私たちは生きていれば必ず誰かと比べられる。
学校でも、会社でも、スポーツや芸術、政治でも、
この世界は常に誰かと比べる仕組みになっている。
もちろん、私も例外ではない。
これまで「◯◯さんと比べて、佐藤さんは勝っていた」と高評価を得ることもあれば、
「正直、佐藤さんに実業の才能はない。別の道を進むことも考えた方がいい」と人伝に酷評されたことだってある。
実は先日も、ある挑戦をしたいと思ったが、
それを実現できる枠が現状1枠しかなく、私はもう一人の方に惨敗を喫してしまった。
こうした日常を過ごす上で、
「勝った」「負けた」を繰り返していくと、
心の中で「嬉しい」「悔しい」という感情が交錯するし、
毎日の生活で、一喜一憂してしまうなんてことは誰にだってあるはず。
しかし、一つだけ忘れないでほしいことがある。
それは、たとえあなたが誰かに比べられて、
「勝った」「負けた」と一喜一憂したところで、
あなたの価値は1mmも変わらない、ということだ。
どれだけあなたが誰かに馬鹿にされても、
あなたが馬鹿になるなんてことは決してないし、
その逆で、あなたが周りから高い評価を受け、
どれだけ崇められても、それであなたの価値が上がることもない。
仮に上がっても、それは価値ではなく、単なる評判だ。
この世界、どうしても評価は誰かに左右されてしまうわけだが、
「あなたの価値そのもの」は、他の誰でもないあなた自身で決まることを忘れないでほしい。
私の起業当時も、「障害者に経営は無理。どうせすぐに失敗する」と散々言われたし、
高校時代に至っては、
「僕は有名人になるんだ」と言いまくっていたら、
周りから頭がおかしいやつと思われ、鼻で笑われた。
それに、卒業前の進路相談の時も、
「卒業したらメディアに出るようになりたい」と言ったら、
叱られるを通り越し、先生たちにドン引きされた。笑
案の定、「あんたのせいで恥かいた」と、
帰りの道中は母に叱られた。
しかし後日、卒業文集のプロフィール欄に、
「卒業したら何をしたい?」と書いてあったので、
私は迷わず「テレビや新聞に出て目立ちたい」と書いた。
ちなみに、これを書いたのは高校三年の時。
私は就職先が決まらず、
障害者の生活介護への通所が決まった頃だった。
でも、この揺るぎない想いを一生残してやろうと思った。
そしていつか自分がメディアに出るようになった時、
このエピソードの証拠にもなると考えたのだ。
そう考えると、当時18歳の私は、
周りの評価なんかより、「自分を価値を信じぬくこと」に強い信念を持っていたのだろう。
私たちは大人になるにつれて、
誰かに笑われたり、冷たくされたり、時に否定されたり、
そういった周りの評価に
恐怖を感じてしまうことも増えてくる。
ついつい自分の「価値」を忘れ、
他者との比較で「勝ち」を求めてしまうこともあるだろう。
そうやって、私たちは私たちが思っている以上に、
本当の自分を知らないし、その可能性にも気付けていない。
#寝たきり社長