そのヒンドゥー教寺院は、世界を見渡しているようだった。
世界一の世界遺産だというのは自明の理であるというように、堂々と立っていた。
とにかく世界でいろんなものを見てみたい、いろんな価値観に触れてみたいという思いが自分を支配していて、少しでも休みがあれば外に出ていきたいと思っていた。
4日間の一人旅、短期間なら目的を持ってどこかに行きたいと思った。
"アンコール・ワット"は自分の中で気になる存在としてあって、死ぬまでに見なければならないものになんとなく認定されていたが、今じゃなくてもいつか見れるんじゃないか、という思いも確かにあった。
いや、今やらないでいつやるんだ?
アンコール・ワットはなくなってしまう、とかいう嘘か本当かわからない話も聞いたし、何より、何もやらないよりは何かした方がいい、という精神に乗っ取って、不安になる家族ともはなし、1週間くらい前にチケットを予約した。
(「慎重になって何もできないなら、適当でもいいから何かやったほうがいい。」って、仕事で出会った素敵な女性も言っていたなあ。)
初めてそれを肉眼で見たとき、うわっと圧倒された、というよりは、ずっしりと安定して構えていて、広くって大きくって、その世界に足を踏み入れた自分を寛容に受け入れてくれたような感覚だった。
その景観に似つかない観光客がうじゃうじゃいるのに、なぜかアンコールワットはその全員を受け入れ、「焦らなくてもずっとここにいるよ」と一人一人に伝えているようだった。
この寺院の魅力を増大させているのは、12世紀に建てられ、アンコール朝が没落してから18世紀まで、深い森の中で眠っていたという事実だ。
フランス人に発見されるまで、現地の人は存在に気付いていながら、魅力には気づいていなかった。
それが異民族にとって価値のあるものだということを彼らは知らなかった。
それが、今では平日休日関係なく、朝昼晩関係なく、いろんな肌の人が絶えず行き来している。きっと年中、いつまで経っても何年経っても途切れることはない。
シェムリアップには、公式のガイドの人がいて、薄いオレンジの制服を着ている。
資格を持った彼らがそれぞれの旅行会社に所属して、毎日いろんなタイプのツアーを催行している。個人で来ている人も困ったら彼らに聞けば助けてくれると思う。
シェムリアップは観光の町。外国語を話せないと商売にならないという。ヨーロッパや日本に比べて物価がかなり安いせいで(しかしこれでも、1ドル=4000リエルという、もろインフラしました!というような数字)、観光業に携わる人は1日にかなりもらえる。
特に発展途上国では、足がないと観光客は何もできないので、トゥクトゥク運転手やタクシードライバーはかなり稼げる、と思う。
さて、この寺院の魅力は回路の壁のレリーフ画にもある。
正直、全部じっくり見たら1週間くらいあっても時間が足りないくらい。
繊細に掘られた絵たちは、それぞれにちゃんとした意味があり、それは統一されたヒンドゥー教の精神に基づいている。
これを見ないで、ガイドブックに載っていそうな定番の写真撮影に時間をかけている観光客は、もったいないことをしているな~と思った。
(これについてももう少し書きたい。)
そして、この寺院は、ちょうどぴったり西向きに立っていて、中に入って中心に磁石を置くと、ぴったりになる。夏至や冬至には真ん中の突起の後ろから太陽が昇ってくる。
他の寺院が東を向いているのに対して、ワットはお墓の役割もあるため、西向きに建てたというのが濃厚な説だという。
そう、シェムリアップの人は、日が昇るのを毎日感じ、日が没するのを毎日見届けている。
生き急いだ世界に生きる私たちは、サンライズやサンセットなんて知らない。
4つの数字で表されたデジタル時計と、黒字で染まったスケジュール帳にいつだって追い込まれている。「人間」が感じ取るべき自然の現象と自ら縁を切っている。
そんなことを思い出させてくれるのが、この寺院の最大の魅力なのかもしれない。
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文章を書くのにかなりブランクがあり、苦労しています。
日々の生活の中で、自分の気持ちをいい言葉に変換し、発信する機会がなくなっていました。
手始めに、一か月前に行った、シェムリアップ/アンコールワットについて書いてみました。
