つい先日、会社勤めを辞めてしまったので、先月(10月)から有休消化していることも有り、その辺りからは殆ど人と会うことはなくなった。

 

会社勤めしていても、最後の方は誰に対してもほぼ仕事の話しかしなかった。

立場上、したくもないようなつまらない話をせざるを得ず、今となってはもうしなくても良くなった。

 

ただ、家に居る限り、家族以外に話をする相手が誰もいない状況だ。

 

私の場合は、以前から職場以外に行きつけの場所がいくつかあるので、それらの所で人と話す機会が少しだが、ある。

 

先日は久し振りに何人かと話す機会があったのだが、三十代半ばの若手実業家と、四十歳くらいのフリーランスで外国人相手のツアコンをしている方と、主に話をした。

 

どちらの方も、以前はバーの店長をしていたので、その頃から面識があり、かれこれ10年以上のお付き合いになる。

 

若手実業家の方は、やり手にしか見えないのだが、自身の自慢話はせずに、私のような失敗だらけのつまらないオッサンの話を興味深く聞いてくれた。

 

私は話がかなり下手な部類なので、途中に笑いを挟んだりなどという高度なテクニックは使えない。しかも調子に乗ってくると、そんなほぼ笑えない話を長々と話すという傾向がある。

にも関わらず、最後になっていろいろ話が聞けて良かったとまで言ってもらえて、内心恐縮だった。

 

そして、彼のようなやり手で真っ直ぐ突き進んでいる人間でも、仕事上で自分のやりたい事が出来ているのか、方向がぶれていないか、惰性になっていないかなど、気になっているとの事だった。

相当な裁量を持ってクリエイティブな仕事をしていてもそう思うという事は、私にしてみたら少なからず驚きであった。

いっそリセット出来るから無職は最高だと言われたのだが、確かにそうだと同意すると共に、今リセットなどかけられない彼の境遇には何のアドバイスも出来ない私の無力さを感じた。

 

なんの得にもならない話を延々と自分がしたのは申し訳ないと思い、お金を稼ぐ義務を緩和する為の対策として、持論をほんの少しだが話した。(たぶんそんな話をせずとも抜け目なく対策しているようなので、しなくても良かったのかもしれないのだが)

要は、資本成長率は長期的視野で見れば成長の一途を辿ってきたという原則の元、投資信託の積立を10年続けられればかなり貯めることが可能だという、釈迦に説法のような事をおこがましくも話した。

 

もう一人のフリーランスのツアコンの方とは、今後の自分の可能性を広げたくて、なんの具体性もない話をしたが、いろいろ考えてもらえて、彼が所属しているエージェントを教えてもらったりした。

 

久し振りに会ったこともあるが、ここぞとばかりにいろいろな話が出来たのは、本当に感謝であった。

拙い会話力、コミュ力なのはなんとかしたいが、機会が少いせいもあるから今後はもっと機会を作らなければいけないかな、と思っている。

 

外に出て仕事するなり、何か社会的な活動をするなどの必要性を改めて感じている。

 

最後に、この場に偶々来場した某芸能人がとても気さくな方で、流れで乾杯出来たのも良い思い出だ。写真をお願いする厚かましい人が居なかったので、私もお願いすることが出来なかった。

 

とにかく、なかなか無い経験が出来た。

周囲には感謝を忘れずにいたい。

 

自分のような何の人脈がない人間でも、外に出れば何かしらの機会を得られる時もある事を、ここに記しておきたい。