みんなに平等に訪れる おわりのとき

大切な命の そのときに 寄り添うことは
試練だろうか
それとも しあわせだろうか

どちらでもないのかも知れない
今の私にはまだわからない


ただ
見送ったその命にとって
しあわせだったと思える今生だったらいい な と思う






2011年 4月、
20年近くをともにした 三毛猫のまるを見送った
片手に乗るくらいの子猫だった彼女は
あっという間に私の歳を追い越し
そして ゆっくりゆっくり老いていった

さいごは ぜんまい仕掛けのおもちゃのように
ゆっくりと全ての動きを止めた

彼女は
私に受け止められるスピードで
命の終わりを教えてくれた

へたれの私に
死と向き合う覚悟を決めるための時間を
用意してくれたのだ


私と出逢ってくれてありがとう と見送った
とにかく ありがとう だった


それから
あれもこれもしておけばよかったと
おおいに悔いた

もっといっぱい 抱きしめればよかった
もっといっぱい 話しかければよかった
もっと… もっと…


身近な命だったからこそ その想いが強かった
今思えば 単なる私のエゴなのだが…

悔し涙もいっぱい流したと思う







だから 今の私は

最善策がとれなくても そのときの私にできるより良い策を選ぶよう努力している
でも 人間だから疲れたら休むし 間違いもある
ときどき 休みすぎて心配されることもあるが
今の私にできるだけの
精いっぱい生きる を実戦中である

悔し涙を流さないために



それは

猫のさくらを毎日抱き締めよう とか

叔父のお墓参りに行こう とか

夏休みは 実家に帰ろう とか

そんな小さいことなんだけど

これからのために
今の私の大切なものを しっかりと抱き締めようと思う