伝いしたので我が事のようにうれしいです。

当時メーリングリストで配信した文章の一部はこんなものでした。

「テレビ局の編集室は大学のニ階の一室が使われ16帖ほどの広さです。スポーツニュースを専門に扱うOdod(英語でStars) Studioという独立したスタジオでした。
 コートを脱ぐと挨拶もそこそこにすぐにNHK国際放送のビデオが再生されました。朝青龍の息使いが荒く真剣に聞き取ろうとすると聞きにくい発音が所々あり何度も繰り返えして聞き取りました。それをゲレルがモンゴル語に翻訳して原稿を書いてゆきます。」

全文は少し長いですが、自分で書いた文章を懐かしむほどの遠い昔のようでもあり、またつい昨日のようにも想える気分でもあります。
http://www.geocities.jp/sato032_2000/l27.htm