三椏の花が役目を終え、一斉に落花し始めた。
そのすぐキワから緑の新芽が伸びる。
潔い見事な交代劇である。
東京では開花宣言したものの、桜はまだ1分咲きと言ったところ。
ただどちらかというと、古来から人は咲く花よりも散る花に感傷を覚えがちである。
『世の哀れ 春吹く風に名を残し 遅れ桜の
今日散りし身は 』
とは、好色五人女・八百屋お七の辞世の句。
桜に限らず、色んな花の散る姿に己が身を重ねてきた。
しかし、
『散る薔薇の悲しみは 次に咲き出でんとする薔薇についての恐怖であった』
とは山頭火のことばであったか。
薔薇は花の生を全うし、儚くただ散るのではない。
己が散り去ったあと、また次の美しい薔薇が咲き誇ることに猛烈な恐怖を感じるのだ。
これはなるほどと思った。
美は、何においても唯一無二のものであるが、決して『無比』ではないのだ。
感傷に浸り『花は散り際が美しい』などと言い、都合のいい解釈で人間の心に沿わせるのは、いささか表面的すぎたと反省した。