私が経営する「仙拓」という会社があります。

この会社は私が2011年から始めたもので、
パートスタッフさんが多いものの、現在は15名前後のスタッフがいます。
年齢も10代から60代と幅広く、健常者もいれば障害者もいる、多様性に富んだ組織です。

そしてなにより私が社長であり、
重度の身体障害者で寝たきりであります。

寝たきりという点で、異質であることは、
良くも悪くも注目を集める一因かもしれません。

 



今回、なぜこのような書き出しになったかというと、
世の中には障害者として活躍する方々がたくさんいて、
自ら事業を立ち上げている方もいるでしょう。

しかし、私はそれでも、おそらく障害者として最も社長と接する機会があるのは、
私ではないかと最近感じています。

私が立ち上げた仙拓はそ13年以上経ちましたが、
この期間、一人会社の社長や零細企業、中小企業、そして数千人から数万人規模の大企業まで、
多くの社長と出会ってきました。

その中で、どんな規模の会社であっても、
共通して口にする言葉、悩みがあることに気づきました。

それが【社長は孤独】という言葉です。

最初はこの言葉の意味が理解できませんでした。

一人会社の社長ならば孤独さも理解できますが、
中小企業や大企業の社長で【社長は孤独】と言われるのは、
会社を設立したばかりの頃の私は、理解できないと思っていました。

しかし、仙拓も徐々に従業員が増え、
来年度以降は20名や30名以上になると予想される今、
【社長は孤独】という意味合いが少しずつ理解できるようになってきました。

多くの社長がここでいう【孤独】とは、
従業員の人数ではなく、精神的な部分のことです。

つまり、「一人ぼっちではないが、独りぼっち」というわけです。

それではなぜ、「独りぼっち」になってしまうのでしょうか。

それは小さい会社でも、数千人数万人いる会社でも、
共通して、”社長にしかできない仕事”があるからだと考えます。

それが「最終決定」と「方向性の指揮」だと思います。
方向性の指揮も難しいですが、「最終決定」というのは極めて困難なものです。

現場で判断できる決定なら問題ありませんが、
新しい事業の立ち上げや、採算が合わずに事業撤退など、
最終的な決断は社長(オーナーの場合)がしなければならないのです。

しかし、この「最終決定」は、
時に羨望の対象になることも最近知りました。

「社長になれば人に指図されず、勤務時間にも縛られず、自分で好きなようにできるから羨ましい」というように、
私もこれまでそう飽きるほど言われてきました。

しかし、私は正直に言うと、
社長という仕事”は、酒や煙草よりも健康に悪く、寿命を縮める仕事だと感じています。

私は2011年から会社を経営していますが、
この13年で、「安心」という感覚を感じた瞬間はほとんどありません。

安心という感覚がどんな感じだったのか、
それも今となっては、覚えていません。

社長が「決定」をする際、物によりますが、
とてつもなく精神をすり減らします。

人によっては、胃に穴が開いたり、
自律神経失調になったりする方もいます。

そうした方々は、常に会社経営に伴う「不安」や「恐怖」と向き合っているのです。

経営には百点満点の正解はなく、
二者択一でどちらも不正解になることがあるかもしれませんが、
それでも、選ばなければならない瞬間があります。

要はババ抜きで例えるならば、
どちらのカードを引いたところでババなわけです。

しかし、社長が選んだババ(不正解)を力づくで、
不正解(☓)から△に、そして時間をかけて、
ゆっくり◯にしていくエネルギーが必要です。

私の場合、極限まで精神を追い込むと、
強烈な頭痛や吐き気に見舞われることがあります。

最近では私も、白髪が増えてきましたので、
「そういう年齢かー」と思っていたのですが、

事業の先行きが視えると、
白髪が黒髪に戻るナゾナゾ現象も経験しました。

一方で、そんな不安や恐怖に向き合い続けるからこそ、
今もなお、会社が続いているのだと思っています。

私の場合は「寝たきり社長」ということで、
努力では乗り越えられない身体的なハンディもあります。

そもそも体力もなく、着実に寿命を縮めていますが、
それでもなお、なぜ社長業を続けるのか、自問自答することがあります。

お金や名誉、障害者の権利向上、やりがいなど、
さまざまな視点から考えますが、どれもしっくり来ないのが本音です。

では、考え方を変えてみます。

もし今、私が「寝たきり社長」ではなかったら?

そう考えたら、私は何が一番悲しいか、と問われれば、

「自分の役割がなくなること」だと即答できます。

役割がないと、出番がなくなります。

出番がないと、居場所もなくなります。

子どもの頃、居場所がなくなると、
人から可哀想な目で見られたり、同情されることが日常でした。

その痛みは半端じゃないし、
人から嫌われること以上に辛いものがあります。

最後に【社長は孤独】かどうかに戻りますが、
確かに多くの社長が言うように、【社長は孤独】だと感じますし、
私も会社経営をする中で、孤独を感じる瞬間は年々増えています。

ただ、それ以上に、今の時代においては、
障害者の方がまだまだ孤独だと思います。

社長同士でしか分かり合えない社長の孤独さもあるでしょうが、
障害者の孤独さも、他者には理解されにくいものです。

だからこそ、私は仕事やスポーツ、勉強などを通じて、
自らの社長業を通じて、障害者に役割を与え、選択肢を提供し、
どんな時も「あなたはここにいていいんだよ」と伝えられるような存在になりたいのです。

そう願えば願うほど、
社長としての孤独さに負けない自信があります。

打ち勝つ自信こそありませんが、
どんな時も虚勢を張り、鼻で笑って闘い抜く覚悟さえあります。

#社長は孤独