ご無沙汰しています。
最愛の母が突然旅立ってから1年が経とうとしています。
この一年、数え切れないほどの後悔と枯れることのない涙で過ごしてきました。
一人でいるとふとしたときに母に会いたくなってグスグス泣いてしまうまだまだダメダメな私です。
11月17日に一周忌の法要と納骨式を執り行いました。
この一年、私自身にもちょっとした災難が降ってかかり、
今無職です。
私の前職をとても誇りにしてくれている母でした。
母が生きていたらこんな惨めな私にどうやって声を掛けて慰めてくれるのだろうと、
そんなことを想ってはまた涙・・・
人生って一体なんなんだろうと色々考えた一年でした。
ご心配下さった皆様にはご無沙汰してしまい申し訳ありません。
母の闘病の記録だけは自分なりのけじめとしてきちんと書いておこうと久しぶりに記事を書いてみました。
今はただ母に会いたい。一日も早く。
だから病気も怖くないし、死ぬのも怖くない。
母に会いたい。
でもね、この子達の為に生きなきゃいけないの。
来年は未年。
年女なんです。私。
もう少しこちらの世界に留まってみてもいいのかな。
母の体調が思わしくなくベッドに伏せるようになってどれくらい経っただろうか。
近所のスーパーマーケットに最後に歩いて行けたのはいつのことだったろう。
こんなに簡単に忘れてしまうならもっと日々記録しておくべきだった。
当時何かを記録することは、私にとっては母の死に向けて準備をするということを意味した。
私にはそんな準備、何年掛けても出来るはずもなかった。
現実を受け入れられないダメな娘だった私は、
母の体調悪化に合わせるように、精神状態が不安定になっていった。
母の最後の入院のほんの数日前のことだった。
「お母ちゃん、K病院の老人養護施設に入ろうと思う。」
突然母が切り出した。
一番辛いのは誰でもない母自身なのに、
思う存分泣き言も言わせてあげられず、私は母になんてことを言わせてしまったんだろう。
死ぬほど辛い、しんどい状況の中で、母に労りの言葉を掛けるどころか、施設に入ると言わせるほど気を遣わせてしまった。
死にたいほど自分が許せない。
精神的に参って部屋に引きこもりがちな私に母が「寂しいねぇ。寂しい。どうしてこっちに来てくれないの。」と涙を浮かべて訴えた朝も私の胸に深く刻まれている。
母が亡くなってから今日まで、ただの一度も私の夢枕に立ってはくれない。
母は実は私のことあまり好きではなかったのではと思えてならない。
気を遣う娘でしんどかったはず。
ごめんね。ほんとうにごめんなさい。
母が生きているうちに、今までの色々をひとつひとつまとめて謝りたかったのだけれど、
そんなことをしたら母が死んでしまうようでどうしても出来なかった。
その勇気を出せなかった自分を心から後悔している。
2013年2月1日、腸のバイパス手術で見事生還し希望いっぱいで退院した母。
たんぱく質を補給するためにせっせとステーキハウスに通い、ステーキを笑顔でお腹いっぱい食べました。
仕事帰りにはデパ地下に立ち寄り、いくらなどたんぱく質の豊富な食材をお土産に買って帰り、またネットで美味しいお寿司屋さんを調べ、週末ごとに私の運転で出掛けました。
退院して何日も経ってないある朝、
「なんだか手がこんなむくんできちゃった」
と母がベッドから私を呼びました。
その日からは、朝起きるたびにむくみがよくなった、悪化した、と状態が日替わりで変化し、母は一喜一憂していました。
私はリンパマッサージの本を買ってみたり、むくみを改善する方法をネットで調べては試していましたが、母のむくみの根本的な改善につながるものはありませんでした。
むくみはいつしか全身におよび、腹水や胸水が溜まっている、との診断を受けました。
足の裏までむくんでいるのか、家の中を歩くのもやっとでますますしんどそうにしていました。
肝機能障害とこのむくみでは抗がん剤治療の再開は不可能と、気付けば母が抗がん剤治療を中断してから5か月が過ぎていました。
通院のたび「様子を見ましょう」と医師に言われ続けました。
とうとう、3月下旬のCT検査で肺に転移癌が見つかりました。
「抗がん剤治療が出来てないからねぇ・・・」と、医師。
肝機能障害については特に決定的な治療法が見つからないまま「様子を見ましょう」と言われ続けていました。
「そのむくみを何とかしてあげないと生活が辛そうですね」とむくみコントロールのための入院を決めました。
そのときの記事が↓です。
2013年4月6日に入院。食事をコントロールし、栄養の著しく低下した母の身体には高栄養の点滴が投与されました。
5日もすると母の身体のむくみはまるで嘘のように引いていき、翌週には退院出来ました。
死にたい、もう終わりにしたい、と悲観的だった母が看護師さんや医師達と触れ合い再び元気を取り戻したのは当時記事にした通りです。
ご無沙汰しています。
実は愛猫ブログを別途始めまして。
そちらのほうが軌道に乗ってきたので、この辺で母の最期の闘病記録に戻りたいと思います。
母が急逝した2013年11月27日から年も変わりもう何か月も経ったというのに、私の涙が乾くことはありません。
私は親不孝な娘でした。
母の看病は罪滅ぼしのつもりだった。
母に謝りたいことはたくさんありました。
私に謝る機会をくれないであまりにも突然母は逝ってしまった。
その思いがずっと私を苦しみ続けるのです。
どうしたらこの苦しみから解放されますか?
どうしたら・・・
さて、母の闘病の記録に戻ります。
「肝機能が低下してるんですよね」
医師から繰り返しその言葉を聞くようになったのはいつからだったろう。
腸閉塞気味だと言われるようになった2012年11月ぐらいからだったと思う。
CTやエコーに映るのはやや腫れた母の肝臓。
「脂肪肝」だという。
お酒も飲まず、ろくに食べられていない痩せ細った母が脂肪肝??
原因も分からず、治療法も分からず、ただ「様子を見ましょう」という医師に従い毎週のように通院していた。
12月26日の診察で、いよいよ激しくなった母の腸液の嘔吐の話をした。
「うーん。腸閉塞気味ですね。どれくらい吐くんですか?200cc くらい?」との医師からの問いに、
「いいえ、もっとです。1リットルくらい。」と母。
「えーーー?そんなに??うわうわそれは大変だ。即入院しなきゃ。」
当時の医師からの説明や入院の模様はブログに記録した通りです。↓
2月に退院する頃には、また食事が取れるようになるという喜びと、腹膜播種がなかったという事実から母も私も希望に満ち溢れていました。
君たちのお陰で週末も早起きだよ。
掃除して洗濯して、たまった段ボール整理して。
一日外に出ることなく過ごしました。
これだけは誰にも渡さないわ。


それ、ママが髪しばるやつ?
…そうだよ。
へへっ♪もらった。
あぐっ
えいっ
こいつっ
よし取った!
べにくん、それ…ママに怒られると思うけど。
ゴミ出しから戻り玄関を開けると、ドアの向こうでじっと待つふたりが見える。
鳴き声はべに丸くんかな。
ドアを開けると。

私が戻ったと安心したように寝始めた猫ら。
しえちゃんは私の横。
べに丸くんはお気に入りの母のひざ掛けをくわえて前足で踏み踏み。
…やがて爆睡。
あの…はみ出てますけど?

…ウケる。
おおらか過ぎだし(笑)
布団カバーをセットしてると必ずやってくる猫ら。
ぼすっ
…あのーどいてくれませんか?
なんで?
…いえ、いいんです。
可愛すぎて飼い主撃沈。
しえちゃんが来ないなーと様子を見に行くとひとりソファでくつろいでました。

ひとりにしないでーとべに丸くん登場。


そろそろ寝ようかねぇ
掃除して洗濯して、たまった段ボール整理して。
一日外に出ることなく過ごしました。
これだけは誰にも渡さないわ。

それ、ママが髪しばるやつ?…そうだよ。
へへっ♪もらった。
あぐっ
えいっ
こいつっ
よし取った!
べにくん、それ…ママに怒られると思うけど。ゴミ出しから戻り玄関を開けると、ドアの向こうでじっと待つふたりが見える。
鳴き声はべに丸くんかな。
ドアを開けると。
私が戻ったと安心したように寝始めた猫ら。
しえちゃんは私の横。
べに丸くんはお気に入りの母のひざ掛けをくわえて前足で踏み踏み。…やがて爆睡。
あの…はみ出てますけど?
…ウケる。
おおらか過ぎだし(笑) 布団カバーをセットしてると必ずやってくる猫ら。
ぼすっ
…あのーどいてくれませんか?
なんで?…いえ、いいんです。
可愛すぎて飼い主撃沈。
しえちゃんが来ないなーと様子を見に行くとひとりソファでくつろいでました。

ひとりにしないでーとべに丸くん登場。

そろそろ寝ようかねぇ

ソファーでうたたねしちゃう私が悪いんだけどね。
しえちゃん、ママね(産んでないけど)、お風呂も入りたいし、ベッドで寝たいんだけど、ちょっと起きてくれるかな?
嫌よ。
……えーだってもう1時半だし、明日だって早いのに、てかもう今日だ…しって、あ起きた?
ぶつぶつどしたの?
…あ、だからベッドで寝ようかって。あ…
ちょっと静かにしてくれる
…うそーん
べに丸くーんっ
僕寝てますけど。
…あ、そこべにくんの最近のお気に入りの場所なんだわね。
おやすみなさい。
なんてスマホで記事アップしてるとですね、しえちゃんがムクムク起き出してきて、大音量でグルグル言いながら私の顔や口や喉をべろべろざりざりなめるわ身体こすりつけるわで、くすぐったくてもぉタイヘン…
あ、べにも来た

かわいいなぁ…

私のパーカーのヒモかじりに執心のあまり右へフレームアウトしてもはやしっぽしか写ってないべに丸くんとそれを見つめるしえちゃん。
もうどこまでかわいいの
ご紹介遅れましたが、ふたりはアビシニアンという猫種でもうすぐ4ヶ月になる女の子と男の子の義姉弟です。
女の子がフォーン。男の子がルディという毛色です。
女の子しえちゃんのほうが3日お姉さんですが、この日曜日に動物病院で体重を測ってもらったら、しえちゃんが1600グラム、べに丸くんが1800グラムと、200グラムも差が開いててびっくり。
おうちにきたときは600グラムくらいだったっけ?ちっちゃかった…
しえちゃん、ママね(産んでないけど)、お風呂も入りたいし、ベッドで寝たいんだけど、ちょっと起きてくれるかな?
嫌よ。……えーだってもう1時半だし、明日だって早いのに、てかもう今日だ…しって、あ起きた?
ぶつぶつどしたの?…あ、だからベッドで寝ようかって。あ…
ちょっと静かにしてくれる
…うそーん

べに丸くーんっ

僕寝てますけど。…あ、そこべにくんの最近のお気に入りの場所なんだわね。
おやすみなさい。
なんてスマホで記事アップしてるとですね、しえちゃんがムクムク起き出してきて、大音量でグルグル言いながら私の顔や口や喉をべろべろざりざりなめるわ身体こすりつけるわで、くすぐったくてもぉタイヘン…
あ、べにも来た


かわいいなぁ…

私のパーカーのヒモかじりに執心のあまり右へフレームアウトしてもはやしっぽしか写ってないべに丸くんとそれを見つめるしえちゃん。
もうどこまでかわいいの

ご紹介遅れましたが、ふたりはアビシニアンという猫種でもうすぐ4ヶ月になる女の子と男の子の義姉弟です。
女の子がフォーン。男の子がルディという毛色です。
女の子しえちゃんのほうが3日お姉さんですが、この日曜日に動物病院で体重を測ってもらったら、しえちゃんが1600グラム、べに丸くんが1800グラムと、200グラムも差が開いててびっくり。
おうちにきたときは600グラムくらいだったっけ?ちっちゃかった…
月日の経つのは早いものですね。
母とお別れしてからもう数えきれないほどの日々を過ごしてきました。
2月の大雪の合間に山梨のブリーダーさんのところにべに丸くんを迎えに行き、
愛車とべに丸くんと母の遺影と毛布だけで私の東京での新生活がスタートしました。
その翌週には東京のブリーダーさんのところへしえちゃんを迎えにいきました。
家電やら家具やらはネットショッピングで揃えましたが、
失敗だったのは、洗濯機と大型食器棚の設置サービスをオーダーしなかったこと。
「そこに置いていかれても非常に困るんですけど(うりゃっ)」
玄関に段ボールに入ったままの洗濯機を置いて去ろうとするつれない宅配便のお兄さんに凄んでみましたが、聞こえない振りされ背中向けられました。
「イヤーん、そんな困るぅー」って甘えたほうがよかったのか??
いや、そりゃ気持ち悪がられるだけで結果は同じだだっただろね。
まぁ48インチのテレビも自分で箱から出して設置も配線もしましたからね。
私ってすごくねー?とすっかり気を良くしたわたくし、膝っ小僧に青アザ作りながら頑張りましたよ。
狭いキッチンで重量上げの選手ばりに雄叫び上げながら、食器棚の上の棚持ち上げてました。
1つのベッドルームは段ボール部屋と化し、私の留守中に誰か住みついても気付かない…と思う。多分。
猫ちゃんはもうとにかく可愛い。
朝目覚めると枕元に置いたホットカーペットの上に2匹。


そろそろ起きてくれない?
…と言いたいらしい。


ソファーに寝転がってテレビ見てると彼らがやってきてこうなる。お手洗いにも立てない…

しえちゃん




と

べに丸くん。




うちの子になってくれてありがとう。



母とお別れしてからもう数えきれないほどの日々を過ごしてきました。
2月の大雪の合間に山梨のブリーダーさんのところにべに丸くんを迎えに行き、
愛車とべに丸くんと母の遺影と毛布だけで私の東京での新生活がスタートしました。
その翌週には東京のブリーダーさんのところへしえちゃんを迎えにいきました。
家電やら家具やらはネットショッピングで揃えましたが、
失敗だったのは、洗濯機と大型食器棚の設置サービスをオーダーしなかったこと。
「そこに置いていかれても非常に困るんですけど(うりゃっ)」
玄関に段ボールに入ったままの洗濯機を置いて去ろうとするつれない宅配便のお兄さんに凄んでみましたが、聞こえない振りされ背中向けられました。
「イヤーん、そんな困るぅー」って甘えたほうがよかったのか??
いや、そりゃ気持ち悪がられるだけで結果は同じだだっただろね。
まぁ48インチのテレビも自分で箱から出して設置も配線もしましたからね。
私ってすごくねー?とすっかり気を良くしたわたくし、膝っ小僧に青アザ作りながら頑張りましたよ。
狭いキッチンで重量上げの選手ばりに雄叫び上げながら、食器棚の上の棚持ち上げてました。
1つのベッドルームは段ボール部屋と化し、私の留守中に誰か住みついても気付かない…と思う。多分。
猫ちゃんはもうとにかく可愛い。
朝目覚めると枕元に置いたホットカーペットの上に2匹。


そろそろ起きてくれない?
…と言いたいらしい。


ソファーに寝転がってテレビ見てると彼らがやってきてこうなる。お手洗いにも立てない…

しえちゃん




と

べに丸くん。




うちの子になってくれてありがとう。



母の闘病記を記しておこうと決めたものの、なかなか書き進められず・・・
いったん投稿した記事何度も手直ししたり。
悪いクセですね。
年始からずっと仕事がちょっと立て込んでて。
それなのに、ふとしたことであの11月26日の母が亡くなる前日に気持ちが押し戻されてしまい、不安定な気持ちの日々を過ごしています。
一方で母の介護の必要がなくなったので、いつまでも会社の好意に甘え新幹線通勤しているわけにもいかず、東京で部屋探しをしていました。
おととい契約してきました。
それからですね、これは年末から動いていたのですが、
猫ちゃん飼うことにしました。
母にそっくりな美人さん。(ブリーダーさん、お写真ありがとうございます。)
お兄ちゃんと仲良くお留守番してもらおうと兄妹で飼おうとしましたが、
この子のお兄ちゃんには他のオーナーさんが決まっていました。
そこでこの猫ちゃんの生まれたちょうど2日後に生まれたという猫ちゃんを、他のブリーダーさんにご紹介頂きました。
ブリーダーさんのブログ(勝手にご紹介してごめんなさい) ←こちらクリック♪
やんちゃそうな可愛らしい男の子です。(勝手に画像お借りしてこれまたごめんなさい。)
母の闘病についてはまたぼちぼちアップしていきます。
ではまた・・・
2012年11月14日の肝機能障害の診断を受け、地元の町の病院に毎日注射を打って頂くために通院するようになった母。
上からずらっと数字の横に「H」があるのは基準値よりも「High」ということ。
AST 104 (基準値 8 ‐ 38 U/l)
ALT 77 (基準値 4 ‐ 44 U/l)
ALP 845 (基準値 104 ‐ 338 U/l)
LD 252 (基準値 106 - 211 U/l)
GGT 83 (基準値 16 - 73 U/l)
見るだけで気分が悪くなるほどの異常値。
でもこの桁違いに異常値を示す数値の意味することがいまだに分からなかったりします。
「肝機能障害」という言葉の持つ意味。深刻度。
ピンとこないのです。
肝臓は2009年の6月と10月の2度、癌の切除術を受けています。
そして更に2011年暮れから約1年、白血球を増やす注射を頻繁に打ちながらまでも隔週のペースで抗がん剤治療を続けてきました。
それまでの目に見えていた抗がん剤治療の副作用としては、食欲不振と倦怠感。口内炎。
吐き気や嘔吐はありませんでした。また脱毛もありませんでした。
2012年夏くらいから貧血の症状が少しあり歩くのがしんどそうでしたが、
抗がん剤治療の副作用なんだから、食べてないんだからしょうがない、くらいにしか考えていませんでした。
タンパク質不足とアルブミン不足を指摘され、良質のタンパク質を取るために抗がん剤治療の谷間で食欲が戻ったときには二人でステーキハウスに行ったり、
私が会社の帰りのお土産にと、いくらや麩などタンパク質に結びつくものを買いあさっていたのもこの頃です。
一向に改善しない貧血と倦怠感に心の折れた母が「抗がん剤をお休みしたい」と訴えたのが2012年10月。
体調が改善し、自転車で買い物に行けるまでになった翌11月中旬。
時を同じくして肝機能障害の診断。
それでも私は信じていました。
抗がん剤をお休みすればすべて良くなる、と。
愚かでした。
更に腸閉塞の悪夢が再び母を襲います。
11月18日(日)
私の運転でデパートへ買い物に。買い物のあと回転すしでお寿司。食欲あり。
帰宅後、膨満感を訴え嘔吐。くねくね道を通ったので車に酔ったのかな、と。
11月19日(月)
食欲あり。自転車で買い物も行ける。
11月26日(木)
お腹の張りを訴え朝から食事抜き。激しく嘔吐。
このあたりから、胃の痛みや膨満感を訴えあまり食事を取らなくなりました。
そして3日おきくらいに緑色の腸液を大量に吐くようになりました。
慣れというのは恐ろしいものです。
普通そんな色のもの吐いたら即病院ですよね。
医師の診断が「腸閉塞気味ですね」
この「気味」がクセモノで、それで即入院と言われないことをいいことに母はこの「少し食べては数日後に腸液を大量に吐く」生活を12月末まで約1カ月以上続けたのでした。
自力で治そうとしていたみたいです。
医師から処方された高カロリー・高栄養の「エンシュアリキッド」はコーヒー味とバニラ味がありなかなか美味しいものだと私は思うのですが、
「1日最低3缶」という医師の言うことをまったく聞かず、
「美味しいものは食べなくても我慢出来るけどまずいものわざわざ飲みたくない」と屁理屈こねて処方された初日に1缶を嫌々飲んだだけですべて無駄に。(いまだにうちの納戸であふれかえってます。)
重度の貧血、肝機能障害、腸閉塞・・・
様々な要素が折り重なって母の身体は助けを求めて悲鳴を上げていたはずです。
それでも母は「先生に言うと入院しなさいって言われるから嫌」と言って、自分の症状を正直に医師に伝えないのです。
深刻さを分からない私も母の言いなり。
この時の後悔が後の私を苦しめ続けることになるとは、この時の私は全く気付いていませんでした。







