山あり川あり、美しいと言われる日本の風景ですが、私はあまり美しいとは感じません。
それにはわけがあります。
大学時代、私は、アメリカやヨーロッパに旅行に出かけました。
アメリカの西海岸や南フランスなど風景が美しいといわれる場所にも行きました。
それらの場所に足を運んで感じたのは、意外にもなつかしさでした。
これらの土地、私が生まれ育った愛知県の太平洋岸の風景によく似ているのですね。
山あり川あり、そして緑おりなす風景。
風のにおいが似ている。
暖かい太陽の光と、適度に湿気を帯びた心地よい風。
故郷に帰ってきたような気分でした。
たぶんこれらの土地、私が生まれ育った土地と素の自然はすごく似ているのかもしれません。
しかし、美しい風景は人間が作るもの。
やはり違う。
この違いは、その土地で生きる人間がどれだけ土地の自然と調和しているかの差ではないかと感じました。
アメリカの西海岸や南フランスのような農薬をたくさん使って、雑草も生えないような果樹園や、トラクターでならされた人工的な耕地が自然と調和している?
すごく不思議に思われるかもしれません。
でも、正直、美しいと感じます。
それらの土地は、うざいヤブ蚊やブヨなどの害虫が少なく、人間に有用な作物だけが繁茂する。
ある意味、人間の胃袋を心地よく感じさせる風景だからかもしれません。
でもそれ以上に、これらの土地と私の生まれ育った土地の違いを際立たせるのは、
人間の作った構造物の違いです。
なんていうか、建物って、一軒一軒見れば、確かに趣向をこらしたものが芸術的で美しく見えますが、でも、風景で見たとき、一番美しいと感じるのは、シンプルな建物です。
日本の建物がけばけばしく醜く見えるのは、一軒、一軒、個人の趣向がこらされ、複雑で統一性がないからだと思います。
一方、ヨーロッパの家などは、どれも基本的に箱型の平屋建て、いたってシンプルで、趣向に乏しい。
時々、芸術家の建物とかいって自然から浮いてしまっているようなものがあるけど、それは例外。
不動産物件を探すとき、よく言われるのが、住むなら箱型のシンプルな家がいい。
人間は三角や円型などの家では落ち着いて暮らせないし、スペースを有効に生かすことができない。
つまり、家は箱型がベストなんですね。
シンプルがベストです。
次に日本の風景を醜くしているのは、家がでこぼこしている点ですかね。
昔の家は、土壁でいたってシンプル。
江戸時代の家なんかもすっきりしていて、ヨーロッパの家を連想させます。
でも、今の家では、縁側が飛び出たり、鬼瓦がでんと乗っていたり、戸口が出ていたり、部屋が出ていたり、なんかでこぼこしていて、変化に富んでいます。
ごみごみした汚らしさを感じます。
一方、外国の家は、壁があるだけで、すごく平面的。
横にしてもそのまま建ってしまいそう。
そして、日本の家がどうも色彩的に風景から浮いてしまうのは、壁がトタン材で覆われ、なんかスラム街のバラックのような目にちかちかする印象を与えるからだと思います。
鉄の板の上に塗ったペンキの色って、すごく不自然で、自然と調和しない。
家の見栄えが良くなる、家が長持ちするとの理由でトタン材を貼るのですが、でも果たして本当に家にいいのだろうか?
家は生き物のように呼吸するといいます。
なんか家の息の根を止めてしまっているように感じるのですが・・・。
トタンなど人工素材で家を覆うと、建ったときは、不自然な潔癖さがあります。
それが清潔で綺麗と感じるのですが、人工的すぎてまわりの風景から浮いてしまいます。
恐ろしいのが、火事の時、煙が家の中に充満したり、有毒ガスが抜けなかったり、人工素材に覆われた家は非常に危険です。
人工素材で家を覆うと、遠目には風景から浮いた産業廃棄物のように見えるだけでなく、家の寿命をちぢめ、しかも災害時大変危険です。
こんなこと言うと叱られそうですが、なんでみんな人工素材で家を覆いたがるのか?私には分かりません。
企業団地の効率性だけを考えたコンクリート打ちの箱型ビルディング。
どれも同じような建物で、どちらかの壁に大きく数字が書いてあり、何棟目か分かるようになっています。
あれとってもシンプルで美しいと感じます。自然の風景とも調和していますしね。
しかも、最も燃えにくく安全な家です。
そして、日本の街は、個人の好き勝手に建てた家が連なり、モザイク状で、とてもごみごみしていて汚い。
外国のようなシンプルで美しい町並みではない。
また、電柱やら電線やら、なにやらかにやら、いろいろなもので二重三重にとりまかれ汚い。
あげればきりがありませんが、これらの原因は、戦後の土地政策にあったと思います。
戦後、個人の所有権を強化して、個人が自由に土地を所有し、自由に好きな家を建てられるようにしたのは、完全な失策だったと思います。
アメリカの理想主義者が、個人の権利をうたい、理想に燃え日本で行った政策ですね。
その結果、日本の風景は醜くなり、統一性のない汚い村々、町々が全国にできあがりました。
それらの整備に多大な税金が必要であり、しかも、効率が悪い。
そのうえ、たとえ整備したとしても、素がでたらめだから、ごみごみしていて綺麗にならない。
汚い町は住みにくくもある。
家を好き勝手に建てられるということは、当然の権利であり、それを阻害するのは、国家による人権侵害だと主張する人たちがいます。
汚い町も、人権と自由の象徴。これでいいのだと主張します。
でも、私にはその感覚が理解できません。
本来人間とは、野放図に生きていいものではなく、社会から規制されてはじめて美しく生きていけるものです。
それは家にももちろんいえます。
お金出して買ったから俺の自由、なんてことはなく、所有する人には、それをよりよい状態で所有する義務が発生します。
欧米ではそれがかなり厳しいですね。
アメリカの高級街では、家の景観までこと細かく決められており、芝生を定期的に刈らないと、追い出されてしまうそうです。芝生は面倒だからはがしてしまうのもダメらしいです。
野放図に個人の趣味だけで建てた家の集まりは、見ていて汚いです。
家は、個人が自由にすることなどできない国家の資産です。
それを甘くしたため、日本の景観は絶望的なほど汚くなりました。
本当にどうにかしてほしいものです。
せっかく恵まれた風土があるのに、それを台無しにしているなんて、もったいないです。
改善策としていくつかあげます。
まず、ちゃんとした都市計画に基づき、家はきちんと決められた場所に決められた形状を守って、シンプルなものを立てるべきでしょう。
できれば、家はすべて建売にしたほうがいいと思います。
個人の趣向は極力抑えるべきだと思います。
そして、建材も、自然素材を使い、なるべく長持ちする家を建てる。
日本の家の寿命は30年。ローンが終わる頃には廃屋になります。
しかも、廃屋は産業廃棄物のような人工素材の山。
日本全国のゴミの総量のかなりのパーセントを占めると思います。
これをなんとかしなければ。
個人の趣向をなくし、家をシンプルな箱型のどれも同じようなものにし、どの家に住んでも大差がないようにする。
その上で中古市場を発展させれば、古い家でも長く使うようになると思います。
そうすれば、もっと長持ちする自然素材の家が出てくると思います。
賃貸住宅市場をもっと発展させてもいい。
・・・でも、これら、戦前までは当たり前のように行われてきたことです。
明治の頃の話を読むと、当時は、都市計画で碁盤の目のように作られた町に住み、
シンプルな古い家に賃貸しているのが普通だったようです。
そして当時は、まさか30年でダメになる家などなかったようですね。
当時の街の風景を見ると、綺麗に整備された街は、スッキリしていて、天然素材の家は自然とまっちしています。
日本の風景も美しかったようです。
日本の風景を美しくするためには、戦前の知恵をもう一度再現すればいいのではないかと思います。
美しい風景とは、人間の生存に心地よい風景。
土台がいいのだから、日本の風景、どうにかしてほしいものです。