モンゴルの民族音楽 | 佐藤武久のブログ 「日本・モンゴル往来日記」

モンゴルの民族音楽

民族音楽

伝統音楽

モンゴルの音楽は主にボーカルで、楽器はほとんどが伴奏の役割を果たします。

それは、世代から世代へ受け継がれ伝えられて来たいろいろなスタイルから成り立ちます。

モンゴル人の精神生活で最も重要な要素は音楽に対する愛情です。それはまた、コミュニケーションの手段としても考えられます。

もちろん、モンゴル国も他の民族や国家に触れ合いながら生活を続けており、その結果、モンゴルの音楽も他の文化の影響を受けて来ました。

モンゴルの音楽は、一般にトーリ(叙事詩的な歌)とアルディンドー(民謡)二つのジャンルに分類されます。

トーリ(叙事詩的な歌)の基本要素は物語であり、アルディンドー(民謡)の基本要素は声楽です。

モンゴル音楽の大部分のジャンルは、環境との近い関係を表わしています。

 

ジャンツァンノロー氏はモンゴルの中でもっとも有名な作曲家の一人です。

彼は曲の中にモンゴル国特有の伝統的な音楽要素(馬頭琴/筝)を取り入れたことで知られています。

「国民的作曲家」としてモンゴル国でも特別な存在として高い人気があり、これまでに映画音楽をはじめ馬頭琴(モリンホール)アンサンブルなど30曲ほどの作曲しています。

代表作品の「ホワイト・ストゥーパ(白い仏塔)」は、夜寝る前に必ず聞くというモンゴル人もいるほど人口に膾炙されています。

 https://youtu.be/l_C-Y9jOHEk

(ジャンツァンノロー(N. Jantsannorov)作曲「Tsagaan Suvraga」)

モンゴル民族馬頭琴アンサンブル

モンゴルの遊牧民は、大草原地帯の本当の歌手と言えるでしょう。

彼らは、目的場所へ行く途中、大草原の中で歌いながら走ります。

彼らは、自分自身が楽しみながら、母国の古くから伝わる代表的な唄を歌います。

 

2003年の9月、チンギス・ハーンの生誕地であるヘンテイ県のダダル村にあるオノン河(バルジ河?)のほとりで釣りをしていたとき、たまたま出会った地元の青年が私がビデオカメラを持っているのを見つけて、唄うから撮ってくれと言われて映したものです。

 

 

 

青年の母は、NHKの取材で唄ったそうです。

唄のタイトルは「我ら父なるチンギスハーンの末裔」で、NHKのドキュメント「大モンゴル」のOPに使われたものと思います。

民謡

民謡には、オルティン・ドー(長い歌)とボギン・ドー(短い歌)という二つの主要な形があります。

モンゴルには、短い歌(ボギン・ドー)と長い歌(オルティン・ドー)という二種類の民謡があります。

長い歌(オルティン・ドー)

オルティン・ドーとして知られているのは、ユニークな伝統的な歌のスタイルです。

それは、13世紀の古典的芸術であり、モンゴルの音楽芸術の最も古いジャンルのひとつです。

オルティン・ドーは、とても複雑で、長く引き延ばされたボーカル音を含んでいます。その音域は、男性歌手の場合で裏声も含めると三オクターブにも達する異常な広さです。

それのため、歌手には呼吸能力とのどで歌う複雑な技術と才能が要求されます。

モンゴルのオルティン・ドーはさらに『少し長い歌』、『長い歌』と『堂々たる長い歌』に分類できます。

オルティン・ドーは、故国の美しさについての伝統的な話、モンゴル人の日常生活などをテーマにしており、「エルデネ・ザサグの馬」「ブラウン・ヒルの影」、「おだやかな世界の太陽」と「四季」のような歌が人気のあるものです。

これらのオルティン・ドーには、彼らの希望や願望が色濃く込められています

 

モンゴルの国民的歌手 ナムジリーン・ノロブバンザドさんは大河ドラマ「北条時宗」のオープニングテーマ曲の歌唱部分を歌い、日本でも知る人ぞ知る存在です。

「おだやかな世界の太陽」 ナムジリーン・ノロブバンザド(歌)

https://youtu.be/1Vr-QiYDHJk

ボギン・ドー(短い歌)

声楽の芸術で最も人気のあるタイプは、ボギン・ドー(短い歌)です。

それは、オルティン・ドー(長い歌)と対照に、単純な2ないし4行の全く韻律的で活発なものです。

テーマ

全てのモンゴルのフォークソングの根底にあるテーマは、人間の愛、馬に対する愛情と国家に対する愛という3つの愛についてです。しかし、モンゴルのフォークソングにも、歌の内容と音楽形式で、仕事と習慣に関係したり、願望を述べたり、伝説と叙事詩に関係した哲学的で精神的なテーマのものもあります。 また、祝祭や式典のときの歌もあり、二人かグループで呼応して歌う歌、ゲームの歌、それに皮肉な意味を込めた歌などもあります。

動物をなだめる言葉

長年の遊牧生活において、モンゴル人は家畜をなだめる特別の技術を開発しました。

例えば、子供におっぱいをあげるのを嫌がる雌羊をなだめて、授乳させようとする時に口にされるか、むしろ歌うように「トイグ」という言葉を使います。

トイグという言葉は、羊だけに使われます;

ヤギには、チョイグという言葉を使います;

ラクダにはホースという言葉を使います;

ラクダの場合には、モリン・ホール(馬頭琴)を伴奏として使うこともあります。

雌羊をなだめる時の歌詞は次のようなものです。

 

マンダリンのカモがやってきました。

ヨモギがはねました。

そして、あなたの乳房はいっぱいです。

子供を寄せ付けないで、

なぜ、あなたは嫌がるの?

トイグ、トイグ、トイグ

 

これを、雌羊が子羊に乳を飲ませるまで穏やかに何度も繰り返して歌います。

らくだは、技術に熟練した人が歌ったり、演奏したりする時に、「ホース」という呪文の優しい音色と馬頭琴の魅惑的なメロデーに涙を流すと言われています。

この言葉は、単なる呼びかけ以上のもので、詩や歌に同化したものとなっています。

追加:のろうばんざと

ホーミー(のど歌)

モンゴルには、ホーミーと呼ばれる独創的な芸術があります。

これはのどを使うユニークな声楽の表現形式です。

その名は文字通り、のどの音楽を意味しています。

ホーミーでは、音声コードの振動の共鳴体としての口腔の形を変えることによってメロデーが作られます。同時に、母音を強く出すことによって、メロデーの音色を強調しやすくします。

ホーミーは自然そのものと同じぐらい古く、小川のせせらぎや山のこだまを真似して最初にメロデーを人間が作った時に始まっていると言われています。

ホーミーは、モンゴルの西部でよく歌われます。そしてその表現形式は中央アジアの人々の中で、特にハルハとTuvinとアルタイ山脈の少数民族の中にも知られています。

ホーミーは、また、ウラルのビジュキルスで以前見つかりました。

鼻、のど、胸または腹部を使ってホーミーの倍音を作る方法はいろいろあります。

特別のタブーがあるわけでもありませんが、ホーミーを演ずるのは男性だけです。 理由は、十分な体力が必要とされるからです(女人禁制ではありません)。

 

古典オペラとバレエ

モンゴルの元帝国の歴史は、フビライ・ハーンの時代に、およそ412人の芸能人、歌手と踊り子が華麗なショーを演じていたことを示しています。

15-17世紀には、踊りと歌が順番に役割を決めて、モンゴルの多く地域で広く公演をしていました。

初代ゴビ卿のダンザンラウジャー(Danzanravjaa)は、19世紀末までに最初の劇場を設立し、彼の演劇「月のカッコー(Lunar Cuckoo)」を上演しました。

初期の組織が設立され、芸術グループが創設された1920年代には、現代の劇場が作られていくつかの演劇を上演しました。その演目は、民話に基づく「セレンゲの物語(The stories of Sengee)」、「ソムヤ卿(The lord Sumya)」などです。

1931年にモンゴル政府は、「ボンボゴル(Bumbugur)」という名前の国立中央劇場を建設する決定をしました。

1940年代には、劇場の芸人は、オーケストラ、コーラスとダンサーのグループに分けられ、施設は音楽ドラマ劇場として再編成されました。

1948年の後半には人形芝居、そして、1940年にはサーカスが設立され、ホブド、バヤン・ウルギーとドルノド県の劇場がオープンしましが、1963年に、ドラマバレエ・アカデミック劇場としてそれぞれ格上げされました。

その創設以来ずっと市民のための民族や古典オペラとバレエを生み出して成功してきました。

 

(モンゴルのバレエ 白鳥の湖(Swan Lake) 2011.7.3 Duration: 03:12 minutes)

例えば、チャイコフスキーによる「エフゲニー・オネーギン(Evgeny Onegin)」、「イオランタ(Iolanta)」、「スペードの女王(Queen of Spades)」、プッチーニによる「蝶々さん」、「トスカ」、「トゥーランドット」「オセロ」、ボロディンの「イーゴリ公爵」、ビゼーの「カルメン」、ロッシーニの「セビリヤの理髪師」、モーツァルトの「魔笛」、およびチャイコフスキーの「クルミ割り人形」、「眠れる森の美女」、「白鳥の湖」などの30以上のバレエ、アサフィエフ(Asaffiev)による「パリの炎(Flame of Paris)」、「バハチサラウの泉(Fountain of Bakhchisaray)」、ムンソス(Myncus)の「ドンキホーテ」、ハチャトゥリアンの「スパルタック(Spartac)」などです。

ドラマ劇場は、 「Lopper de Vega」、シェレー、シェークスピア、チェーホフなどモンゴルと他の有名な劇作家の演劇を上演して成功しています。

一般に、大部分の劇場は、国際的な競技会に参加し、外国に公演旅行をしています。

ポピュラー音楽

ショービジネスでは、1990年代以来、ポピュラー音楽グループがモンゴルの青年層に広く受け入れられました。

代表グループは、例えば、ハランガ(Kharanga)、ホブド(Khurd)、チンギス・ハーン(Chinggis Khaan)、カメルトン(Camerton)」、ノミン・タルスト(Nomin Talst)、フリー・ゾーン(Freezone)、アイス・トップ(IceTop)、ミスター・ドッグス(Mr.Dogs)、デジタル(Digital)、女性のバンドにはエモーション(Emotion)、オローリン・ボダグ(Uruuliin budag:口紅))、女姓歌手にはアリョーナ(T.Ariunaa)、サラン・トヤ(B.Sarantuya)、セルチマ(Serchmaa)、ノミン(Nomin)とミンジェー(Minjee)、男姓歌手では、ダシュカ(Dashka)とチン・バット(Chinbat)などです。

カメルトン(Camerton)は、モンゴルのバンドと歌手のリーダーです。

(ポップ・バンド・カメルトン(Camerton))

Camertonこのグループは、ヒットした8つのアルバムを持ち、7つのコンサートを行い、アカペラからファンクとポップまでの多くの異なるスタイルで歌います。

カメルトン(Camerton)の"Don't I think About You"はアジアのオール・スターズのCDに収録され、"Love is The Answer"という名前をつけられました。

また、モンゴルの歌手サラントヤ(B.Sarantuya)は、「世紀のシンガー」となり、アリョーナ(T.Ariunaa)はモンゴルのユニセフ親善大使として任命されました。

(サラントヤ)


(2009年5月3日 光が丘公園 ハワリンバヤル09 By Sato)

 (子供のためのユニセフ・モンゴル使節ー歌手アリョーナ(T. Ariunaa))

モンゴルの音楽教育と現代の芸術スキルは、文化芸術ウランバートル大学(Ulaanbaatar University of Culture and Arts)、音楽舞踊大学(Music and Dance college)、ミュージック・ホール(Music Hall)、映画映像研究所(Cinematographic Institute)と俳優研究所 (Acters Institute)によって運営されています。

ロシア、イタリア、およびブルガリアに留学した多くの歌手と音楽家が、洗練された腕前で戻って来て、レベルの向上に貢献しています。

 


オユンナは日本を中心に音楽活動をしています。

オユンナのホームページ

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