こんにちは、さとです。

 

今日は世界観ブログ5日目、お受験ぶち壊し面接の後、小学校に入ったばかりの頃のお話をします。

 

私が入学した三の丸小学校は、当時まだ築2~3年のすごくピカピカの小学校だった。

プールは室内の温水プールだし、廊下と教室の境のないオープンスペース仕様だし、いろんなことが最先端だった。

そして何よりの魅力は、「小田原城に限りなく寄せた」建物だったことである。

 

三の丸という名前からしてお城感が感じられると思うのだが、本当にお濠のすぐ隣にある小学校だった。

景観を守るために、すごくこだわってお城風に建てられたのである。

 

本当は、「城内小学校」という本気で城址公園の中にある築100年ほどの小学校に通えるはずだったのだが、私が入学する少し前に廃校になってしまった。

小田原城の真っ赤な太鼓橋を渡って通うのをすごく楽しみにしていたのだが、さすがに明治時代からの校舎は引退せざるを得なかったのだろう。(戦時中に作られた、銃をたてかけておく穴が廊下にあったりしたらしい。ちょっと見てみたかった。)

残念ではあったが、三の丸小学校はそれに匹敵するくらい魅力的な小学校だった。

 

 

一年生の時、私はすごく幸福感に満たされて毎日を過ごしていた。

クラスの子たちはみんな優しく、冴えない子もギャルも、男の子も女の子も関係なく遊んでいた。

いじめとか嫌がらせとか、そういったことは一切なく、楽園と言える環境だった。

私は社交的なタイプでは全くなかったけれど、クラスメイトとのコミュニケーションで困ったことは何一つなかった。

 

学校の授業も面白くて、今では考えられないかもしれないけれど、社会の授業の一環か何かで、5~6人グループで子供たちだけで街に探検に行く時間が結構あった。

子供ながらに、これ授業なの?と思うくらい良い時間だった。

特にあてもなく、心赴くまま結構遠くまで行ったりもした。江戸時代の史跡や、和菓子工場を発見した。

和菓子工場は、いい匂いがしてふらふらと入っていった。

確か若鮎という求肥が入ったどらやきの皮みたいなお菓子をお土産でもらったのを覚えている。

 

放課後にみんなでその辺の道路で遊んだりもした。

すごく楽しくて、幸せで、ずーっと子供でいられたら良いのにと強く願ったものだ。

子供の純真な心のまま、いつまでも生きることが出来たなら、こんなに幸せなことはないだろう。

世界に戦争なんてなくて、悲しむ人なんかいなくて、優しさとあたたかさの中にずっといられるに違いない。

 

でもそんな幻想は、早い段階で雲散霧消してしまった。

 

かの有名な「ポケットモンスター」が流行り始めて、私の楽園は瞬時に消えてしまったのだ。

 

私はある時から、みんなが聞きなれない歌を歌っていることに気が付いた。

歌詞も訳が分からない。何かの名前をブツブツ唱えているようだった。

友達に聞いてみると、それは「ポケモン」なるものの名前を覚える歌なのだそうだった。

そしてそれと同時に、優しくて仲良くしてくれていた男の子たちが、急に粗暴な言葉遣いや立ち居振る舞いをするようになり、己のことを「オレ」と呼称し始めた(イントネーションはオレ↑ではなくオレ↓である)。

クラスのみんなの話題が、ものすごい勢いで「ポケモン」で埋め尽くされていった。

 

私はそれが寂しかった。

仕方なしにみんなが見ているという「ポケモン」のアニメを視聴した。

そこには私が知らない「闘い」の世界が広がっていた。

そして親元から離れた子供が大人の世界(のように感じた)を歩き回っていた。

男の子たちが何にあこがれ、影響を受けたのか理解した。

 

 

それまで雲の上のパステルカラーのふわふわした世界にいたのだが、気付いた時には柔らかい雲の上には誰もいなくて、みんな地上の荒々しい環境に適応していた。

いばらや砂利で傷つき分厚くなった手は、何かを繊細に感じ取るよりも、誰かと戦うことに特化したように見えた。

私の束の間の楽園は、世の中からの風によって吹き散らされてしまったのだった。

 

いや、本当はそんなものがなくても、同じような段階で雲の上の暮らしはなくなってしまうものだったのかもしれない。

けれど、当時の私はみんなをさらっていった「ポケモン」を憎んだ。