こんにちは、さとです。

 

今日は世界観ブログ四日目、小学校受験のお話をします。

 

うちの父方の家系は医者一家である。

祖父に始まり、父、兄、叔父、従兄弟三人が医者で、医者でないのは私と叔母だけである。(母はここでは除外する)

子供たちは全員医者になるのが当然、という空気があり、それ以外の選択肢はなかった。

女の子は最悪教員でも可(しかしランクはだいぶ下がる。大学教授が望ましい)という感じ。

 

そのため、小学校か中学校という早めの段階で医大に進学できる可能性を高めるお受験をする、という流れは当然あった。

90年代前半に流行った英才教育の影響もあったと思うが、私も物心ついた頃にはよく分からない塾に通わされていた。

 

その塾は横浜にあって、実家のある小田原から結構な時間をかけて母が連れて行っていた。

行くときは必ずフリフリの白い靴下にスムース革の靴を履いて(これが何となくダサい感じで嫌だった)、あまり着心地のよくないかっちりした制服みたいな服装をさせられていた。

今と違ってカーディガンなどもチクチク素材だし、走り回りたい年頃の子供にはだいぶ窮屈な感じの服装だった。

そういう格好をした子供たちが、四則計算だとか、カタカナだとかを勉強するのである。

 

ある時、すごく不本意なことが起きた。

マグカップを見せられて、これを上から見た時の図を書けという問題があった。

私は分厚い縁取りを二重丸で表現し、取っ手も太かったのでそれに長方形をくっつけた。

しかしバツにされた。

答えは、ただの円に棒を付けたものだった。

私は納得いかなかった。だって、どう見たってそうじゃないのだから。

マグカップはそんな薄っぺらくないし、取っ手も棒には見えないじゃないか!

でもそれは出題側が求めていた答えではなかったのだ。

 

塾は本当に嫌だった。

本当に嫌いだったから、仮病も使った。

塾でおなかが痛いと言うと、事務の女性がすごく優しくしてくれた。

それがすごく嬉しかった。

でも母が迎えに来て、外に出た瞬間めちゃくちゃ怒られた。

私はやっぱり塾が嫌いだった。

 

そう、塾に行くととにかく怒られる回数が増えるのだ!

なんで私はこんなに怒られに行ってるのか分からない。

授業参観があった時も、ちょっと目立ちたくて「ハイ、ハイ!」と手を挙げてみる。

でも答えが分からなくててへぺろをする。

保護者たちがどっと笑う。

笑ってもらえたのが嬉しくて、また答えは知らないけど手を挙げる。

終わった後母にしこたま怒られる。

もう次の授業参観では手を挙げない。

それはそれで怒られる。

 

電車に乗っている間も、足が開いていると怒られる。

引き算が分からないと怒られる。

行きたくないとぐずると怒られる。

幼稚園の同級生が家でのんびりしている間に、私は10倍くらいは怒られていたはずだ。

親は受験に合格するために必死だったのだろうが、当時私は何のためにそんなことをしているのか知らなかったし、毎日ビクビクして過ごしていた。

 

 

そして、ついにお受験本番の日が来た!

両親も一緒に、面接が行われた。

服装も両親の回答も完璧だったが、唯一問題があった。

それは私が受験というものを理解していなかったということだ!

 

「あなたはなぜこの学校を希望するのですか?」

「…?

わたしは、近所のお友達と一緒に、三の丸小学校(地元の公立校)にいきます!」

 

 

今までさんざん色んなことで怒られてきたが、この日は何も怒られなかった。

さすがに両親も諦めがついたようである。

だましだまし誘導するのは、私には無理だったということが、ようやく判明した。

そこで何となく空気を読んで、適切な受け答えができる賢い子たちは、春からお金持ちそうな制服を着て電車に乗っていった。

 

そして私は、自分の希望通り近所の公立校に通うこととなり、非常に満足な入学式を迎えたのである。