もうひとつブログをやって見ます。
専門的なやつ!
って言って、始めたのですけれど。。。
気合い入りすぎちゃって、何もかけないパターンにはまってます
このブログは本当に自分の中身を書きつけているので気楽で楽しくて仕方ないのですけど、なぜか、そちらは気取っちゃって、楽しくない。。。
なぜなんでしょうね
ちなみに、こんなことを書きました。
※同じ内容ですが、改めて書きます。
私、趣味時代から通算で10年以上写真を撮っております。。
でも、お金をいただいて仕事にし始めたのは、本当にこの2年くらい。
それも本業ではなく週末と空いた時間にちょこっとだけ。
なので、プロというよりは、セミアマみたいな感じです。
さらにいうと、スマホでの撮影はちょう苦手なのですよ
よく、私が写真撮っていることを知っている人と食事に出かけて、美味しそうなご飯をスマホで撮影しようとすると、
おっさすがカメラマン、かっこいいの撮るんだろうね!
なんて言われるわけですよ。
ば、ばかやろー! 私が撮ったスマホのご飯写真がどれだけ不味そうに写るか知らないからそんなこと言えるんだ! やめてやめて!!
みたいな。。。
スマホ撮影が苦手なので、当然インスタもやっていません。
今時、写真やってる人でインスタやってないってwwwww
自分でも笑えるって思ってますwww
でも、全然興味が持てなかったんですよね〜。
で、最近になって、そもそも私は「写真が羅列している」ことに何も感じていないなって思うようになったんです。
というか、写真を見て「良いとか悪いとか」わからない。。。
自分の写真も、ずば抜けたセンスがあるとか、すごくこだわりがあるとか、特別な技術があるとか、知識があるとか、そういうことも一切ないです。
(もちろん、最低限の知識は持っていますが)
だから、自分の撮影した写真を買ってもらう「職業カメラマン」という肩書きにとっても違和感を持っていて、私はそれがしたいわけではないなってずっと思ってます。
で、じゃあ、どうして私はそんなに「写真」なのか。
しかも、スマホではなくて一眼レフで撮るのがいいんです。
ぶっちゃけ、今時のスマホはめっちゃ機能がすばらしいので、一眼レフなんてなくても十分撮れると思ってます。でも、自分が撮るなら一眼レフにこだわるのには理由があります。
そのひとつは
ファインダーから覗いて撮影ができること
です。
実は、私が写真にのめりこんだ理由はこれがすごく大きい。
ファインダーを覗くと、必然的に視野が狭くなるのです。
自分で見たいものを決めて、
フォーカスするポイントを決めて、
シャッターを押す瞬間を決めて、
ようやく1枚の写真が撮れる。
このプロセスが私にとって意味があったんですね。
で、こだわるふたつ目の理由は、現像作業にあります。
撮影した後の写真を改めて見直して、
自分好みの写真に育てていく作業が現像作業。
色味を変えたり、明るさを調整したり。
この作業によって、完全に自分の世界観が完成するなと思います。
あと、こうやって写真を見直すことで、撮影中には気づかなかった細かいポイントに気がつくことができるのも嬉しい。
うわぁ。このとき、こんな風になっていたんだ!
ここ、こんなものが隠れてる〜〜!
ああ、これ撮ったときめっちゃ楽しかった!
って、どんどんテンションが上がってくる✨
ここまでの作業はスマホでやっている人の多くが踏んでいるステップだと思います♡
インスタで写真を載せている人のほとんどがやっているんじゃないでしょうか。
でも、私のこだわりはさらにもうひとつステップがあります。
写真を見て、感じたことを自分の中に見つける。
写真って、「真を写す」と書いて「写真」なんです。
その「真」ってなにか。
そこに踏み込んでいく作業をします。
自分が撮影した写真の真は自分にしかわからないんです。
だから、私は自分が「ああこれだ」と思った1枚を持って、
どうして私はこれが良いと思うの?
という問いかけをしています。
目を閉じて、その感覚にぴったりの言葉を探す。
詩的だったりもするかもしれない。
でも、それでいいんです。
だって、自分の中で生まれた感覚の話だから。
自分が無意識に撮影した1枚をきっかけにして、自分の中の真の部分に潜っていく。
そして、今度は「文字」や「言葉」としてアウトプットしていく。表現する。
そうすると、どんどん自分の中身が見えてくるような気がするのです。
だから、そろそろ脱インスタ映えの時代がくるんじゃないかな。
写真は、
今目の前にあるものを「現実とはかけ離れたくらい素敵に見せる」力も持ってる。
でも、一番の力は「真を写し出す力」だって思います。
写真に写された「真」は「目の前の物理的な現実」のことじゃないと思うんですよね。
だって、同じ被写体を撮影しても、同じようには絶対に写らないから。
撮る人が違えば、見る人が違えば、その1枚から見出される「真」はその人にしかわからない。
自分は何を「真」として、その写真を撮ったのか。
それを知ることは、つまり自分自身が核としている部分なのです。
フォーカスして撮ること
集中して自分の世界観に浸ること
写真をインプットとして、自分の中に深く潜り込んで真に出会うこと。
このプロセスがあるから、一眼レフで撮影するのが好きだし、インスタにアップすることに意味を感じていないのです。。
あああ、まだスッキリと説明できるくらい言語化できていないのが悔しい。
ともかく、「写真を出来上がらせる」ことよりも、「撮影する」プロセスがめっちゃ楽しいし、そこから自分を知るヒントが隠れているんだ。ということを伝えたいなって思ってます。
だから、考えているワークショップです。
ワークショップと言っても、私が何かを教えるとかそういうものではなく。
どちらかというと、写真を真ん中に置いて、お互いの感覚を表現しあう場を作れたらいいなと思ってます。
たぶん、その先には、さらに新しい1枚を生み出す自分が待ってくれてます✨
こうやって書いてみるとわかるのですけど、
本当に言語化されていないから、スッキリとかけないし、空回りしているのかもですね
これからも、同じようなことをいろんな切り口で何度も書いていこうと思います。
どこかで、伝わって、共感できる人と出会えたら嬉しいです♡