どっちも面倒くさいんですけれど・・・
活字だと、自分のペースで理解できるけれども、
その人毎に異なるスピードで話すことをきき分けるのがキッツい
テレビのつけっぱなしで、普通のスピードで聞く力はついてきたつもり
云いたいこと・感情を言葉にする力が無いのよ・・私って昔から
コミュニケーション障害なのか…まさかねぇ・・でも、じつは、ありえるのかも
色んな地位によって異なる方言を話す人たちと、都会育ちの疎開者の言葉の中で育って、
小学校では「共通語を使いましょう」って育てられて、中学校に行ったら使い分けの世界に入って、
高校ではイントネーションの異なる方言の世界で、話している単語のニュアンスが異なる・・・そんな言語世界感だった。
就職して、方言の謙譲語や尊敬語をちゃんと使い分けして、
方言の中でも、ここの言葉を話すように求められたけれども、それが出来なくって・・苦労した。
もともと大きく分けて4地域で言葉が全然違っていたし、
私の住む地域は、子どもの目には見えない身分制度があって、もっと細かく言葉の使い分けがあったから
東北弁ってひとことでいっても、青森は津軽・南部に大きく分かれるし、秋田県内は、ものすんごく細かく分類された言葉やイントネーションの使い分けがあるのね。
昔からの・・・大昔からの蝦夷の言葉って、残っているのかなぁ??
私の住む地域は、京ことばの変形言語が多く残っている地域のわきにあるみたいで、
刻々と言葉が変わってきている・そういう時代に育ったから、話をするのは面倒よ。
年代ごとに言葉が変わってくるし、地域ごとにも使い分けをする必要があってね
そしてそこまで気を使っても、そういう気持ちはなかなか伝わらないのんよね
会話をするのって、どっちにせよ「面倒くさい」ものなのよねぇ