先日、私が行ってみたかったある飲食店に行き、

ご主人から「ここで食べなくても、家で食べたらいい」と言われた話。

食事中もずっと「かわいそうだ、本当にかわいそうだ。好きでこんな身体に生まれたわけじゃないだろうに」と言われ続けた私だったが、一体どんな行動を取ったか。

結論から言うと、その90歳を超えたご主人と「本音で話して、友達になろうとする」ことにした。

私も障がい者当事者の一人なので、正直、「そんな身体で可哀想だ」とか「家で食べればいい」と言われたら、少しさみしい気持ちにはなる。

でも、私はこういう場面でこそ、胸が熱くなる。
そういう人にほど、自分のことを知ってもらいたくなる。

まず大前提の話だが、90歳を超えているということは昭和の一桁世代生まれだ。

つまり、戦争体験者であり、
そして、戦後の高度経済成長を生きてこられた方。

激動の時代を、今の時代を切り拓いてきたその世代の方に、「障害者も社会参加できるのは当たり前なんだよ」とか、「今の時代、障害者差別解消法というのがあるんですよ。障害者だから家で食べろ、と言うなんて差別ですよ」と言っても、きっと響かないと思うんだ。障害者でも、幸せだというイメージが沸かないと思うんだ。

よく障害者の多くが、こういう場面で戦うことを決意したり、ネットでその飲食店を「時代遅れだ」と叩いたり、何なら裁判までする人がいる。

気持ちは分かる。悔しい気持ちは、もちろん分かる。

当たり前な話、差別はいけないと思うが、その差別と戦って、得られるものってなんだろうといつも思う。

ちなみに障害者に限らず、
これは健常者の方にも言えることだが、

これまでの私の経験上、「人は正論をぶつけ合っても、決して分かり合えない」という真理に辿り着いている。

じゃあ、どうするか​。

それはやっぱり【気持ち】の部分であったり、【相手の身になって考えられる想像力】が必要なんだと思う。

その上で、話を戻そうか。

私は、そのご主人と友達になるには、
どうしたらいいかと考えたとき、

あるいは、ご主人にどうしたら「令和に生きる障害者はこんなにも幸せになれるんだよ」」と分かってもらうには、どうしたらいいか。

そう考えたら、私の中で自ずと答えが出た。

それは【仕事人として張り合う】というものだ。笑

そのご主人は当然、「こんな寝たきりが仕事なんてしているはずがない」と思っている。だからまず私は「お父さん、僕ね、こう見えて社長なんですよ」と言うわけです。

もちろん、全然信じてもらえない。笑

加えて、私が「僕って実はちょっと有名なんですよ。テレビとか新聞とかで見たことない?」と自分で言うのはかなり痛い質問を投げるが、「ない」とドライに返される始末。

でも、それでも諦めずに自分の名刺を渡したり、「僕も飲食店やっていまして!」とか、「僕の周り、すごい人いるんだから」と言って、スマホで写真を見せたりすると、やっぱり、だんだん興味を持ってもらえるのだ。

すると、「どこにお店があるんだ?」とか「東海市のどの辺だ?」とかって、今度は向こうから色々質問をしてくれるようになる。

そして、その上でちゃんと私は自分の本音を言うわけだ。


「病気より、会社のほうが大変だ」と。



そこからご主人が60年以上前の話をしてくれた。

夫婦ふたりで屋台一つからお店を始めた話とか、
それこそ第一回目の東京五輪の話とか、

そして…90歳を超えた今、
あと何年夫婦でお店ができるんだろうという弱音も吐いてくれた。

だから私は、お二人にこう言った。

「何言ってんの。僕も頑張っているんだから、お父さんたちも、このお店あと20年は頑張って」

私がそう言うと、ご主人が嬉しそうに笑ったが、そして内心、すごく驚いていた思う。

だって、さっきまで「かわいそうだ、かわいそうだ」と連呼していた相手に、「まだまだ頑張れよ」って言われるなんて思っていなかっただろうから。

「あと20年って、そりゃもうお化けだな」と言い、続けて、「兄ちゃんには敵わんわ。また、いつでも来てよ。」と笑って言ってくれた。

しかも、「兄ちゃんが元気なときに、俺が夜に◯◯(近所の居酒屋の名前)で飲んでいる時に声かけてよ」と、まさかの飲みにまで誘われるという。笑

私は思わず、「友達かよ」って笑って言おうかと思ったけれど、そのツッコミが頭によぎった時点で、当初の「本音で話して、友達になろうとする」作戦は100点満点の大成功に終わったわけだ。

差別と戦うより、
よっぽどそれでいいじゃない。

いや、それが一番いいじゃない。