池島信平のこと-1 佐藤酒造店


2009年3月5日記
池島信平のこと-1 佐藤酒造店
我が家の50メートルほど離れた隣に酒屋という屋号の家があります。
かやぶき屋根の古い家で、老朽化している上に先の二回の地震で被害を受け、春になったら取り壊される予定です。
この家は屋号が示すようにかっては「佐藤酒造店」という作り酒屋で「稲荷山」という銘の酒を作っていました。
私より一つ年上の忠雄さんが時々柏崎の街にある自宅から車で通って来て、取り壊しの準備作業をしています。
子供の頃は、「稲荷山」という瓶に貼るラベルが残っていたそうです。
この家が酒を造っていた頃、番頭として働いていた池島信之助という近郷(当時上條村久米)の青年が池島信平(第三代の文芸春秋社長)の父親です。
また、信平の母は、この集落(当時は刈羽郡南鯖石村小清水)の娘で、池島と結婚して東京に出て北星舎という牛乳屋を開業しました。
「池島信平文集」(文芸春秋発行)の巻末の年譜によると
「私の生家は本郷春木町にある。北星舎といって牛乳屋である。いまでは明治乳業に合併されて、その配給所になっているが、『北星舎』といえばあの辺の古い人は皆知っていると思う。母も六十九歳、健在で、(父は私の東大入学試験の日に死んだ)北星舎のおばあちゃんといえば、ちょっとした女傑として通っている。
父も母も新潟県刈羽郡の出身で、東京で成功したが、いつまでも越後の風習をそのまま守った人である。私は東京の下町育ちだが、芝居とかその他下町特有の文化的雰囲気には殆ど無関心に育った。兄などは中学校を卒業すると、すぐ一年間越後で百姓をさせられて、それから家業を継がされたくらいだ。夏休みになると毎年私も越後へやられ、農家の子と遊ばされた。盆でも正月でも、その祝い方は越後式で、正月の五日には沢山の親類と支店の主人たち(みんな越後人)が集まって大酒を飲む、---盛んではあったが、まことに無風流なものであった。」 (「本郷春木町」)
信平が少年時代の夏休みに母の実家(今は残っていない)に来て、そこからすぐ近くにあるこの酒屋の家にも来ていたことは想像に難くないことです。
私の父は、信平より5歳年下ですが、子供の頃一緒に遊んでもらったかもしれません。
しかし、私の父は文学にほとんど関心がなく、出版界で言われる「名編集長三羽鴉」に数えられる人物とは知らずにいたようです。
関連資料
池島信平(Wikipedia):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E5%B3%B6%E4%BF%A1%E5%B9%B3